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2007年11月の日記
 
2007年11月14日(水) 23:31

モリノス

「中国障害者芸術団・千手観音」。静さん親子のお誘いで、話題の公演を観て参りました。私は今朝より発熱してプチヤバいカンジでしたが、チケット入手困難な演目なのではってでも行こうと頭がボーっとする中客席につきました。幕があきました「!」。舞台には大人数の聴覚障害者に形成された本物の千手観音がいました。彼らは舞台上手下手の手話の号令を見て音をとり、後ろの人が前の人に息を吹きかけ音をとり、舞台にこだまするステップの振動で音をとり、奇跡の造形を次々と繰り広げるのです。リズムを体に音を見て二千の観客の前で音楽に合わせてしかもひとつも音を外すことなく千手観音を演じ続けるのです。無我、一糸乱れず演目は終了しました。さらに両手の無いダンサー、盲目の歌手、演奏者、聴覚障害者と視覚障害者による京劇と、演目は続きます。それはハンデなどあっさり超えて「集中」の極みでした。すっかり具合の悪い私ですが、熱などに心折れている場合ではないっ!。と表現者達から「元気」をもらいました。が、演目中に気分が悪くなった私は席を中座
し。トイレで鏡をみると顔面蒼白。観音様見たからお迎えかしらんとプチ心配になり、舞台終了後に靜さんからも「アナタひどい顔色よ」と指摘されたのですが、感動の余韻とパワーをもらった私の心は立ち直っており、新宿二丁目の韓国料理で体が元気になる食事をしていたら、体が温まり、がんばれる気持ちがしました。舞台は特効薬。感動は生きる力。体調は最悪でしたけど、よっしゃ〜と「魂」が燃えた素敵な一時でした。



2007年11月13日(火) 23:53

モリノス

「コーヒー・エネマ」。コーヒー浣腸、この言葉を聞いたのはもう随分前です。夜会の社交で知り合ったモデルとかスポーツ選手が毎晩コーヒーを浣腸していて、体調的にも体系的にもよいと話をしていました。当時の私的にはなんだかおっかなくて、「自分には無理」と判断していました。先日身近な方からコーヒー浣腸のセットをご紹介いただきさらに故ダイアナ妃も使用と聞き、本日試してみました。点滴パックみたいな容器にお湯と専用の缶コーヒーを入れて、長いチューブの先についた器具を挿入して、チューブを止めてあるストッパーを外すとサーッとパックからチューブにコーヒーが流れ体内に入るのです。私はこの衝撃にパニクりながらも大量のコーヒーがパックから減って行くのを見つめました。そしてコーヒーが最後まで注入された途端にホッとして力が抜けつい、お尻の力をゆるめてしまったら、ドバーッとコーヒーがバスルームに滝のように流れ出し、私は恐怖のあまり膝が震えて膝をおりバスルームに手をつきましたら、噴水のようにコーヒーが吹き上がりそれを見た私
は更に動揺して手で尻をふさぎましたが、本来は出す目的なのでまた手を放し体内に入ったコーヒーをびろうな話ですがバスルームに撒き散らしてしまったのです。ついでに風呂を洗い流しつつ体も洗い、風呂から出た時には放心状態になり、そのまま気を失ったようにベッドに横になりました。ウトウトと仮眠したあと気づくとなんだか、体が楽で気のせいかお腹がもたれず気分がよいのです。なるほどエネマ!。と感心しましたが、これを習慣とするには毎度精神的にダメージが起こりそうでプチ心配です。次回はコーヒーが完全に注入されても慌てずお尻をゆるませず、落ち着いてトイレに直行しようと思います。エネマデビューはプチ散々でしたが、しばらく続けて体がどう変化するか自分を人体実験して試そうと思います。



2007年11月13日(火) 0:40

モリノス

「おがまる」。竹芝におりました。ふとウォーターフロントを歩いていると目の前に懐かしい船が見えました「おがさわら丸」。あれは十数年前、自然嫌いな私だというのに無謀にも小笠原に行ったのです船で。(小笠原に行くには船しかない、しかも25時間半の船旅、さらにおがさわら丸は一週間に一度しか便がない、5泊6日、現地3泊、船中2泊)私にとっては拷問に等しい旅でした。下等の船底船室にて荒れる海、丸窓から見える墨汁のような色の夜の海水、油臭い船内、一夜明け小笠原に着いた途端に帰りたくなった記憶があります。現地ではそれなりにアウトドアを楽しみました。とはいっても他にする事はないのですから、海に入ったり、無人島に行ったり、野生のイルカを見たり、大きな虹を1日に何度も見たり、満天の星、天の川を肉眼で見たりと感動の連続ではありました。民宿ではおびただしい数のヤモリが天井に張り付き、夜になるとボトボトと落ちてきます。初日はヤモリがボタッと落下するたびに「ギヤーッ!」ってカンジでしたが、数日すると枕についたヤモ
リを素手でつかみ外に投げ、虹を見ても特にはしゃぐわけでもなく、深夜の浜辺に行くと普通に全裸スイムしたりとかなりアウトドアルールを体得してしまうのでした。そんな私にとっての自然と一体型生活に慣れた頃にまた帰りの船旅が訪れる訳です。現地で会った小笠原リピーターは言いました「この船、船酔いを経験するともう小笠原なんて来たくないと思うのだけど一年もすると船酔いを忘れてまた小笠原が恋しくなるんです」と。久しぶりに「おがまる」と再会した私は「あ〜小笠原の海が懐かしい!行きたい!」とは思わず「十数年前の自分よ、よくがんばったな25時間半!」と冬の冷気を運ぶ夜の海風に身をまかせ、おがさわら丸から出て来る人達をしばらく見ていました。自然の洗礼を受け船から出て来る人達はだいたい笑顔でしたが、たまに、能面のような表情で出て来る人もいたりして私は「あっ!アナタもインドア派!、小笠原は一度でいい派だね」などと勝手に決めつけ、しばらく船着き場にてたたずんだのでした。



2007年11月11日(日) 22:15

 モリノス

モリノス

サクラ姐の病床を見舞うシマダさんです。私の大好きなお菓子、金沢の「あんころ」です。白玉のお餅に口どけ爽やかな甘味のアンコがみっしり敷かれた逸品です。東京では口に入らないので、金沢に滞在中は必ず一回は食べます。先日セレネの金田さんの所でもご馳走になりました。ふと「あんころ」の由来なる紙が目にとまり、読みました。要約すると昔、どっかのあるじが42才の時、何を思ったか突然裏庭に羅漢柏の苗を植え「わが願いが叶うならこの苗木茂れよ」と深く祈り、翌日にいきなり妻子を残し失踪。残された家族は生活に困り途方にくれていたら、とある真夜中に僧の姿をしたあるじが夢枕に立ち「私はいま鞍馬山にこもり天狗のもとで修業をしている、かくかくしかじかの製法で餅をあんこで包む食べ物をつくると食べた者は息災延命、商売繁盛になるだろう」と告知し、姿は忽然と消えた。妻は夢に出てきた夫の言うとおりの菓子を作り上げ今に伝え至る。この家の庭には今も羅漢柏の木が生い茂っている。との事。私はおいしい菓子だと思っていたが、霊剣あらたか
、御利益があるんだと感心しつつ。働き手のいい年の男がいきなり珍妙な苗木を植え行方不明、家族貧困、いくら夢枕に立ったとしても、シュールで無責任な男だねぇ〜残された家族もとんだ迷惑、あるじよアンタ奇行すぎ!天狗の所で修業するのも勝手だが、家族の所へ戻ってやれよ。とやたら客観的に言い伝えにプチどん引きした次第です。ですがこのあんころは二百五十年以上前から同じ製法で作られているそうで。一方、どっかのあるじよありがとう、おいしいよと感謝した次第です。私も、ためしに42才になったら遊歩道あたりに変な苗木を植えようかな?。って意味わかりませんな。


2007年11月10日(土) 23:53

モリノス

雨の一日でした。セッション終了後、静さんからバレエの話題をふられました。私はバレエオタクでもあるので彼女から「ローザンヌの・・・」と言われた途端に自分が知ってるウンチクを得々と語りたかったのですが、雨の日で冷えたのか急にお腹が刺しこみ、トイレに行きました。私は静さんに「すいませんが、ローザンヌ話で盛り上がりたいのですが、ウンコが漏れそうなのでトイレに行きます」と言い足早にトイレに行きました。私は便器に座りながら、あれこれとバレエ話をしたいとワクワクとしてトイレを済まし、静さんがいた所に戻ると彼女の姿はなく、帰った様子。私的には超高速で排便をして色んなバレエネタを用意していたのに、それが披露できず、あー残念ってカンジでしたが、静さん的には話をふった途端に「ウンコが漏れそうなのですが」と私に言われどん引きだったと思われ、あるいは別段深刻な話ではないので、そんならいいワと帰宅されたと思われ・・・。私は一人そぼ降る雨の青山をまだゴロゴロとするお腹をさすり、話す予定だったバレエ話を反芻しながら家
路についたのでした。プチ「ヒュー」と心に風がふいた気分でした。寒いのに透け系チュールを地肌に着た報いでしょう。41年生まれの41才、気合いだけではチュールを着れなくなった年代になりました。まずは腹巻き装着でしょうか?ラクダ色の。



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