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2008年1月の日記
 
2008年1月21日(月) 20:35

モリノス

「!」。実は昨年秋から体調が総合的によろしくなく、2008年は密かに検査三昧な日々なのですが、まず本日。本格的検査その1が、私の持ってる爆弾の股関節でした。某病院の関節病やスポーツ医学を得意としていらっしゃる先生の診断を受けました。大病院は一つの国といっても過言ではなく、私はラッシュアワーには電車に乗れませんので、日の出前暗いうちに用心のため杖を持ち(早朝お急ぎの皆さんが杖を持ってると配慮してくださるので)病院に向かいました。受付8時だというのに一時間以上前に到着したというのに、病院には多くの患者さんがいました。大病院=長時間待つ。で、やはり長い時間自分の名前が呼ばれるのを待ちました。私は待つのは別段苦痛ではないので、院内をサングラスごしにジロジロ患者さんや病院スタッフをジロジロ見ては「きっとこの人はこうに違いない」と勝手にチヤネり一人悦に入っておりました。やがて私の検査がはじまりました。沢山レントゲンを撮り、診断を仰ぎました。実を言うと私は診断内容次第では、人工関節置換術のオペ
を受けようとしていました。ここ何年も放置していた削れた骨頭。あまりに放置三昧でしたから きっと限界がきていて、もうさすがに金属の人工関節のお世話になるかもと腹をくくっていました。さらに長期療養になりますが治療が済んだらまたバレエとかできるかもな〜と淡い期待もしていました。先生の検査は続きます。右足左右後方可動域0つまり私の右足は左にも右にも後ろにも動かない状態。右大腿の筋肉、臀部の筋肉萎縮。私はやはり置換かもと覚悟を決めましたが、先生は最後にレントゲンを見て「変形性股関節症です」と言われました。私はのけぞるほど驚きました、なぜなら数年前のレントゲンでは骨頭が腐れ形も先端部が削られていたのを自分で確認したし当時観てもらった先生も初期骨頭壊死と言ってましたから。私はこの度のレントゲンをくまなくみますと、私の骨頭ったらちやんと丸くなっているのです。この病気は進行性の難病なんですから、まさか骨が再生されるのはあり得ないのです。先生は骨頭壊死ではないですが、関節の間にある軟骨がないんですから
、骨盤と骨頭がじかにぶつかりあり、辛い痛みがあるでしょうし、稼動域がないんですから医師的には置換術をお勧めします、痛みがお楽になりますよ、動きが楽になりますよ。とおっしゃいました、ごもっともです。ですが私はこの時「削れて腐っていた骨がテルテル坊主みたく再生したのは、私を心配してくださる皆様のお気持ちが集結した賜物に違いない」と思い。先生には、「まだ痛みには耐えられます、右足萎えちゃってるみいだけど、自分なりには左右後方にもびっこながらなんとかなってます、ですからもう少し自前で様子みます」と言いました。先生は私の意見を尊重してくださり、では定期的に診察して状態を逐一確認しましょうという事になりました。結局日の出から一日近く病院にいましたが、その帰り道「ああ、なんだか足はさっぱり動かないし痛いんだけと、骨頭が丸くなっていてうれしいな〜」などとプチ浮かれ持っていた杖を番傘かバトンのようにクルクルまわし歩いていたら、隣接するホテルの警備員に「そんな棒を振り回すと危ないですから止めてください」と
怒られました。私の右足、左右後ろと動かないそうですが、前には動くのですし、後ろ歩きする趣味もないし、カニじゃないんだから、横歩きもしませんし。前歩ければそれで上等ですから。「ああよかった腐り落ちてなくて、そして自分の事のように心配してくださる皆様ありがとうございます、きっと皆様の愛の力により関節丸くなってましたよ」と、果たして置換を行った方が正しかったのかもしれませんが、私は私にとって「真実」の選択をしたと思っている次第です。さて、明日は検査第二段「脳」です。



2008年1月20日(日) 23:32

モリノス

関西に住む従姉妹セツコ姉。前にも日記に書きましたが、100人の男がみたら100人とも振り向く美貌。さらにおそらく通天閣くらいの身の丈。そして世界涙もろい選手権が開催されたら必ずメダルが取れるだろうと思われる涙腺保持者。そんなセツコ姉から連絡アリ。セツコ姉には三人のイケメン息子がおり、その二番目がこの春に芦屋で結婚式をあげるので、式に来れないかとの事。ここしばらく身内事では喪服な行事が多かった所、久しぶりのおめでた事です。私は結婚式の出席を躊躇しました。実は私はどの結婚式に呼ばれても悪目立ちし(自分なりに地味にこしらえても)、新郎新婦の影を薄くしてしまう所があり、後日、新郎とか新婦新婦からプチブーイングを頂戴するので、この度従姉妹の子供という事は親族席なわけで、目立ったら失礼になるわけで・・・。で、出席をためらっていたのです。今朝セツコ姉に電話でその旨話しました「この度はおめでとうございますが、私が式にでますと、新郎新婦を食う可能性があるのでどうかと?」と言ったら受話器の向こうのセ
ツコ姐は全然動じず「ええ、それは承知しております。どうぞ御心配なく、式にはリュウタロウも来ますしウチの三番目の息子のキヤラも濃いですしね」と言われました。「!リュウタロウ!」同じく私の従兄弟なのですが、以前父のお見舞いがてらにリュウタロウは上京してくれて東京案内かわりに表参道に行き二人で歩いたのですが、リュウタロウ金髪そのスジ系デンジャラスオーラ爆裂にて、今は亡きセツコ姉の弟シゲトシアニキゆずりのオラオラウオークで歩き、私達が歩くとモーゼの十戒あるいは珍島物語みたいに人並みがリュウタロウと私を真ん中に左右にはけてくれたのです。皆ビビる)。あのリュウタロウが式にでるのでしたら、私も悪目立ち一人より二人の方が心強いなと思っていたら「それにねモリクン、私だってでるんですからね、安心なさい」と言われました。キャラ立ちいとこ勢揃い。美しき通天閣とまで異名をとるセツコ姐ですから、きっと黒の紋服の裾に金糸銀糸を織り込んだ柄の留袖に袖を通したらどんだけ綺麗かと想像するとワクワクしました。たまに会うセツ
コ姐は喪服着て目を真っ赤にしている姿しか、印象にないのですが。この度の式では素敵な留袖きて笑顔で会えると思うと楽しみです。式当日、セツコ姐は一番美しい留袖姿で日本一のスマイルで会えると思います。亡き父は病院で毎度同じ事を言ってましたね〜「セツコの運転は肝がひえる怖かった」と。なら会いたくないのかなと思うとセツコ姉がお見舞いにきてくれると「セツコの運転は乱暴だ」などと文句いうくせにセツコ姉に会った途端、父、セツコ姐号泣の場となったものです。セツコ姉?式の当日はワハハと笑える再会にしたいですね。セツコ姉?私は41才になりましたよ。 賞味期限は過ぎているかもしれませんが、モリノステンション及びテンションで、式場にウキウキとむかいます。よろしく。なんだか去年からぐずぐずしていましたが、セツコ姉と喋っていたら癒えましたありがとうございます。



2008年1月19日(土) 23:21

モリノス

イヤシロチ青山、続々と濃いキヤラ先生達が登場しています。原宿ニユーエイジセンターから進化しイヤシロチ青山へ。そして今年、チームができつつあります。思えば原宿で、なんだか知らない内に「霊感界の王子ビジュアル系カリスマ占い師」なる称号をいただいていた時代、実をいうと私はプチ孤独でした。楽屋話をするようで気がひけますが、ゴルチェ装束で竹下Stを歩いているだけで、キャーキャー言われてしまっていた時。実は私は職場で一緒の 仲間であるはずのスタッフやら御同業から、不思議なプレッシャー「モリノスは客に手をつける」「モリノスに関わると不幸になる」「モリノスに近寄ると生き霊をつけられる」など、珍妙すぎの噂をビユービユーと陰口を叩かれ、表参道で友人と食事をしていた時にはレストランでデジカメで盗撮され、インターネットで晒されたり、不愉快な日々がありました。私の耳にイヤーな噂が耳に入るとそのつど滅入ったものですし「文句があるんじゃったら、直にいいにこんかい!このドクサレがぁ!」と一人キレたものです。そこで
私がとった秘策は「だんまり」でした。と申しますのも、お客様が私を守ってくださったからです。つまり、あまりお悩みもないのにわざわざ私を心配して下さる方々がセッションの予約をしてくださり、売れっ子になったのです。また逆に私に対する暗黒な噂は逆にミステリアスに映ったらしく、集客効果がありました。私は「竹下Stモリノス大名行列(竹下口から原宿ニユーエイジセンターまでフアンの皆様が護衛につく)」をして、職場の階段を登り、セッションルームで支度をしていると同業から「あんまり目立つと、他のお客様に迷惑ですし、こちらもセッションルームで大声で騒がれると気が散ります」などと、私を不吉扱いした人に言われてさすがに怒り心頭キレた私は「それはごめんなさい、申し訳ありません、ですが、私なりに配慮しているつもりなんです、私の他にお客様がいらっしゃる時は注意のひとつもしますが、本日は私にしか予約が入っていないようです、アナタに予約が入ったら自重しますねニヤリ」とやはり私も性格が悪いのでしょう。こんなやわらかい毒を吐
いたものです。この度集結した皆様は全員が私に優しい配慮気配りをして下さいます。あの原宿時代の孤立感を思うと、これからはお客様が楽になれるように優しい仲間達と頑張って行きたいと思ってます。って新メンバーの皆さん、私が怖いあるいは老人だから優しくしてくれているのかもしれませんな〜。せっかく集まってくれた皆さんとイベントとかワークショップとか色々企画したいと思ってます。



2008年1月18日(金) 23:43

モリノス

「お行儀で得」。よく知人友人から、お前は行儀がよい、きっと良家にて厳しく作法やら優雅な環境で躾られて育ったオボッチャマだろう?などと言われますが、私は普通の下町の子供で行儀やらマナーなどはきちんと教わった覚えはなく、成人してからあちこちで赤っ恥をかいて、えらい目に合いその後自分で作法を体得したと思っています。学んだ場所はド演劇の研究所における講師先生達や、バレエや日舞の師匠における言葉攻めにより調教されたと思ってます「こんなことも知らないのか」「猿の方がまし」「靴もろくに脱げない」「使った道具もまともに片付けられない」「親の顔がみたい」「手つきが下品」「暗い陰気」「お里がしれる」など厳しい鞭打ちに必死に耐えさらに「私に習っているとよそで言わないでくれないかしら、私が恥かくから」とまで言われなんだか当時の私は世界で一番ダメダメな人間かもとマジにへこんだものです。そしてこの責め苦の日々に何の意味があるのか何のためになるのか?先生達はたんなるドSで憂さ晴らししたいだけじゃないかと疑ったもので
す。が後にこの言葉攻めは各所で効果を発揮しました。茶の湯の心得がないのにお茶碗を持つ時に貴金属を外す(茶器を痛めないよう)。末の席に座る、お店の格によっては食器を重ねない、人の正面には立たない、等、公の場では常に気を使いそれこそ「お里がバレぬよう」に心がけました。その結果今ではだいたいの場では「姿勢よく品があり育ちがよいセレブ」みたいにイイカンジで皆様を誤解させてあるいは騙してきました。が、そんなお褒めの言葉を頂戴すると「猿なみな自分を調教してくれてありがとう先生方!」と毎回感謝するのです。夜の電車内で有名私立校の制服を着た児童が菓子パンを食らう、若いサラリーマンが高級イタリアンで犬食いをする、高級食器屋で乱雑にガチゴチと陶器を扱う、これらを見ると、それらの人達が気の毒になります。私のなんちゃって付け焼き刃のマナーは案外間違ってないみたいで、それがプチ自慢であり、おっ!セーフ!みたいなカンジです。よく「自分はそんな所行った事ないし行かないから関係ない」みたく豪語される方もいますが、私的
には体得した方が色んな視野が広がるのにねと思ってしまいます。そんな事を考えている時に、きちんとした格好をしている婦女子が、大ヨッパで膝をガクガクさせながら「いやん」などと言いながら同僚らしき男子にべったり張り付き道路を引き回されて行きます。ありゃ〜世も末かねと思いますが、これって「今の若者はけしからん昔はよかった」などと言う、窓際エイジの人が言う定番セリフのような気持ちがして、ありゃ行儀はいいけど自分も年の功世代に突入かもと、得心しました。



2008年1月17日(木) 23:06

モリノス

バレエ友達Mと話をしました。Mは20代からアルバイトをしながらバレエのレッスンを続け、小さな舞台で主役を勤め薄給ながらもギャラをもらい今に至ります。バレエで生活できていないので自分では「プロではなく道楽」とバレエとの距離をとっています。またはバレエ魔宮に入り年をとりました。彼女は昨年秋に足首を故障して医者的にはポワントワを履くことは今後無理と言われたのに未だにトゥシユーズの稽古をしています。私は「履けないもん仕方ないね、無理したらバレエシューズも練習もできなくなるしな」と現実的に話しMは「アンタそんな事言ったってアンタの爆弾股関節なのに、ピンヒール履く練習してると日記に書いてあったじゃない?私には履くなというが自分はピンヒールを履くなんてなんかおかしい!」と抗議されました。「私はもう一度オープンクラスのバレエレッスンを受けるのが淡い夢ですが、物理的に無理なので、できる範囲で出来る無理はしょうと思ってピンヒール履いているのでね」と言ったら彼女は「私にとってはポワントワを履けないという
ことはバレエ卒業とへこんでいるんだけど?」と言われるので「自分の起きている事は認めないといけないしね、足首の事でバレエが続けられないなら、他に道みつけないとね、食べていくには手放さないといけない事もあるしな」と言ったら「それはわかるが今は実感できない」と言うので「そりやーごもっとも」と納得。結局体に負荷を背負いバレエを続けるそうです。私の持論ですが、もうできないと思ったらスッとこだわらなくなるし。去年までは特選素材のお食事を楽しんでいましたが、今はそれを食べるとせっかく安定してきたお腹がまた悪くなりますから、あんだけグルメでしたのに、今は美食はおろか、少量でお腹に優しい粗食が一番ありがたいのが本音になりました。人ってプチ境地になると、普通に今までを手放し新しい事を受け止めることができるモノだとあらためて思いました。渦中Mはこれから落ち込むでしょうし、ちゃんとした形でバレエはできなくなるでしょうが、それが訪れた時、現実を受け入れてくれたらなと思うばかりです。私は煩悩王子というだけ、歩く制
限、食べ物にたいするこだわりがなくなりましたが、まだまだやりたいことがあるのでバランスがとれていると思います。ってか、残る欲はハンティングというショッピングというのも、私的にどうかと思いますが、ワクワクがあるだけでも余裕あるかもと、思った次第です。人間生きて社会になんとなく参加してる間に色んな道を選べるよねと。これからの生活にプチ期待しています。ですから、どうかと思いますが最終的にはMに自分の好きにしたらいいと言いっぱなしにしました。Mは「そうね、ポワントワ履けないと自分が気づくまでまだお稽古するわ」と言いました。彼女の外野はしのごのいうでしょうが、人に言われての挫折は表現者にとって意地っぱりになりますが、素直に己を自覚できる時って自分の体が教えてくれますから。まだまだあきらめていないMを応援しようと思いました。



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