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2008年9月の日記
 
2008年9月5日(金) 23:07

 モリノス

モリノス

「迷い犬を保護した」。実家のマンションの住人の方からマンション理事会理事長に「通路に犬がいる」と連絡があり、理事長、母、私で見に行きましたら、小型な犬がウロウロとしていました。マンション住人の誰かが飼っている犬が脱走した様子です。理事長は心当たりの家に連絡をしてみたのですが、応答ナシ。私は犬の首輪についている鑑札を見たら、千葉県某市の登録ナンバーが刻印されていたので、早速千葉県某市の保健所に電話をして、経緯を話しマンション住人が飼い主だと思われるので登録者の名前を教えて欲しいと言ったら、受話器の向こうの係員は「個人情報なので教えられない、こちらから登録者に連絡をして見るのでしばらく様子を見て待っていて欲しい」との事。ゆるいっ!これぞお役所仕事っといったカンジでプチ憤慨しました。私は「では、お聞きします、犬はイキモノですが扱いは物ですよね?、しばらく様子見ろという事ですが、ウチだって見知らぬ犬を何日も面倒みれないんですから、取得物として交番に届けます、警察が関与したなら職権で、直に飼い主
に連絡をとってくれるでしょう?鑑札に番号書かれているんだからっ」と舌をまくしたててみたのですが、係員は怯えた様子で「たっ確かに仰せの通りですが、話が大きくなってしまいますから、お待ちいただけませんか?こちらも5時までは登録者に電話し続けますんで」と答えました。ゆるいっ!5時までしか電話してくれないなんて使えねー某市保健所!と憤慨リミット高くなりました。当の犬は飼い主とはぐれてさぞ寂しいだろうと思いましたが、犬は実家のソファで普通にくつろいでいたり、私を見ると無防備に喜び尻尾をフリフリ駆け寄ってきます。私は犬に「君はうちの子じゃないよ、さらになんか迷っているのに微塵も不安なカンジがしないね、もし飼い主が現れなかったら、ここでいいみたいに思っているね!?」と言いました。某市からの連絡はなく数時間経過、甥一号が同じフロアに引っ越してきた人の犬に似ているというので、私は恐る恐るそのお宅のベルを鳴らしました。インターホンから聞こえてくる声は警戒している様子でした。私は「お宅、犬飼ってませんかぁ、
白地に茶色のブチで目が離れてて少し太ってるやつなんだけど」と説明したら、インターホンはガチャリと切れました「無視かよ」と思いましたが、やがてガチャガチャともどかしく鍵を開ける音がして、中から困ってますって顔のお嬢さんが出てきました。お嬢さんは引っ越し中に犬が逃げ出したらしくあちこち探したが見つからずヘトヘトになってました。お嬢さんと私は実家へ。犬は人間が食べる上等なハムなんかもらっちゃつてちゃっかりしています。飼い主を見つけると胸に飛び込んで甘えながらも、我が家をぐるりと見て「なんだもう帰るのか」みたいなカンジでムカつきました。ここ本当は離れ離れになった人間と犬の感動的再会場面なのに!と思いました。無事飼い主に犬を渡せた私ですが、千葉県某市に暗黒モードで電話をかけました「あの、飼い主と思われる方がいて犬と会わせたら犬もまんざらでもないカンジでしたから、その人に渡しちゃいましたけど、よかったですか?」係員は「その方のお名前は?飼い主と確認とれましたか」と聞くので「だって名前はそちらが教え
てくれないんだから知りませんよ、そういえばさっき名乗っていたような、たしかサ・・・」などと本当はお名前をきちんと聞いて知ってるのに、融通が聞かないお役所係員をイジッたのです。「係員は、とっ登録者の方はサ○○○さんと記載されてますっ!」と慌てて私に言いました。私は心中にて「あれ〜、個人情報なんだからそちらから名前言っちやーマズいんじゃねぇの?」と思いましたが。「では報告まで」と電話を切りました。とんだ迷い犬とグダグダなお役所対応に時間がかかり、太陽子とちっとも遊べなくて残念な1日でしたが、鼻血を出し喉をゼリゼリヒユーヒユー言いながらも私の所に尻尾をピンと立てヨチヨチ歩いてくる姿を見ると健気でイライラが消えます。


2008年9月4日(木) 22:14

モリノス

「集中治療室に灯る命」。金沢からの帰途中、友人Yから着信アリ。共通の友人であり私と同学年Mがクモ膜下出血で救急で病院に搬送されたとの事。Mは幼児を持つ母にして仕事を持ち、家事と育児と仕事と親戚の面倒を見ながら生活をしている頑張り屋さんです。私はYにMの症状を聞き、都会のさんざめくネオンのもと歯噛みをしました。「今すぐに病院には行けない、明日も明後日も外せない用事がある」と苦悶しました。何もしないより鰯の頭も信心の例えのごとく私なりにMに遠隔で「気」を送りました。翌日、Yから着信アリ。12時30分からオペ開始、症状は三人に一人は死亡、術中に脳梗塞がおきる可能性が高く、術後も予想できないくらいの後遺症が発症するであろうとのこと、Yは受話器の向こうで喉が裂けるほど声を張り上げ私に訴えます。私は「わかりました」と一言Yに言い、Mの事を完全に眼中から外してセッションルームに入りました。休憩中もMの事を思わずサロンの仲間と下世話トークをしました。仕事が終わり、深夜に地元に着いた時にYに電話
しました。オペは21過ぎまでに及び、術後Mは高いいびきをかいて昏睡しているとの事。報告を受けた私は何か「イケる!」と無責任な確信を得ました。モリノス的生活の中、たまに重篤な状態のお客様をお見舞いさせていただく機会があります。変なジンクスがあり、私が病室に行けると回復し、行けない場合は今世のお勤めを果たし召されるという前例です。発症してから二日間、Mは長時間のオペをしのいだ。そして今日を迎え、Yと共に病院に行きました。私の心境は複雑、相手が友人である事で私が感情的になり冷静に「気」を送れるかどうか不安であること。行けたとしてもあまりの重体に私ごときでは、なにもできずただ死に行く友人Mを見ている事しかできない自分に無力をカンジ、冷静にMを見れるかどうか恐怖と不安にみまわれました。いざICUへ。入り口で滅菌し、Mの病床にYと向かいました。Mは沢山のチューブを体にスパゲティのごとくブスブスと指して頭に巻かれた包帯には手術後の失血と滲出液で汚れていました。私はMの枕辺に向かうと、Mは片側顔面
を腫れ上がらせていて、片目があかず、開く方の目で凄い目力で私の姿を捕らえると一言ゆっくり「モリノスさん・・・」とつぶやきました。私はすかさずMに、子供の事、仕事の事、家族の事となんの言葉をかけようと思案しましたが、私の口からMにでた言葉は「アンタ、いつも一杯一杯なのに、私と同じように猫を拾っては面倒見てるよね?猫達はMの帰りを待ってるんですからね、それにねM?私はこの夏チビチビの子猫を拾って母と共に育てているんだ」と言ってMの額に私の額をつけ太陽子の映像をMの脳に送ったらMは目を閉じ「カワイイ」とつぶやきました。「!」私は私とMのイメージの回線がつながった感触を得ました。するとMは、全身をよじらせ「痛てえよ!、クソーッ」苦しみはじめました。私は心を鬼にしてMに「痛いのは当たり前だよ、大変なオペの後なんだからね、でも痛いというのはそれだけ、感覚があるという事なんだから、感じる痛みは回復していく上での自分の体からのエールだと思いな」と言い放ちました。Mは力強く頷くと「モリノスさん、アタシ退
院したらコーヒー飲みながらタバコ吸いたいな」とワイルドすぎる発言をしました。私は「そうだね、アンタの病気の後は嗜好品はダメだと思うけど、退院したら、Yと私とアナタでこっそりコーヒー飲んでタバコを吸おうじゃないか」と言ったらMはやはり強く頷きました。その様子に私は泣きそうになりましたがこらえて「そうだねそれが私が知ってるアンタだよ」と答えました。体中にチューブを指して顔を腫れ上がらせたMの中に「命の火が燃え立つよう」に思えました。命と自分とのやりとりは大いなる存在と自分との勝負だと私は思っていて、他者がそれに立ち入る事はできないと思っています。Mは辛い病床の中、一言も「モリノスさん助けて救って」などという事をいいませんでした。私は正直自分自身が一人で己にふりかかる試練を依存という形、甘える人は大嫌いです。生きるって自分に負けない事、自分で己にふりかかった試練を克服し自分が自分に勝つ事だと思っています。Mは今にも死が近いかもしれないというのに、人に甘えるような人間ではありませんでした。そん
なMを誇りに思いました。ICUでの長居はできません。帰りしなにMは一言「モリノスさんありがとう、嬉しかった、でもモリノスさんも忙しく具合だってよくないのだから、無理しないでね」と自分が息絶え絶えなのに私を労いました。私は強い視線をMにぶつけ「アナタもね!」と行って病室を後にしました。私は命にかかりまだ余談が許せないMではあるのですが、本当に退院する事を強くイメージして、YとMと私で「ようがんばったね」と健闘を讃えて、それはおいしいコーヒーを飲みながら三人で紫煙をくゆらせながら談義するビジョンを描きました。生きようとする命です、神様、そこんとこよろしくと神に半ば強引に念を押し、Yと病院を後にしました。



2008年9月3日(水) 23:49

モリノス

「禁じられた遊び」。本日のイヤシロチ青山はなんだか忙しく、主軸のスタッフが揃っていました。休憩の時間にいつものごとくキッチンに行くと林さんが「お席温めておきましたワ」などといつも私が座っている冷蔵庫の隣りの場所においてある椅子を譲ってくれました。ウナギの寝床状のキッチンは私、林さん、金田さん、白石さんが丸椅子に座り、暑くて窮屈なのに爆裂トークとなりました。私が持ち込んだ先日いただいた漫画「聖☆おにいさん」を皆で回し読みして、そのシュールさに大笑い。爆裂トークはエスカレートしていつしかシモネタ話になりました。私と林さんはいつもどんな話題でもイケイケゴーゴーでしゃべりまくるのですが、いつもニュートラルな白石さんが「男性の鼻の形で××の××時形状が推定できます」などという説を爆弾を投下するかのようにこれまたニュートラルな口調で言うので、私と林さんの「エロススイッチ」がONになり、精神世界的かつ超哲学的な×××話となり、「ドハハハ」と笑いあったのですが、そのやりとりを聞いていた金田さんは仏
像のように固まった表情でなんとか笑顔を作って私と林さんの壮絶下話に付き合ってくださっていましたが、目は「私どん引きなんですけど」と語っていました。セッション終了後、部屋に飾ってある私が作った花器を皆さんが見てくれて誉めていただいたので、今までエロトークしていた私は「黒土に釉薬は白化粧をかけ筒型にしました、花材はポンポン菊、木苺の葉、吾亦紅を散らしてポップな秋を表現しました」などとエセ文化人のようにうんちくをのべ。皆さんもフムフムと秋の生け花をご覧になっていて破廉恥話からアートな雰囲気になったころ、そこへ林さんがギラギラ光るハンカチのようなものを持っていきてテーブルに広げました。ヘビ柄のヒモブラと共柄のヒモTでした。「いったいこのような隠しどころナシの水着をどうしたいのじゃ?」と林さんに聞いたら「あーん、今日はみんながくるから見せびらかして遊びたかったのよ〜」と言い、さっきまで華道家きどりだった私は、ギラギラとヘビ柄光るブラを頭にかぶり、ヒモを顎で結んだり、Tの方を額にぶら下げてエジプト
の神官のポーズをとり、皆で笑い転げていたら、ムスッとしたボスが登場。何もいいませんがその背中から「おまえらいい年してわきまえなさい」といったオーラを放ち、それを気にアゲアゲになっていた我々はそそくさと帰宅しました。楽屋話はお客様に伝わるのはタブーなのですが、これを一部始終聞いていたお客様がいたとしたら、イメージダウン確実と思いました。帰宅後鏡で自分の鼻を見て「この鼻だったら××はどんたけかね」と疑問に思い次回白石さんに聞いてみなくてはと思いました。ていうか、本日のイヤシロチのキッチンはサバト化していました。



2008年9月2日(火) 22:54

モリノス

「いちがいもん」。金沢の食べる物はどれも美味しく、いつもお食事を楽しみにしているのですが、この度はKさんの御案内で不思議なうどん屋さんに連れて行っていただきました。個性的かつ前衛的な店内、メニューはどれも趣向をこらした内容で、しかもネーミングは個性的すぎでどんなうどんなのか見当もつきません。どれにしようかとメニューをめくっていたらKさんが「モリノスさんなら、いちがいもんうどんなんていかがですか?」とおっとり微笑みをうかべおっしゃるので、私はKさんに「いちがいもんうどんでどんなうどんなのですか?」と聞いたら、Kさんはやはり穏やかな微笑みのまま「いちがいもんというのはこっちの方の方言で頑固者、ひねくれ者って意味なんですよ〜」と言い、私は頸動脈に低速に毒矢(舌)が刺さるのを感じました。「ヤラレタっ、油断した!いつも私の毒舌を浴びても超然としている受け身専門、受け身奥義微笑み返しを体得しているかと思っていたKさんにこんなドライブのかかった毒舌攻撃をくらうとは不覚なり・・・」とプチいまいましい気
持ちになりました。そして二人とも「いちがいもんうどん」なるものを注文しました。いざうどんがテーブルに運ばれました。「!」なんと!かぶれるのではないかという巨大な塗りの鉢型の器に沢山の具の入ったうどんです。これぞ「いちがいもんうどん」という存在感ありすぎの絶品でした。鉢の中に顔をうずめる形でうどんを食べる訳ですが、器に顔を近づけるとうどんの熱気が顔にあたり食べにくいのですが、Kさんが一言「なんかフェイスサウナみたいですね、うどんを食べながらお肌保湿・・・」。さすが普段から美容健康に意識をおこたらない金沢アロマ女神の御託宣と思いました。東京に帰ったら私のキャッチコピーは「占い界のいちがいもんモリノス」にしようかとプチ思いました。この度も充実した金沢でした。金沢の姫君達よ!どうか素敵でハッピーな秋を迎えられますように。 豊かな時間をありがとうございました。



2008年9月2日(火) 2:11

 モリノス

モリノス

「初富山、初おわら」。金沢での二日目のセッションが終わり、お隣の県の富山で300年の伝統を誇る「おわら風の盆」なるお祭りに連れて行っていただきました。私的には池袋〜練馬くらいな距離かと思っていたのですが、この度金沢に招いて下さったKさんの運転する車は高速に乗りました。しばらくすると左右は鬱蒼とした夜の森しか見えず、この景色はインドア派の私的には「うすら寂しくイライラして滅入る状態」に陥ってしまい、無言になってしまいました。私が野外嫌いだと知っているKさんはプチハラハラと私の様子をうかがっているようでした。Kさんは「なごみ系エレガント女子」なのですが、その穏やかな微笑みの中、男前なハンドル裁きでスピードを上げて運転をしています。そしてはるばると富山県に到着。すると全国各地のナンバーの車が溢れていました。皆さん「おわら」なる祭りを見に来ている方々らしく相当人気あるいは「レア」な祭典と思われ私の「おわら」に対する期待は高くなりました。お祭りが開催される地域はどうやら山の中腹にあるようで、そ
こまでは一般車は乗り入れる事ができず皆、総合体育館みたいな広大な駐車場に車を止めてそこから「おわら」の会場に向かうシャトルバスに乗り換えるカンジでした・・・。ていうか車を止めるまでに渋滞!。やっと広っぱみたいな所に車を止めることができたのですが、夜も更けていて私は「なんだか、プチ探検気分」になったのですが、ふと車を降りると脚に脳まで貫通するような激痛が走り「ガーン」とプチパニクり心が折れシャトルバスにさえ乗れば会場に着くというのに「なんかもうここでいいです」みたいな気持ちになったのですが、生まれて初めて来た富山県なんですし、これだけの人を集めるイベントをそうそう見る機会はないし、やはり見ようと思い、バスに乗ると持っていた鎮痛剤を水なしで服用し気合いを入れたのですが、しばらくするとワイルドな薬の飲み方が災いしたのか、目眩と吐き気に襲われ「お祭りを見る場合ではなくお迎えかしら?」などと冷や汗かいていたのですが、バスが町に着く頃には症状も落ち着いて、あたりを見回してみました。「!?」・・・。
なんか普通にひなびたゆるい商店街におびただしい数の人々が行き交うだけで、とくにたわいもないカンジなのです。私は「なんか大変な思いをしてここまで来たのにね〜ていうか、なんでこのゆるさに人が集うのか?」と不信と不安になりました。がKさんの案内でとある辻に到着すると「!」。左右に昔つくりの古く渋い建物がならび、柔らかい光を放つ灯籠がその街並みを飾っていて、それは気品に溢れて美しいのでした。道の左右には多くの人が座っていました。どうやら「おわら」の踊りが始まるのを皆さん待っている様子です。私は踊りが始まる前にトイレに行きました。女子トイレは長蛇の列。男子トイレはすいていたのですが、個室は一つしかなく、私は個室が開くのを待っていましたら、町の人らしきオジサンが「あれ?女のトイレは隣りだよ」と言うので私はオジサンをガン見して「知ってますよ!」と答えたらオジサンの顔は化け物でもみたような恐怖の表情になり無言でどこかに行ってしまいました。私は用を足し、Kさんが待つ人だかりの中に戻りました。しばらくする
と、なんともやわらかな三弦と 胡弓の切ない音色が美しい夜の町に漂い、哀愁を感じる民謡に乗せて、ゆったりと差す手引く手もあざやかに、網笠を目深にかぶった男女が舞い練り歩くのです。300年前のこの町にタイプスリップしたような錯覚をおぼえました。しとしととしながらも舞手達の指先と足先は「ツッと」緊張感がありとても高潔なカンジがしました。昔の風情を残した町の中を情感豊かに歌い奏で練り歩く様子は何か「祈り」と「鎮魂」を感じます。えらい思いをしてきた甲斐のある素敵なお祭りでした。夏の終わりと秋の訪れを優雅に体験できた素敵な一時でした。が、本音「やっぱり踊りは見るモノではなく魅せるモノだよね」と思い、転々と続くボウッとした明かり灯籠の下を練り歩く踊り手達をまぶしく、そしてうらやましく思ったのでした。


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