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2008年10月の日記
 
2008年10月16日(木) 3:27

モリノス

「満月と焼肉」。仕事が終わり陶芸教室に行きました。先に出来上がった花器の仕上がりが良かったので、違う形の大ぶりな物を先週から作っていて、今週はその続きで粘土を積んでいったのですが、大きな物かつ柔らかい粘土そしてわざと歪んだ形に構成したので、粘土を巻いていくと真ん中が膨らんだりして思うように粘土を積み上げて行く事が大変になり、面倒なので途中で首をしめて完成させようとしたら、師匠が「30pは積まないと駄物になってしまう、そこまでがんばったのだからもう少し高さを出しなさいそうしたら形、姿共に存在感があり、茶室においても恥ずかしくないものに仕上がる」とおっしゃるので、額に汗して粘土が乾いて堅くなったら一段積み、そしてまた堅くなるのを待って積むというのを繰り返し30pに達したので首をしめ花器の口をキメました。ふと師匠を見るとなんだか元気がなさそうだったので、私の作品が出きるまで遅くまで付き合ってくださり、お疲れになったのと思いきや、師匠いわく「奥さんが初孫の世話で数日留守をしているのでそ
の間、ろくな物を食べていない」とおっしゃりさらに師匠は「ということでこれから皆で焼肉を食べに行く!」と宣言され私は夜更けに焼肉は辛いと思いつつ、だが師匠の言葉は絶対断ってはいけないという、私なりの上下関係の掟に従い、ずいぶん遅くまで営業している焼肉店に行きました。師匠は遠慮せず沢山食べよ!という指令を発令、習い事において師匠の言葉は絶対の威力をもっていて、おしえをいただいている私には断ることは弟子としてはできない主義ですので、深夜に焼肉三昧をしました。さらにご馳走になるからには全部完食が私なりの主義なので、たくさん並ぶ焼肉をフードファイターのごとく次から次へとたいらげて生きました。隣の席に座っていた同じ弟子の女の子が「もうお腹一杯です」と言ったのですが私は「師匠が黒いカラスが白といったら白なんですし、習い事つまり陶芸の師匠は同義上は習い事の父でなんですから父の言うことは法律、習い事は間口が広く出口せまい、つまり師匠が破門と言われるまでは師匠に絶対服従が前提である」と同じお弟子である女の
子にうんちくを言い、師匠がオーダーしたものは私は完食しました。案外私は上下関係においては筋道を通したい派なので、沢山の焼肉を胃に詰め込みました。満月の夜、大作が完成しその後に焼肉屋にプチ強制連行され解散はさらに遅くなりましたが、私は案外理路整然とした得心の行く陶芸指導をする、師匠と、やおら深夜にお弟子達を焼き肉屋につれてくという豪快な師匠が案外好きだったりしたのでした。店をでると素敵な満月が夜空に美しく煌めいていました。花器をつくりその後の焼肉、体的にはヘビーでしたが、ワイルド陶芸師匠との食事において、あー陶芸やっていて良かったと今更思いました。私は破天荒な師匠に恵まれているとも思ったしだいです。よい満月の夜でした。



2008年10月14日(火) 23:18

モリノス

「昔から変わらない私」。私には高校生の頃からの先輩であり、夜遊び作法を仕込んでくれたとある方がいるのですが、その方は演劇やら舞踏とかモリノスパフォーマンスの時には欠かさず応援しに観に来てくれていました。本日その方と電話でお話をしていて昔話になったのですが、私は一通り舞台やら映画、TVとかVPにて通常の年頃のサラリーマンとかチンピラとか侍の手下とか貴婦人のダンスの相手役の貴族みたいな端役を貰っていましたが、その方いわく「アンタは普通の男役より、悪い女役の方がのびのびと楽しそうにやっていた」との事。思い起こせば女子の人数が足らず、足抜けする女郎をボコる置屋女将とその手下の姉女郎その1をふられた時には、簪をいたぶられる主人公の女郎役の人の爪の間に刺していたぶるとか、番傘でめった打ちにするとかした事を思い出し(あくまでも演技)、更には怨霊と化した遊女の霊がこの世の未練を断ち切れずこの世に現れ己の境遇にむせび泣いて成仏できないみたいな役もしたことがあるのですが、それの集大成ってモリノスパフォーマ
ンスの時の雪女とか六条御息所の役に応用できたのですが、私は普通の役より悪い役化け物系が自分の好みかどうかを別として、その集大成がプロレスにおける暗黒シヤーマンに集約されたのかとも思うのですが、表現者は常に色々な役を演じわける事でその力量を評価していただくのですが、私は本意ではないが得意な役柄だけでお客様の前に出ていたような気がしましたが、今更、普通のサラリーマン役をやる事もどうかと思い、好評いただいてる化け物役を機会があったらのびのびと表現したいと思った次第です。しばらくモリノスパフォーマンスを行っていませんが、先輩とお話している間に、なんだか、久しぶりに悪役主体の舞台をこしらえたくなりました。



2008年10月13日(月) 22:50

モリノス

「誕生月」。私は今月誕生月なのですが、10月を迎えプチ恒例で知人友人、お客様そして一部の不安の皆様からプレゼントをいただいたり、宴を催していただくのですが、今までですとプレゼントは非日常的な物(花束、アクセサリー、置物、香水、美しい食べ物等)だったのですが、今年はもちろんそれらの物を頂戴するのですが、体が楽な下着、メタボ対応サプリメント、シニア仕様ナイトクリーム、ナンチャラマスク(色々な生薬が配合されたマスク状パック)、健康腹巻き、病気平癒の御守り、挑戦人参エキスなど、老化対策グッズとしか思えないプチ切実な贈り物が増えました。いつもの秋は夏の終わりに秋物を揃えているのですが、最近の私の服装はコンサバでアクセも先日いただいた素直なカメオだけだったりするのですが、先日立て続けにゴツい系の私の好きなメーカーのスニーカーが作ったハイカットブーツをいただき、そして日曜日には長年お付き合いのあるS一家の皆さんからハワイのお土産で私の好きな渋谷系若者御用達の日本では高額のエドハー○○のシャツをい
ただきました。赤黒の格子縞に胸に牙向く虎が配置してあり背中にはブランド名がプリントしてあります。ゴツいハイカットブーツにサイケTシャツ、これを見たら、もう中年なんですからそれ相応の服をと思っていましたが、いただいた方の趣向「まだ守るな」とエールをいただいた気分になり、中年だてらにまだ若作り衣装に挑戦しようかと気持ちが起きました。四十路は惑う惑わない年代なんだそうですが、いただいた贈り物は元気グッズ三昧でしたから、ありがたく利用させていただき、新しい年を迎えるにあたり、挑戦的かつ挑発的な装いにトライしようと思いました。いただいた心づくしの贈り物にパワーをいただいたと思いました。



2008年10月12日(日) 23:18

モリノス

「姉と甥に心配される」。帰宅してから、友人Hと携帯で長電話してしまいました。文明の利器携帯電話は軽く着替えながら部屋を歩きながら通話できるのですから便利です。私は電話で身軽であるというのをいいことに、及び電話ですからこちらの姿が相手に見えないのでトイレでタバコを吸いながら通話を楽しんでいました。私は電話で会話モードになり調子に乗ってくると元々地声がデカいのにさらに大声でしゃべりまくるのですが、トイレで大音声で「えーっ!マジで!?そりゃすごいっ!ギャハハハーっ!」と怒鳴ってしまいました。電話が終わった直後、隣の部屋に住んでいる姉からメールアリ。「貴方、叫びました?話声の他に叫びが混じりマサヒデ(甥3号)と気味悪いね、誰?と話しています霊?」と私の安否を心配する内容でした。窓を少し開け換気扇を回し、ドアを閉め音がこもると同時に変に音が反響する声が会話だけではなく私の奇声が少し開いた窓から漏れ姉の家まで届いたのでしょう。ていうかトイレでエキセントリックに大爆音高笑いは「不気味な奇声」にしか聞
こえなかったのでしょうが、私の声をよからぬ霊扱いされて、心配されているのに微妙な気分になり、私の地獄声が姐親子を恐怖に包んだかと思うと悪かったなと思いつつ、秋の深い夜に突然聞こえてきた声に恐れおののく姉親子を思うと、腹の底から笑いがこみ上げてきてしまったのでした。



2008年10月11日(土) 23:51

モリノス

「健在」。地元付近の駅で下車、地上に出ると夜風が冷たく体を通り過ぎました。信号待ちをしていると道路の反対側に車椅子の老紳士の姿アリ。仕立てのよい上着に上等な靴、レイバンのサングラス・・・。車椅子の老紳士は存在感のあるオーラを放っていました。私は不謹慎ながらジロジロとその老紳士を見ていました。信号が青に変わり、電動車椅子の老紳士は私の方へ、私は信号を渡るので老紳士の方へ歩いていく形となりました。車椅子と私がすれ違うその時に、私とサングラス越しの老紳士の目が合い、お互いに「アッ!」と声をあげました。老紳士は私が昔お世話になった方で、私のプチ芸能活動を応援して下さった人でした。私はくるりと向きを変えて信号を老紳士と共に歩き、駅近くの路上にて久しぶりの再会を祝福しました。老紳士のYさんは何の仕事をしているか今から15年前の私には知らなかったのですが、特別使用の外車とかナンチャラナンバーのついた時計ですとか、オーダーのイタリアブランドのスーツとかを着ている豪快かつかっこよくバブリーなカンジの
初老男性だったのですが、私が脚を悪くし芸能事から退き占い師になり今に至る間のこの年月。彼は倒産寸前破産寸前、更に交通事故で片足潰し瀕死など疫病神に祟られたかのようなイタい人生を強いられたようなのですが、厄難が訪れてはかわし、事故に遭っても蘇ったという強運の持ち主で現在も多角的に経営をして現役でがんばっているとの事でした。私は「何の仕事をなさっているのですか?」と聞いたのですが、Yさんは「ヤ○ザ」とホントなのか嘘なのかグレーゾーンなカンジで返事をされました。Yさんは私に対して「昔から変な奴だったので覚えていた、醒めているのか無表情なのに迫力がある人間だった、ヤセ男なのに仏像の曲線をもつ体型だったが、総体的に、変だし怪しいし使い勝手が悪かった、今、占い師?適職すぎるっ!」とはやされているのかホメられているのか微妙なお言葉をいただきました。私は「車椅子がお似合いですよ、それこそ迫力満点!お元気そうでなによりです」と言ったら、今肺ガンで入院中で病室生活が飽きるので、外泊許可を出し、夕方からダラ
ダラと町を徘徊し、数年前に妻が他界したので、新しい嫁でもいないかと物色していた所だ。などとまた嘘かホントかわからない事をおっしゃいました。しばらくすると黒いワンボックスカーが到着、息子さんか社員かはたまた若いモンのどれかな男性が運転する車に乗り、私も送っていただくことになり、本革でやたら座り心地のよいシートに座った車内では昔話に花が咲きました。帰り際に「近々お見舞いに伺います」といったのですがYさんは「気を使うし相手するのが面倒だからこなくていい」とサラリと言われ私も「じやー行きません」と言い返したら「占い師なのに本心も計れないのか」とおっしゃるので「じやー行きたいので参ります、ガンで逝ってしまう前に処世術、社交術について御意見頂戴したく、御指導御鞭撻よろしくお願いします」と慇懃に言ったら、老紳士は「じやーツクチャンだけは特別に病室に入っていいよ」などと急にオロオロ声で言うので「そんな嘘泣きしてっ」とこちらも鼻を詰まらせやっと言ったらYさんは「ああ思い出したツクチャンは若い時分から毒舌
家だったな」と言うので「はい、この毒舌はYさんから学びましたから」と応戦しました。Yさんはしばらく沈黙した後に「俺は今の携帯がよく使えないしメールを打てないから、来るときは電話して」と携帯番号を教えてくれたのですが「Yさん病室で携帯はダメなんですよ」とさとしたらYさんは「俺は肺ガンなんだから治外法権」などというのです。いつまでも毒舌意地っ張りトークをしていたら病人には障ると思い、Yさんと握手をしたのですが、骨ばかりになっている彼の手は枯れ葉のように軽くその重さに彼の普段の過酷な闘病がしのばれ、我慢できず鼻水たらしてしまいましたら、Yさんは細くなった手で私の手をギュウギュウ握り「ツクチャン!泣くの早いよまだ俺は棺箱に入ってないよ」と捨て身な冗談をYさんはいいました。かっこいい!波乱の人生の末に肺ガン。しかも本人は「ならしょうがない」みたいな境地にいるので、達観されていました。若い頃の私にYさんは「ひがまない、あきらめない、比較しない」とよく言ってくれていたのですが、人生何か窮地に立たされ
たときにはこの三原則で気持ちを切り変えて己の人生を歩くと、かっこいい車椅子老紳士になれそうな気がしました。15年ぶりのバッタリ再会、物理的にはYさんに残された時間はあまりないかもしれません、ですがいきなり再会を御縁を大切にして、しばらくしたらマイペースやりたい、ヤ○ザかもしれない、Yさんのお見舞いに行こうと思った次第です。お見舞いに行くときは昔の写真と今の活動で撮影した写真などを持っていき私の写真を肴に笑ってもらったらお見舞い作戦成功と思ってます。



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