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2010年3月の日記
 
2010年3月27日(土) 0:35

モリノス

「稽古場にて…」。桜咲き、雨なのに月が冴え冴えと輝く今夜…。明日のスターを夢見るっていうか目前の舞台を目指すヤングな子達が、立ち稽古しているスタジオに行きました。午後からの読み合わせから台本を持っての立ち稽古に進行が中々うまく行かないようで、煮え煮えなカンジ…。指導をする友人Aが、休憩と発声しても脳内スキヤキ状態の若者達は目の下を黒ずませ、お互いを批判しはじめるという、演劇の稽古中にありがちなローテーション味噌糞トーク…。私的には、芝居で食べていけてないのですから、しのごの言わずに演出家やら指導者に素直に従っていたら無駄な時間も無いのにね〜と思いつつ、若者だてらに意地の張り合い生産性のないパワーゲームトークバトルを、無表情で見ていたら、隣のスタジオの中がチラリと目に入りました。金髪碧眼、鑞のように白い肌をした外国人達が、すごい真面目な顔をして、おじぎというか土下座を神妙な顔でしあい、合掌したり、膝を折ってロボットみたいに歩行したり挙げ句に切腹的な動作をしています。皆さん全身稽古用の、紙
一重肌色全身タイツ…。私はAに「あの人達はナニをしているの?」と聞いたらAは「サッパリわからないけど、効果音とかに般若心経とかが流れているのが聞こえてきて怖い」との事…。私はAの生徒達にダメ出しのひとつもするつもりで、すえた匂いの痛んだリノリウムの床のスタジオまで来たのですが、変な動きをする白い人達に興味を覚え、ガラス越しに、正座もどき(脚が長いので正座っぽい座り方をするのだが、お尻が踵にのらない)で、ひたすら土下座する行為を見ていました。 しばらく見てると、室内からジロッと「ナニ見てんだよ」みたいな鋭い視線をお見舞いされ、私も盗み見してプチ悪かったと思い、深々と頭を下げたら、ドアが空き、猛禽類みたいな顔をしたガタいのよい女子が中に入れみたいな仕草をしたので、困ったな怒られるのかな?と思い、また一礼して室内に入ると、シナリオ的な紙が見え、たどたどしく英字を読むと「MISHIMA」とあり、察するに、この人達は三島由紀夫の演目のナニかを、台詞ナシでダンスか舞踏で表現したい人達なのかもね
と推測しました。リーダー的なガタイのよい鷹のような顔をした女子が「ユーノーノリト?」と聞きノリトってノリト?ハッ祝詞!?と気づき、彼らの使っているBGがどういう意味か知りたい的なカンジだったのですが、私の英語力では「貴方達の使っているBGMは祝詞ではなく、お経なんですけど」とは言えず、しどろもどろ…。しかしてやっと「ワットイズ?」と聞いたら「ワオイノウウエイ」と答え、私はチンプンカンプンながら更に推理…。おそらく、三島由紀夫近代能楽集の中の「葵上」を、外国人だてらに舞踊表現する人々だと思われたのですが、葵上は合掌とかおじぎ連発、切腹さらにバックミユージックお経で表現という、訂正も解説も英語で出来ない私は「グッドラック…」と言い、外国人連中がいるスタジオを出ました。光源氏の正妻を夜な夜な呪いに来る光源氏の年上の愛人、六条御息所の苦悩的なお話で、私も若い時に何度かパフォーマンスで演じた事がある演目だっただけに、あれこれうんちくのひとつも述べたかったのですが、あんなに礼儀正しい挨拶しまくりの
果てに切腹…。いったいこの外国人達は、葵上をどう解釈し、発表するのだろうか?と、本番が見たくなったのでした。更に友人Aの助っ人に来たのに、変なおじき外国人達の練習を長々見学し、結局はAのチームには何もコメントせずに帰宅した私でした。暖房がイマイチな稽古場でシュールな出し物を長時間見て、体が冷え切ったのは言うまでもありません。



2010年3月25日(木) 23:58

モリノス

「香港からの電話…」。最近すっかりサボっている茶藝…。ていうか結論的に、煎れ方やお道具さばきを徹底しなくても、極上の茶葉使っちゃったら誰でも美味しくできるんじゃないの説。あるいはお点前の席で私が使っている頂いたモノは、どれも希少やら末端価格な世界の逸品なので、弘法大師は筆を選ばす、モリノス様は茶葉を選ぶ…。なカンジでナメてかかっていて、呼ばれたら神妙な顔して、そそとしてたら何とかなるさと、甘く見ていたのですが、今夜香港のティーマスターから電話アリ…。前みたく、茶具とか茶盤の使用法を訪ねてこないのだが、精進しているのかね?的なプチ呆れたカンジで聞かれました。ティーマスターは闘茶とか、香港の茶藝コンテストとかにエントリーしているのですが、私の昨今の音信不通に業を煮やして電話をした様子です。ティーマスターいわく、才のある者が修練しないのは恥だ的な事を言い、日々、稽古しなさいと、戒められ、ごもっともとプチ反省…。思えば熱湯を扱うのですから、熱いモノに触れる緊張感がないといくら、よい茶葉使っても
、所作とかがダメダメだと、お客様がドン引きしますから、茶葉まかせにせず、日々せっかく道具があるのだから、久しぶりに茶盤の前で練習しなくちゃねと思ったのですが、ティーマスターは私に戒めた割には、やっぱよい茶葉だよね〜と今まで私にうんちくを述べておきながら結論はそっちか〜と思いました。寒い日々が続きましたが、もう春なので、今一度、茶藝の練習をしなくてはと謙虚な気持ちになったらティーマスターは、今、香港は買い物お得だよ〜来ないのなどというので、香港に行こうか?とプチ魔がさしましたが、察するにティーマスターも、茶藝師で日夜あれこれ技を修練している中、ちょっと気晴らしというか、寂しくなっちゃったから、私に電話してきたのかなとも思いました。



2010年3月24日(水) 23:34

モリノス

「夢は叶った…虚栄の果て…」。先日、大学病院の検査の帰りに時間つぶしの為にデパートに寄り、Bの売り場に…。すかさず店員さんは私の腕やら指を見て「ZとCの御利用ありがとうございます」と私の虚栄ツボに入るお言葉を賜り、そのままカウンターへ…、このブランド125周年アイテムを見て、いいなと思う品の色違いはないですか?と尋ねると日本に入荷する予定は無いとの事…。セーフ…。で、色違いがあったら考えないでもないけど残念ですねフフフと、店を後にしました。その後日、銀座のBタワーをひやかしたつもりがこれまた虚栄スピリットが働き、小物を二点お付き合いしたのですが、この時にも、日本に入る予定がない品を、ダメだと言われる事を前提に「ないですよね?」と聞いたら、丁寧に店員さんは調べてくれた結果、日本に在庫ナシ、今後も入荷予定ナシ、買い付けに行く時期もあるのだが、その品を日本のBに卸してくれる可能性は薄いとの事…。では海外なら手に入れられるのかと思いきやイタリア本国ならゲットできる可能性はあるが、他国の場合はわ
からないとの事…。私は九割ホットし、ボリューム多しの一割は「希少、日本入荷ナシ、他のわかりやすいブランドとは違うがさりげなくBの125周年のロゴ入り、流行ってないけど誰も持ってない」という、これまた私の虚栄スピリットをグングン刺激したのですが、入手困難という事で、あこがれのまま夢を抱いていよう…。と気持ちを諫めたのですが本日、休憩中に着信アリ…。銀座のBタワーからで、イタリアに一点しかない在庫を手配して貰うことに成功しましたが、いかが致しますか?と言われ、私はBの上顧客様々ではないのに、こんなに最短で、動いていただいた事に満更でもなく、一人悦に入りました。で、「じやーいただきます」と答えました。受話器を切り、ため息…。夢は叶ったけど、私のお財布力が足りず…。やった希少モノが手には入るでも…と虚栄の果てに悶々としている今夜でした。去年までショッピング煩悩は消えたかに見えましたが、今年になってショッピング煩悩が再燃。言い訳は、年寄りになってから手に入れても爺さんが身につけるには似合わないの
ですから、今買わないとねみたいなカンジなんですけど…。ダメ?。



2010年3月23日(火) 21:26

モリノス

「シャングリラ談義」。本日、それぞれアーティストだったり、歌舞音曲のおしえだったり、演出家をしていたりする友人達に会い、昨日、私が衝撃と極光が体に突き抜け、感動を超え静寂の境地に達した演目・シャングリアの事を話題に出したら、この度の夜会の参加者がこの度の公演を観た、日本初演時を観たという事で、シャングリラ・白孔雀、聖霊の舞い爆裂トークとなりました。主演ダンサーはすでに70年代に孔雀の舞の前身を踊っていた…。ってじやーあの舞台に乗っていた人は何歳?さくっと勘定しても、30年は孔雀を踊り今に至る、年齢不詳すぎ…。上半身の筋肉の使い方が、バレエの瀕死の白鳥とはまったく違う…。主演ダンサーは幼い頃貧しい境遇でありながら、どのダンスも習わず、独自で踊りに精進。若き日に歌劇団に入団したが、京劇やバレエのレッスンをボイコット、ペナルティを受けながらも独自の振りステップにこだわり、孔雀の舞いを完成、初期の孔雀の舞いは、形態模写のようなまんまピーコックダンスだったが、年を重ねる内に孔雀の形と聖霊の心を所
作に取り入れ、今に至る…。といったようなカンジでした。同じテーブルを囲んだ現役のダンサーや舞踏家は、同じ舞人としてその表現が、これからどんだけ精進しても神の領域には達せない事を白孔雀の舞を観た時に自覚せざるを得なかった。など、やはりこの白孔雀の舞いを観た彼ら彼女の反応は、うらやましいとか私にもできる、あるいは競うという意識にはならなかったようです。 ですが、あのシャングリラを見て、やはり衝撃的に感化されたメンバーは、それからの自分達が乗る舞台、稽古する意識も変わり、己のエゴが消え、無心で本番に挑むように心がけているとの事…。また今更だけど主演ダンサーは踊る時常に指先に意識を集中し続けないと、その時点で舞は壊れる、孔雀を舞う間は体力ともにボディラインも変えられないと、中国だけでなく、世界公演でチケット即日完売街道のアーティストなんだから、贅沢したりちょっとはグダグダしてもよいのじゃない?と思うのですが、おそらく彼女は自分の舞を観た人達になんらかの影響を与えてしまうという事を自覚し責任
感を持ってるので、日頃からも体調管理にストイックなのでしょう。 などと、シャングリラトークをしていたのですが、結局、アーティストの天才、秀才は常に何かをイメージして発想し、歌舞音曲でそれを披露する、披露するときに普段練習をしてないと体がついてこないから稽古しちゃうよね〜。と神の領域に達せない表現者達はそれでも、毎日何かを考えて、創ろうとし、稽古もしたゃうよねといったカンジで意見一致となりました。 私の杞憂は今年も、足がカタワな占い師ごときに、舞踊や演技所作のおしえをこう明日のスターを夢見る若者達がいるのですが、昨日の白孔雀観ちゃった私的には、かなり自信がないなと思いつつも、いつもとは違った感覚で、微力ながらこれから出会う若者達に私が出来る事知ってる事を伝えていけたら、と思った次第です。



2010年3月22日(月) 22:58

モリノス

「シャングリラ」。中国は雲南省の少数民族の歌舞音曲をアレンジした舞台を観に行きました…。のっけから有り得ない展開!。重低音からハイトーンまで自在に操り、舞い歌い、打楽器、笛の演奏、歌は三拍子、ステップは二拍子、手拍子は一拍子…な難易度高すぎなテクをアッサリおびただしい数の出演者が当たり前のようにこなして行くのです。民族舞踊は神々に奉納するものだったり、儀式にとり行うものが起源だと思われるのですが、演者達は、太陽の神、月の神、大地の神々をまるで呼び込むように舞い歌い楽器を鳴らします。そしてまるで人間達の呼びかけに誘われて、白孔雀の精霊演じるこの度の主役のダンサーが登場…「!」。舞台上にはダンサーではなく、白い孔雀そのものがいて、孔雀がたたずむ様、羽根をつくろう様、羽ばたく様などを、静寂に体の関節を酷使して表現して行くのです。その姿は舞いの領域を超え、どんな状況であろうとも必死に生き抜く人間に、希望をもたらす為に束の間降臨した、神が孔雀に化身した姿のようにしか見えず、美しい、感動を通り越し
、人間では無いモノを見たような、恐れと畏敬をカンジ、背筋からゾーッと冷たくなって行くのを覚えました。バレエでもない、洋舞でもない、日舞でも京劇でもない、孔雀の精霊の舞いは、客席を支配し、座席で見ている私は、自然と心身が癒えて行くのを体感しました。カーテンコールの時に感極まったお客様が、嗚咽したまるで泣きじゃくり、その声は客席響き渡りました。白孔雀を演じるダンサーは、その泣き声に動揺する事なく淡々と、アンコールに応じ満月のセットの中に、孔雀として入り込み、月光の前に羽根を休めるようなポーズをして超然としています。その姿を見た号泣されていたお客様は、まるで赦されたかのようにさらに声をしゃくりあげて泣いていました。 終幕後、スモーキングエリアでは、舞踊家やダンサーっぽい人達が、紙みたいに白い顔になり放心した様子で紫煙をくゆらしていました。私が思うに多少なりともショックを受けたのではないかと思います。自分の表現がお客様に感動をもたらし涙を頂戴する事はあっても、ダンサーの超越した演技が見てい
る者に感動とは違う赦しの境地にまで至ったのですから、舞にしても歌にしても、楽器にしても、シャングリラの主役ダンサーには到底かなわない更に、自分達が今までこだわり抜いてきた技が秒殺されたような気持ちになったように私の目には映りました。この度の演目は芸事を志す若者達には、目標や憧れになりましょうし、プロの表現者はこのダンサーにはどんだけ頑張ってもかなわないという事を自覚せざるを得ない己を知る機会になったと思います。私的にはこの度のシャングリラを観劇した後に、この目で神の領域に達したアーティストの舞い姿が、ずっと頭の中に残像として残り数時間、孔雀の残像が頭から離れず現実に戻るのに大分時間がかかりました。舞踊の神髄を見る事ができ、幸せだったと心底思った次第です。



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