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2011年3月の日記
 
2011年3月21日(月) 21:02

モリノス

「今日の報告…」。雨の一日でした。私用で都内にでる。今や節電の変則的運転の電車にも慣れました。放射能を警戒してか、マスクにコート、その上からビニール製の雨合羽を着た人達を見る。私は背負子タイプのカバンを持っていないので、これまた薄暗いデパートの旅行鞄などを扱っているフロアに行きましたが、耐久性とか防水性のスーツケースとかリュックは、安価ではないのに売り切れ…。ここでもやはりトランクは楽しい旅支度の時に選ぶと気持ちも上がるが、この時局に旅行用品を見るにも気持ちが滅入ります。その後、知人の事務所に出向きました。コマーシャルとか小さなイベントを企画するこの組織の部屋は、まだ片付いていず、書類とか小道具みたいな物が床に散乱していています。どうやらパソコンのデータが削除されてしまったらしく、バッグアップ(?)の作業を頭を抱えて試みる知人。そこに次々と知人の携帯に着信アリ。チャリティーイベント開催に向けての相談らしく、知人にモリノスもいかなる形でもよいから、チャリティーイベントに参加して
くれないかと打診されました。脚の不自由な私がチャリティーイベントのメンバーになるのは、迷惑になるかと思い、その旨伝えたら、これま根拠なくモリノスなら大丈夫と言われました。私ができる範囲で参加できたらと思案する私でした。帰り道、駅構内のパン屋は食パン一人ひとつまでとお客さんを呼び込んでいます。その一声にパン屋に長蛇の列が並びました。東北の被災地に比べれば関東はまだマシ。ですが東京も地震の影響を受けまだ、都市機能が回復していません。まだまだ落ち着かない日々が続いています。長期戦ですね。皆様心穏やかに、ネガティブなイメージを持たず、日々を乗り越えて行きましょう。


2011年3月20日(日) 23:38

モリノス

「今日の報告…」。朝から整体院の受付に白衣とマスクで座る一日…。まだ首都圏交通網金縛り状態であるのに、患者さん達が次々と御来院。そして様々の震災時の体験を語ってくれました。岩手でまだ御親戚の安否が確認できていない方、倒れそうな食器棚を支えて、しばらくして汗をかいたかと思い額を拭うと、顔面血だらけだったという方、帰宅難民震災当日帰宅できず、次の日も交通がどれも遮断され、結局二日がかりで家に戻れたという方、第二次世界対戦を経験された世代の方は、爆弾より怖かったとの事…。皆様受付ごしに、私にお話をしてくれます。私はマスク面でコクコクとうなずくばかりでしたが、皆様、辛い経験をした後さらに進行中だというのに、お顔にはハリがあり、元気な様子でなによりでした。もうすぐ桜が咲きます。震災前の元通りな環境かつ、まだ押し寄せる天災の余波を進行形で生活をしなくては行けないのですが、皆様の元気な様子に、一筋の光明を感じた私でした。


2011年3月20日(日) 1:51

モリノス

「今日の報告…」。出張セッションにて品川の外れの方に出掛ける。私鉄、JR共に相変わらず運行が不安定。車内、駅構内はやはり大きなカートを引きづり早足で改札口に向かう人達が多いようです。私は急ぎ足で駅を行き交う人々の速度にあわせられず、往生しました。で、乗り逃してはイケない!。と来た電車に乗り込むと快速だったりして、目的地に行くまで何度か違った電車に乗ってしまうという冷静を欠く事態となりました。で早めに出発したおかげで、無事定刻に目的地に到着。この度招かれたのは長年の友人でもあり、体の不自由な子供達、お年寄りの施設に携わる、ゴクセン系スタッフT邸。彼女の部屋の一室で、Tとその仲間たち(ほとんどが福祉に関わる仕事をされてる)をセッション。このような時局に、モリノスを必要としてくれ呼んでくれるというのはありがたい事です。このチームTは近い将来それぞれの資格や技術を活かし、円滑に子供達やお年寄りをお迎えするスーパー組織を夢に目標に、頑張ってる神当たりなかっこいい人達です。私は年二回
ほどチームTに召還され、リーディングを行い、終了後はそれぞれが持ちよった手作り料理を囲みワイワイと、自分達の理想や夢、今なにすべきかを語り合い情報交換といった流れなのですが、この度はみんなお喋りなんだけど、ちょと空回りなカンジ。震災の渦中に子供達を守り、いつも気にしていなくてはいけない状態で、いつもよりテンション低いけど、やはりチームTはタフ。皆で談義している間に大きな地震アリ。参加者は携帯を開き、それぞれゆかりのある人と安否確認。グラグラと揺れている最中に、いきなりTは「モリノスイチゴたべる?」などと平然としていました。通常ですと夜更けまでT邸にどっしり腰をおろして、遅くなった時においとまなカンジでしたが、Tの腰がソワソワしている、何事ぞと聞くと、さびれた駅近くにスナックがあり、お年寄りがたった一人で地震後に節電営業で店をあけているが閑古鳥な日々だという。で、T邸談義を早々に切り上げTの指令によりそのスナックに出向く事になりました。民芸品が沢山かざられる店内に肩を丸めたお年寄りマスタ
ーが、ぽつねんと座っています。Tの思惑、地震からも店をたった一人で営業を続けるマスターが心配、そして滅入ってるだろうと、チームTは、お年寄りマスターを元気づけに店に入る、Tの思惑を理解できてるチームは自然な形で、着席し無意識以上確信犯なテイで、カラオケスナックをハイテンションで楽しむ。しだいにお年寄りマスターの目に力が入る。ミッション成功。Tの自然な配慮見事。私の係はこれでしょうなと思い、明るくカラオケに興じました。色々な歌の歌詞。地球、出逢えた、世界が終わる日になにを考えるだろう、二人の幸せが続きますように、というのは詭弁かもしれませんが、言の葉が胸にしみるような気分でした。帰り道タクシー乗る、ネオンがない幹線道路は、やはり覇気がなく、後部座席で滅入る私…。元通りには期待できないですが、活気ある復興の兆しの感触を得たいと思った私でした。


2011年3月19日(土) 0:02

モリノス

「今日の報告…」。落合に出勤。電車内はキャリー、トランクを持ちマスクをした人達が多い。楽しい旅支度ではないと思われ沈鬱な気分になる。乗換駅においては幼子にもリックを背負わせた四人家族がどこへ行くやら大荷物でJR線の改札口に向かっていました。乗り継ぎよく順調に事務所に着き、準備をした後にラジオを聞く、ラジオなんて何年ぶりに聞く事でしょうか。久しぶりにスタッフMr.TT出勤。遅い時間に鑑定が終了、Mr.TTの嫁、M月が車で事務所まで来てくれました。思えば今日であの地震からちょうど一週間がたちました。この一週間私達が体験しこれからも進行形の惨事の中、M月の顔をみたら不覚にも双瞳がゆるみ危うく涙腺が全開になるのをこらえ、ヘラヘラと会話。帰り道、夕食をMr.TT一家と食べる。ファミレス、要町豊福、か○ぱ寿司、本当は豊福に行きたいが、時刻も遅いし、サクッとという事で、Mr.TT一家三姉妹次女ミサがか○ぱ寿司に行きたーいアゲアゲなカンジだったので、ではそこへと移動。安売り回転寿司、私は子供達にこ
このお寿司はカッパが握ってるのサなどとうそぶく。入店するとボーリング場のような店内。入口で赤い札を渡される私、意味がわからず、フリーズあげくにその赤い札を店員に返そうとしたら、M月がその札をとり、この番号の席にすわるのよと言われ、私は「店員が席まで案内してくんないの?自力で行けと?」とM月に言うと「あんたどこの殿様だ」と言われました。この非常事態につきレーンを回るのは生物なんだけど冷凍なネタが少量むなしく回り続ける。憧れのか○ぱ寿司にこれたミサ楽しそうで良かった。寿司の味を楽しむのでなく、カッパが乗ってる新幹線が寿司を運ぶのが無駄に楽しい。三女マユ、玉子焼きを落としただの食べたいだ食べないのとぐずるので、おまえな玉子焼きごときでグダグダ言ってろ、その代わりお前が大人になった時に、お前が3才だった頃に玉子焼きごときでグズッた事を言ってやるっ、覚えているかなっ!。と意味不明にイジめる私…。この非常時にM月とビールを飲む、飲んでる場所はともかく、Mr.TT一家と夕食を食べれる事をいとう
れし、被災地で苦しんでる方々を思うと、か○ぱ寿司でも贅沢な時間。会計のため店員を呼ぶ。店員食べた皿を勘定してテーブルに置く、私はテーブルチャージじやないのっ?と天然に言ったらまたM月に「だからどこの殿様だよ」突っ込まれる。これからも不安な日々が続く中、たとえか○ぱ寿司でも皆で食事ができたことは幸せな一時だったと思う。スピリットよ、せめて、親しい者達と、楽しく美味しい食事ができるくらい、回復をと祈った次第です。


2011年3月17日(木) 23:40

モリノス

「今日の報告…」。停電とかどうなるのだろうかと思いつつもPNF筋力トレーニングへ行く。出掛ける前に実家にて昼食。古希な母の部屋は、落ちやすいモノとか仕切りが取り外され整然としたカンジ。その中にこういう事態に全く役に立たない猫三匹が西日にあたりぬくぬくと寝ています。母いわく、もしかしたら被災地のお年寄りとか、幼子とか行き処がなかったら、何人かはこの部屋でも寝泊まりできるのではないかと思ってなどと、凄い!、母の神当たりな発想にお見それした私。確かに一理アリ。今後東京もどうなるかはわからないが、安全と思われる場所に仮設住宅を建て、そこに家屋敷を失ってしまった人々が住むというより仮設住宅建設の期間、被災を免れ水も電気も通じている住宅に受け入れるという案は、私的に素晴らしいと同時に私の母の意見マト得てると感心した次第です。さて現在の東京で電車に乗る、そして移動というのは脚の悪い私的にはかなりなチャレンジ。一応折りたたみ式の杖をバックに入れ出かけました。やはり電車は超混んでるか、あるいは薄気味
悪いほど空いてるか極端。時刻表が頼りにならないので、早めに動き一か八かで駅に立つといった事態。ありがたいことに最近の私は萎えた右足に力が入るのでギュウヅメ電車右足重心でも傷まない。PNFの研究所に着き、帰宅の事もあるし、停電も予測つかないから今日はサクッとヤっちゃいましょうニコリ〜。とトレーナーのS先生がおっしゃるので、ズルな私は心の中で「ああ、今日は楽できるわい」とほくそ笑み背術台に。「!」。悪い右脚より、首背中肩がかなりイッちまってる自分の体にビックリ、やはり地震による疲労が体にきていたかと、S先生の指が硬縮した首に押圧される事にしみじみ感じる私。だんだんと体が楽になってきて、今日はこれで終わりだろうと思っていたら、助けて〜な悶絶トレーニングが待ち受け、今日はサクッとと言いませんでしたっけS先生トホホとナーバスになる私でした。最近の状況にやはり私もどこか動転しているのでしょう。家から持ってきた折りたたみ式杖は、PNF筋力トレーニング研究所の更衣室でバックをのぞくと、杖ではなく、
護身用の飛び出し式警棒(イベントの時に小道具として使った、さらに強烈なストーカー被害にあった時に常に携帯していた)だったのでした。こんな時に警棒何の役に立つ?、無駄に職質くらったら、どう言い訳したらよいのか?。帰り道、駅構内に整理の為に配置されているK官あるいは、それっぽい制服を着た警備員を見るたびヒヤヒヤして帰宅したのでした。


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モリノスの部屋