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2013年9月の日記
 
2013年9月12日(木) 19:31

モリノス

「最近の奇行」。年甲斐もなくDSなんかをやってる私なのですが、ゲーム本体にすれ違い通信なるモノがアリ、電車内でゲームに興じていると見知らぬチビッコ達が各々DSを持って近づいてきます。DSを起動している同士が近寄るとお互いのキャラがお互いのDSに入り込み、なにやら特典(?)があったり、すれ違い通信をしたらできるゲーム等があるのです。最初は近寄ってくるガキがうざいなと目力で威嚇していたのですが、すれ違い通信を利用している私としては奴らと接触した方が自分もゲームを楽しめる訳で、最近は電車に乗ると、ガキとか学生やヲタクな輩を見つけると、さりげなく横を通過し見知らぬ人のキャラを頂戴するという奇行をしています。一番キャラが集められる地域は高田馬場駅ロータリーの大学生や専門学校生が、待ち合わせ場所としてワラワラと集う地帯なのですが、ここに行き、しばらくDSのスイッチを入れて滞在していると夥しい数のキャラを集める事ができて重宝だなと思ってほくそ笑むものの、高齢者の分際でゲ
ームを楽しんじゃってる自分てどうなの?と思いつつ、すれ違い通信で集めたキャラ達で捕らえられた王様を救うゲームに熱中している次第です。


2013年9月11日(水) 22:15

モリノス

「ヨコハマメリー効果」。先日ゲットしたDVD、横浜の伝説の街娼のドキュメンタリー映画を、私の独居中年男女に連日貸しまくっているのですが、この作品を見終わったらすぐに返して感想を言えという私の御無体な命令に従った友人達は、皆DVDを私に返しながら、ポロポロと涙をこぼし「辛かった」「かっこよかった」とかいいながら映画のそれぞれの見解を言っているうちに号泣滝涙となります…。っていうか私がこの作品を貸している相手の職業が演劇人だったり、フリーのライターだったりフォトグラフアーだったり風俗でアレ系で現役な輩ばかりを狙いましたので、サラリーマンと違い、できだか制でオアシをいただいてる連中なだけに、30代〜70代後半まで、白塗り家無しで横浜に棲息していたメリーさんの生き様とかメリーさんの友人の末期癌のシャンソン歌手のコメントなどを画面で追っていくうちに胸中の琴線鳴りまくりと、どんだけ自分が孤独かって事に気づきガン落ちしながらも、朽ちる寸前まで横浜の街で奇人扱いされながらも生き抜いたメリ
ーさんの生き様に感情移入注入といったカンジだったと思われます。で皆この映画を観て滅入った途端に死ぬまでナニにしがみついても生きてやるみたいな気持ちになったようで、最初はモリノス、なんてモノを見せやがったなっ!という怒りスピリットから、イイモノ見せてもらってありがとうという事態となり、DVDを貸して怒られ感謝されるという珍妙な展開になった次第です。ちなみにメリーさんが横浜から姿を消した時期は私が29才の時で、その頃私は原宿でビジュアル系カリスマ占い師という肩書きをいただき、確信犯的に奇抜な衣装にロン毛にメイクという姿で竹下通りを闊歩し「アノ人ナニ?」「毎回違うゴルチエ着てるよね」「占い師らしいよ」「治らない病気らしいよ」などと原宿雀の間でプチ話題になり、ソノ後に「原宿で当たるユニセックスでバブリーな占い師がいる」みたいな噂が広まり雑誌なんかに見開きで登場したり、当時発刊されていたゴスロリ雑誌にモリノス装束が記載され、以来なんだかもう止まらなくなってコスチユームがどんどん過激に
なっていた時代でありました。思うにメリーさんも、のっぴきならない事情で、白塗り白ドレスにしてしまってから、街の陰口に応えるべく白塗りがエスカレートしていったのかな?とも思いました。私も後何年モリノス稼業を続けられるかわかりませんが、目指すはメリーさんの様な生き様だっ!。と鼻息荒く思っています。まず手始めはイキナリ白塗りでセッションをしてみようか?などと無駄に考え…いやいや白塗りだったらしよっちゅうヤツてんじゃないか?暗黒プロレス組織666は白塗り専売特許じみているしな、などとも思案していたら、あれっ?横浜のメリーさんの存在や生き方を最近知ったが、モリノス生活的には、かいつまんだカンジでメリーさん的生活を踏襲しているっぽいかも?と思った次第です。自虐が好きな私は、いつしかモリノスが落合の町から占い業界から姿を消したと思われた時、池袋とか新大久保の裏町猥雑エリアで白塗り姿でタロットカードを手に「占いはいかが?」なんて町行く人のお袖を引いてるかも?いや引く気満々かも〜?。という華々し
い転落老後人生を過ごす夢みてしまう私でした。変?。


2013年9月10日(火) 23:55

モリノス

「PホテルのNグリル」。あれはもう15年くらい前になりますか…。都内に次々と外資系のラグジュアリーホテルがニョキニョキと建ち始めた頃の事、ソレに先駆けて新宿にPホテルというアメリカンな超高層ホテルができました。当時はこのホテルに泊まれるあるいは食事に行くというのが社会的に成功した者とか成り上がりピーポー、超見栄っ張りの間でステイタスになったものです。ホテラーだった私的にはこのホテルの安売りプランを見つけては出張セッションで利用した事がありました。今宵はセレブマダムFの御招待をいただき、このホテルの52階にあるNグリルでの会食となりました。昔のNグリルといえばドレスコードがあり、どんだけブランド物でもダメージのかかったジーンズとかは入店できませんでした。更にソノ店の利用客は外人か新宿の夜王に嬢王やインテリヤクザがソレゾレ衣装を凝らし得たいが知れないが諭吉に不自由はしてませんよバブルはじけちやったりリーマンショックなんてあっても懷痛みませんな輩が客席をしめていたものです。で、私はP
ホテルは常宿にせず、ちよっとサラブレットなやんごとなき御方々が利用するFホテルの方に行きました。さて、久し振りのPホテルか?じやーどんな服装で行こうかと思案した結果、やはりPホテル仕様の猥雑上品下品なシーンで行こうと思い、髪は前髪を盛り元っいを高く絞め変速ポンパにしてみたら、思いの外ベテランホストかオカマバーのママか?みたいになっちゃったので、それならそれでと思い、黒のドレススーツを着て踵7センチのYSのヒールブーツに、同じくYSのミューズのバッグを持ち、ヒカリモノもこれ見よがしに装着した所、上から下までバッグ宝飾品に時計を合わせるとだいたい3百万円を超える、ちょっとやり過ぎた感のある仕上がりになってしまいました。でホテルの正面玄関でタクシーで行きドアマンに車のドアを開けて貰うと、私の満艦飾ないでたちを見たホテルスタッフ達が集まってきまして、色々聞かれました。おそらく「もし金持ち客だからないがしろにできない」「ホストだったらお取り扱い注意」といったカンジだったと思われ
ます。いざ、52階へ途中階で乗り換えて選ばれし者しか乗れない専用エレベーターに乗り52階へ…。「!?」フロアの客席を見て「なんじゃこりゃ?」。お前らごときにはまだ早いよコノ店はと思うTシャツにデニムの若者とザラだのなんちゃら21あたりの吊るしの洋服を着た若い娘がしたり顔で座っていたり、その他の席もファミレスに行くような洋服を着た人達がポツンポツンと座っていて、閑散としています。あな!。華やかなりし頃のNグリルのきらびやかなお客は過去の者?、Nグリルもドレスコードは無くなって、来た人は誰でもどうぞになってしまったのかい?っていうか、当時のNグリルを意識して盛装した私の方が店内で異色を放つ事となりました。マダムF達とアメリカングリルのボリュームのあるお料理をお喋りしながら食べていたら、窓際のTシャツカップル達がフラッシュを炊きます。なんなんだ?と見ると運ばれてきた料理を写真に撮っています。察するにFacebookとかに乗せる写真を撮影しているのかと思いますが、私か
らしたらラグジュアリーかつパブリックなエリアで食事を一端止めて料理を写真に納めスマホでコメントしてるらしいTシャツカップルを見るにつけ、この子達、馬鹿なんじゃないか?運ばれて来たお料理に写真撮ってないでさっさと食えよ、っていうかアンタ達が写真撮ってる間中、フラッシュは元よりシヤッターを切る音が店内に広がり、他のお客が落ち着いて店内や夜景を楽しみながら食事をしてるのに嫌な思いをしてるんじゃないかって思いもしないのか?とプチ憤った次第です。さて、マダムFとその御友人マダムSとの談義は、回りの底辺客席を尻目に見つつも爆裂トーク、ゆっくりと長い時間をかけて食事をし会話をするという、素敵な一時を過ごしました。なんだかんだいっても夜景の見渡せる空間での会食は日常の生活をつかの間忘れ、リラックスできました。願わくば、お客の質がもっとましだったらもっと快適なお食事だったろうにと愁いた次第です。


2013年9月10日(火) 0:42

モリノス

「夜更けの妖怪姉弟」。月末にモリノス姉が琴の演奏会に出演するのですが今夜、姉が私の部屋に衣装から髪飾り、和化粧のセットを持ち込み、弟の私から厳しい検閲を受ける事となりました。みるみる部屋にあざやかな大振袖が広げられ(アラフィー孫までいる姉が着用)、最終的にどの帯にして、ならこの半襟に伊達襟つけて帯揚げはコレ…帯締めはソレにと弟の私が組み合わせて行き、トーシローだったら絶対にしない独自なコーディネートにしました。続いて挿し物を決めたのですが、実際つけたらこうなるよというお試しに私自身が髷を結いソコに、私が元々持ってる頭掻や櫛等を挿して姉に見せるというフトゥーの姉弟ならありえない場面になり、私はフト引き出しを開けてタマカンを出して見ました。私は鼈甲の軸に珊瑚のタマカンの簪と黒塗りに白のタマカンを男だてらに持ってるのですが、大振りの櫛に銀の蝶の挿し物に白いタマカンを己の頭に盛り、更に大玉のパールを沢山ちりばめました…。姉がつける髪飾りの類いを私がつけて姉がその具合を見るというこれま
た、奇天烈な事態になってるのですが、我らが姉弟においては当たり前の事…。姉妹が洋服とか化粧品を貸し借りするみたいなカンジになってます。で仕上げに姉が舞台化粧用品店で買ってきた、水おしろいに油のバーと白粉を出してイマイチ要領が自信がないという事でしたので、これまた私の顔を土台にして化粧を試してみました。鏡前で油のバーでチヤッチャカと地塗りをしてその上から白粉をはたき、水化粧で顔から首胸元襟足まで塗り、またその上から白粉をはたく…。私も白塗りには慣れているだけに作業はチャッチャと進み、和化粧におけるチークとかアイメークを施し目張りを入れたら、年増芸者のような仕上がりになりました。姉は私がメイクをしている手順を写メで撮りまくっていました。ここでも弟が姉の化粧を教えるという奇妙な展開となってます。が私達姉弟の中では日常茶飯時なので、この光景をみた人がいたら、なんなんだいい年をした姉弟が夜更けにメイクをしてるって異常と思うでしょうな…。私には姉の下にもう一人の姉がいたのですがソノ姉は幼いころに他
界しました…。真ん中の姉が生きていたら、長女の姉と次女の姉はこんなふうに過ごしていたんだろうなと思った次第です。また真ん中の姉が生きていたら、きっと三人でこのような衣装選びとか化粧の仕方について、三人寄って相談したんだろうな〜。なんてプチ感傷的な気分になった次第です。


2013年9月9日(月) 1:33

モリノス

「白塗りの神」。白パン、黒パン、唖パン、男娼、洋パンの元締…。戦後の横浜から現代までを綴った的なドキュメンタリー映画を観ました「ヨコハマメリー」。横浜界隈で外人相手に春をひさいでいた街娼パンパンの中にメリーさんという人がいて、戦後彼女が30代に横浜に現れパンパンとして伊勢崎町当たりの街角に立ち客を引きしかも的にかける相手は高位に当たる外国人兵隊か裕福な日本人だけというカッケー姐さんだったそうです。やがて時代の変遷により売春禁止が実地され、メリーさんは職を失い無一文に…。その時から顔を白塗りにして白のレースのワンピースを着て横浜界隈の繁華街を徘徊…。そして転落人生の果てに老年期に達した時に白塗りホームレスとなりました。雑居ビルの廊下にパイプ椅子を置き大きな荷物を置いて寝起きするという生活が始まっても白塗りを止めずに通し、人の施しを受けずに暮らしていたとの事…。元パンパンでホームレスになったメリーさんはアチコチの店から出禁となってしまうのですが、それに屈せず白塗り姿に大荷物を持って横浜
を闊歩…。この映画ではメリーさんの友達である元男娼であり末期癌のシャンソン歌手が物語の進行を務め、そしてメリーさんに縁がある人がメリーさんの思い出を語る内容なんですけど、30代から70代後半まで横浜で白塗りを貫き通したメリーさんのお話は波瀾万丈スギ更に、メリーさんが横浜にいた頃には彼女の事を皇后様、キンキラさんと呼ばれ神出鬼没の奇人だったみたいです。映画は末期癌を患った元男娼のシャンソン歌手が、横浜から姿を消した彼女の消息をたどり、メリーさんの前で自分も末期癌だというのにメリーさんの前で歌うといった内容なんですけど、キツイ時代を共有した盟友の再会という感じでした。この作品はメリーさんにまつわる人達とか著名人のインタビユーシーンが連なっているのですが、皆さんホントの生地獄生きるためならなんでもしましたを体験した方々なので、これまたインタビユーだてらに迫力のある映像でした。インタビユーを受けた人達がなぜメリーさんは白塗りをしていたかを御自身なりの見解を美化めいた感じで力説しているの
ですが、私はなぜメリーさんが白塗りをして老婆になるまで町に立ったのか、意味がわかる気がしました。画面を追いつつ白塗りの意味を体感した私は滝涙を流した次第です。更に元男娼だった末期癌のシャンソン歌手が、物語が進むにつれどんどん面やつれしながらも、歌なんか歌えない状態であるのに、メリーさんに向けて、出ない筈の声を出し歌う姿を見ると、己の生き様最後まで通します的な気迫が伝わり、私は憐れみも持たず彼の熱唱を全身震えながら画面を見ました。やっぱり時代の移り変わりの中で鉛を飲まされるような生き方をした人は底力があるなと尊敬した次第です。ましてメリーさんは洋パンからホームレスに落ちても白塗りに顔を固めて、オバケ、幽霊、キチガイ扱いされながら更に家ナシでありながらも毅然と気品を失わず、波乱の時代を暮らしたというのはモリノス脱帽お見それしましたと敬服した次第です。白塗り白装束は過酷な生活やら偏見を跳ね返す生きるための戦闘服だったのかもなと思いました。


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