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2013年10月の日記
 
2013年10月15日(火) 20:06

モリノス

「紙屋悦子の青春」。先日数年ぶりに電話でお話をした、私が新劇の演劇研究所の生徒だった頃の恩師F先生が選んだ脚本は「紙屋悦子の青春」。終戦間近の九州を舞台に特攻兵と庶民の家族の物語なんですけど、この脚本をさらってみた所、戦争を扱っている作品なのに爆撃だののトンパチも無く、食卓を囲み当時の状況を取り入れソコに淡い恋が描かれているのですが、日常会話の中に反戦とかの意味が沢山込められているのですが、台詞は淡々とゆっくり進みます。この芝居を演じる俳優陣はなんせ会話が淡々なものですから、強烈に演技が上手くないと、グダグダなモノになってしまい、更に舞台には食卓があるモノですから、物資配給の食物を食べながらあくまでも淡々なので、俳優は戦下の中におきてる日常を会話しながら消えモノ(演じながらホントに食べる)をしなくてはならないのですから、それは大変な事です、口にモノが入ってる状態で台詞を言うのですから…。っていうか、舞台の大半ナニか食べてるんですから、お稽古中はその練習はいかばかりか?と心配し
ていた矢先、恩師F先生から舞台のチラシと共に手書きで一筆、全員「本気」で各役創りに魂を注いでいます。必ず、良い舞台にします。とありました。恩師F先生の気迫が伝わる文章でした。同封されてあるチラシには「赤飯は赤飯らしく、らっきょうはらっきょうらしく食べたかとです」と書いてありました。恩師F先生が80才にしてこの芝居を通して今を生きる人々に伝えたい事がわかるような気がします。本番は来週なのですが、今から楽しみにしている次第です。


2013年10月14日(月) 22:34

モリノス

「宝登山」。秩父三代神社のひとつ山信仰犬神信仰の宝登山に行ってきました、インドアなモリノス何様だてらに…。この宝登山に行くにはなんと近いことに地元私鉄の終点から秩父鉄道に乗り換えて行けちゃうのですが、車窓が紅葉にはまだ早く、青々と山深くなった途端にインドアな私なんですからイライラし、ネオンが無いっ!建物が無いっ!とプチ滅入りました。車内はえっ?たかが秩父あたりの駅近くにある山に行くのにそんな本格的な装備なんですか?な登山服の人とか、山ガール(?)お洒落登山ルックなピーポーを見受け、逐一気に入らない私でありました。で、ひなびきったカンジの長瀞駅(?)に着くと、フトゥーの軽装をした物見遊山な人達とシッかと登山武装した方々がそれぞれ嬉々として駅前にそびえ立つ白い大鳥居を目指して歩いています。私もレツの友人Yと、その連中に交じり、宝登山神社に初参拝をさせていただきました。ソノ後は少し歩くとロープウェイがあり山頂に登らずとも、5分でロープウェイ乗車で奥宮まで行けると
の事でさびれて大丈夫なんだろうか?と心配になるボロなロープウェイに乗り山頂にある奥宮にまで行きました。インドアでありながらも、ここまで来ただけでも私的には神業です。奥宮の鳥居をくぐるまでの長い階段をウームウームと唸りながら上がり、狼(犬)の狛犬が左右に配置してある社にて手を合わせました。境内にて休息していると、占い師だてらにアンチニユーエイジを豪語している私も御神気を感じざるを得ず、境内に漂う素朴で心地よい地場気場にしばし身を委ねました。なんだか身体の澱と心の邪心やら魔心がスイーッと落ちていくような気分になりました。でまた長い階段を降りて、なんですか近くに小動物園なるものがあるとの事で、じやー行くかと歩を進めたら、とんだ山道に入り込んだと往生していました、山道の下から登ってくる人に「コンニワー」なんて声をかけられます。「!?」えっ!ハイキングや登山ですれ違う時にコンニワーと声をかけあうマナー(?)習慣(?)だっ!。あなどっていたがこの山は、登
山の地帯だと今更に気づいた次第です。で、ソノ小動物園に行くと、入口付近の年寄り達はベンチに座ってグッタリしています。更に動物園とは名ばかりで断崖絶壁、急斜面に、ウサギやら山羊やら鹿に猿なんかが檻の中にいるのですが、ヒーヒー言いながら、山の中にある獣舎にたどり着くとイノブタが一匹寝ていたり、急階段を降りてはるばる行くと普通のニワトリがいたり、大きな敷地に鹿を放し飼いしてある所に行くと鹿達は物凄く遠くにいて、広っぱにいる見物客を無視…。谷底にある猿山では日本猿がキーキーとエキセントリックに騒いでいるといった様子でした…。ショボい動物達を見終わった後に待ち受ける苦難は、山の上から中腹までヘタレアニマルを見に下ったので帰るためには来た道を上らなくてはなりませんでした。入口のベンチで年寄り達がグッタリしていた理由がわかった次第です。そして又、朽果てロープウェイに乗り下山…。ちなみにこの山は昇りも下りも自足で歩き通すか、山頂に登った後には帰りの下山は徒歩という人も多いと聞きました。下界に降りた私は
次に長瀞の川、ライン下りが名物な岩畳のある所まで歩いていったのですが、ソノ山と川と岩畳の景色の美しさに心洗われ、インドアのくせになだらかに突起した岩畳の上に腰掛け、山道歩き回った疲れに、この岩畳地域に滞在すると体が癒えていくのを感じました。秩父なんて長瀞なんてと失礼ながら小バカにしていましたが、自然満載の宝登山界隈をうっかりインドアなのに堪能しちゃった次第です。


2013年10月13日(日) 20:40

モリノス

「モリノスを形成した人物」。先日、あの若き日に心血注いで、稽古着を汗にして演劇に情熱をかけていた時期…。ソノ時の私はコンプレックス亀甲縛り状態かつ対人恐怖どもりなカンジで超閉鎖的だったのですが、私が草鞋を託していた新劇の演劇研究所の顧問であるF先生は「お前さんには誰にも真似ができないお前さんらしさがある、誰に何を言われようがお前さんはお前さんらしくありなさい」と言われ、F先生は私の持ってる「ナニ」かを演劇という手段でおしえを通して導いて下さいました。私がF先生から学んだ事は意識的に長時間集中力を切らさない事と、空間を支配する事…。そしてとにかく後ろを振り向かず歩んでいく事でした。F先生のおしえが身についたおかげで、どうでもいいそこらの協調性の無い変人に成り下がる事にはならず、F先生が叩き込んでくれたスピリットが、「盡田モリノス」の礎となっています。モリノス的生活も早いもので来年には20年になろうとしています。そんな昨今、渡世の縁により今朝、疎遠御無礼をしていたF先生と電話でお話する
機会がありました。F先生御年80才との事…。80才の恩師と五十路峠を昇り始めた生徒の私の会話は積もる話に花が満開になりました。なんでもF先生は10月の後半から御自身が一年かけて演出を手掛けた芝居をいかにも新劇な小劇場で上演するとの事、ついては盡田には絶対観て欲しいとの事…。疎遠だった盡田と話ができてとても嬉しいとの事…。なんともありがたい限りでした。一方私は、私に躾をしてくれたのは実の父ではなくF先生と思っているF先生と会話しているうちについ甘えた弱音がでました…。「先生、私ももうすぐ五十になるんですよ、脚を患いましても生きてくためには働かなくてはなりません、最近は目も遠くなり体力の衰えに怯えつつも、なんかしらイベントとかプロレスにたまに出演しているのですが、疲れてしまって…」などと愚痴をこぼしまくったらF先生は「お前さん俺なんか80才になるんだよ、100才まで舞台に立つ表現者もいるんだ、それに比べたら80才なんてハナタレ小僧だよ、お前さんには体を張るってことがど
んなもんかを伝えてある、俺は生涯現役を通すからお前さんも何かあろうが体を張りなさい」と叱咤激励されました。F先生がこの度それこそ体を張ってこしらえた演目は「紙屋悦子の青春」というもので、終戦間近、神風特攻隊の二人の青年と一人りの紙屋悦子の交流を描いたものらしいのですが、後でネットで調べてみますと、劇中の台詞に「死んだとです。…もうおらんとです、そいけんあいつの分も私はあなたのことば、大事にせんといかんとです」とありました。さてさて80才はハナタレ小僧だと豪語する80才の恩師F先生がさばく試合もとい芝居がどんなものであるのか?想像ができるようで、できない…。おそらくF先生はこの芝居を私に見せて、80才の自分だって生涯現役で言葉を大切にする事にこだわる演出家活動をしているのだから、お前さんも俺の背中を見てついてこいと、エールを送ってくださってるなと思った次第です。さてさて舞台本番が楽しみな私なのであります。


2013年10月12日(土) 22:56

モリノス

「陰湿な日課…」。日の暮れるのも早くなり夕方五時を過ぎると薄墨を流した様に空が徐々に暗くなり、やがて夜になると深い闇の中に月がボウッと光る今日この頃…。最近の私は何を思ったか、三島由紀夫の短編集などを自室で誰に聞かせる訳でもなく音読し、その文字の!日本語の煌めく宝石のような美しさにイッてしまい、独り耽美ナイト満喫で悦に入ってます。っていうか三島由紀夫の文章は比喩や情景描写が今は使われていない日本語とか公家華族などが使っていた言葉がしっとり踊り狂っていて内容も実はネガ盛りでエロス残酷加味と私は思っているのですが、黙読すると速読派な私的には文章の裏とか奥に潜む、お耽美とか魔を読み落としてしまうのですが、声に出して読んでみるとソノ残酷さとか退廃的な賛美めいたモノを見つけ出す事ができて、おお!なるほど!みたいなカンジで関心したりしています。なんか芸術家めいた事をのべましたが、独り夜更けに室内に干しした洗濯物がある中に間接照明だけ、化粧前の元でトランクス一丁でせり出た下っ腹をさすり
ながら「わたしの気持ちには隠遁ともなづけたいような、そんな、ふしぎに老いづいた心がほのみえてきた」「その羽二重のしとねのようにふっくらした右手が、胸にさげたいぶし銀の十字架にそっとふれていたかもしれない」「あたりにちらばう日光(ひかり)のおびただしさをみた」なーんてフレーズを時には、たんたんと時には過剰に抑揚をつけて重低音ボイスで読んでいます。変?。


2013年10月11日(金) 23:18

モリノス

「クリーニング屋難民」。自宅で養生や洗えない衣服はクリーニング屋に持っていくのは当たり前なんですけど、都内とはいえ最も物価が安く生活水準が酷いという、卑しい民草棲息地帯で長年暮らしている私は、地元ではマトモなクリーニング屋が無くっていうか以前利用していた駅近くの大規模小売店に入っていたポニークリーニングという店では、麻でできた白いライダーズジャケットにパイピングは牛革というお贅沢なお気に入りのモノを出したら麻と牛革のツナギ部分が洗濯したら破れちゃったとの事でポニークリーニング側としては、なんと持ち主の私の許可なく、ライダーズジャケットの縁取り全部のレザーを剥ぎ取り、勝手に違うペラッペラッの白い革をソコに縫いつけるという、私からしたら失神しそうな事をしてくれちゃって、激怒し弁償しろ、もう一回勝手に縫い付けちゃったクソ安物の革の糸を全部抜き、元々あったアンタらごときの目には到底一生判断できないでだろう上質だった剥がした革とジャケットを返せ、この服を買ったブランドに修理を頼むからと息巻いたの
ですがポニークリーニングからしたら、好意でつけかえてやったのに心外だみたいな答えが帰ってきたので、なんじやソリヤーと思いその場で消費者センターに事の次第を言いつけ、ポニークリーニングのヤった事が悪いと判断されたのですが、店員は会社がやった事なので受付の自分にはわからないというので私はソノ場でメッチャクチャに縫い直された愛着あるライダーズジャケットを、店内にハッシと投げ捨て店を後にしましたが、そのアトは音沙汰なし…。でその次には家の近くにあったクリーニング工場が隣接してる店を利用し、あらかじめ洗う際にはこうして欲しいと話しをして、ソコの店ではうまいこと信頼関係を持てたのですが、ソノ店近頃閉店しました…。って事で地元で安心してクリーニングをお願いできる店が無くなり往生していました。そんな今日は八万円くらいしたロングシャツをクリーニングに出したかったのですが、地元でどこにも宛もなく、駅近くにある激安クリーニング店を利用したら、ライダーズジャケットの惨劇再びになる事は必須と思い、年上の友人のセ
レブマダムに電話をして「ちやんと仕上げてくれる確かなクリーニング屋さん知りませんかね?」と聞いたら「アラ〜、そうねクリーニングでしたら宅はオークラでしてよ、○○さんは帝国を使ってらっしゃるようよ」とそうざますか…、いくら八万円のシャツでもさすがにオークラだの帝国まではるばる汚れ物を持っていく気持ちにもならず、結局は池袋の百貨店に入ってる白洋舎に行ってみました。受付スタッフもそれは丁寧な言葉使いで、シャツをためつがえつ見て「お客様、これは難しい生地で作ってありますので洗うのは難しゅうございますけど、当店なら洗えますよ」と、言ってくれました。白洋舎も高いだけでイマイチとの評判も耳にするのですが、受付スタッフの、丁寧に衣類に接する所作と、自信を持って胸はってお任せくださいという接客に安心感を覚えて、シャツを白洋舎に託した次第です。さて仕上がりはいかに?もしダメに仕上がったら、やはりオークラか帝国に行くか、白洋舎でもダメだったら他に新しいモノ飼えばいいやと、モリノス何様思考になりました。


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