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2017年1月の日記
 
2017年1月21日(土) 23:44

モリノス

「気韻」。私が出版の機会に恵まれて、一時書店に並んだ黒表紙に白ヌキ、私が暗黒シャーマンに扮した写真で異彩を放ったっぽいエッセイ「いい加減!目覚めなさい!・開け幸せの扉」という本の中に書かせていただいた「自分はがんばっているのに」という項目に登場したKさん…。この文章を書いた当時、Kさんは占いの勉強中で目標はモリノスさんを超える占い師になる事ですとおっしゃっていました。そんなKさんが超久しぶりに本日落合の事務所に御来店…。しばらくお会いしない間にKさんの水際立った立ち姿に唖然、しかも身体の後ろからは気韻ともいえるオーラが満ち溢れています。本日は私に見せるためにとKさんが普段、お客様を鑑定するコーディネートでいらしたのですが、黒のシャツパンツに真紅のロングニットをフワッと着てアクセントにゴールドのアクセサリーをさりげなく装着…。モリノス装束は黒でゾベリと奇抜奇天烈禍々しい加味なのですがKさんのこしらえは、エレガントで上品な出で立ちとなっています。ソレがさりげなくも清楚で、ソノ姿を
見た私は、KさんはKさん独自のスタイルでお客様に挑んでいるのだなと頼もしく思いました。さてさて占い師による占い師相手のセッションがスタート、Kさんは昔は苦労もしたが今は伴侶も得て安定した暮らしをしていて幸せです柔和な表情で言います。。その言葉を聞いた時、長年Kさんとの御縁の中での彼女の苦労を知っている私的は嬉しく不覚に涙腺がゆるみました。大きなお悩みも無いのに鑑定を受けにきていただいたKさんは、私の入院オペから今に至るまでそれが落ち着いた頃を見計らって、セッションの予約を取って私の顔を見にきてくれたのでしょう。Kさんは私の快気祝いがてらにホールのケーキを持って来てくださったのですが、仕事が終わりそのケーキを見てみると、ホールのケーキでプレートに私に対する応援メッセージが書いてありました。そんなKさんの配慮が心に染み、しばらくそのケーキを見ながら、Kさんの占い師としての成長と普段Kさんがどの様にお客様に接しているかをイメージした私は、Kさんの占いの内容、お客様の反応が伺いしれ、Kさんの占
い師としての成長と成功を感じて、他人事ながら嬉しく思った次第です。


2017年1月20日(金) 22:40

モリノス

「占いを受けてしまった」。寒い一日、仕事が終わり私用で都内某所に行きました。待ち合わせの時間まで間があったので喫茶店にでもと思い、店舗が立ち並ぶ地帯に足を進めた所、イカニモな占い館があり、ああそういえば昨日自分もこの様なフリのお客様を待つ立ち待ちの占い館にいたんだなと思い、なんとなく今時の占いってどんなカンジなのだろうか?と興味を覚えてソノ店に入ってみました。若いのか?中年なのか?オバサン顔の占い師の前に座った私は、自分の今後の運勢をみてもらう事にしました。ソノ占い師はおもむろにパソコンを開き、話をしはじめるのですが、お客の私の顔をまったく見ず、パソコン画面を見ながらアレヤコレやと言ってくださるのですがソノ内容は主語がわかり辛くいったいナニを言っているかがわからず…。「アレです、ネゴレーションが、アレなので、ホロスコープに出ていて、本当の自分にアレした方が」といったカンジで、パソコン画面から顔を上げない占い師を前にキョトンとポツネンとしてしまいました。でなんだか気まずい雰囲気になり、占
い師は「私の言っている事、何かズレてますか?」と聞くので私は「あっ、いや、私の頭が悪いんでしょうか?ネゴなんちゃやとか横文字も意味がわからなくて、せっかく熱心に鑑定してくださっているのに、理解力が無いんですかね?」と素直に言ったらソノ占い師は「インド占星術はわかりにくいんですよね、ではこれから西洋占星術でみてみますね」と言ってまたパソコンを見始めました…。今までのわからなかった説明はインド占星術だからだというのか!?とシラケた私はまたパソコン相手に喋る占い師の前で無言でうつむく事になりました。で続いて占い師は「西洋占星術で見るとアレでして、今習っているアレ勉強中のアレを頑張ると成長し、夢に向かってアレすると満足されるというか、ネゴレーションなんですね、6年後に夢が叶い自分の好きなアレができる」との事、私は「あの〜私の年齢からすると今習ってるモノも勉強しているものも無いのですが、っていうか先生?私は五十歳なんですから、今更、夢が叶っても成長するにもそれができたとしてもソレができ
たとしても6年後でしょう?ソノ頃に夢が叶う?としても、確実に今より衰えているのですが?」と聞いたらパソコン画面から顔を離しやっと私の顔を見て「えっ、まだ若い方かと思いました」との事…。私は慇懃に「丁寧に見ていただきましてありがとうございました」と言って占い師館を後にしたのですが、占い師はいくら時代が変わってもお客様のお顔を見てセッションするものだよとひとりごちた次第です。


2017年1月19日(木) 22:24

モリノス

「遠い記憶がよみがえる」。五十歳になり、昔起きた事など正確には思い出せない今日このごろ、リハビリのため病院に行った帰り、寒夜の商店街を徘徊し帰宅を急ぐ人やら店を仕舞う人を見ていたら、急に私が占い師としてデビユーした頃の事を思い出しました。私は今は無き原宿ニューエイジセンターでV系占い師としてプロディユースされ、そこから数年後にこれまた今は無きイヤシロチ青山に移動し、そして今は落合に落ち着いたと思っていたのですが、原宿ニューエイジセンター時代に占い館を経営する会社に頼まれて、渋谷のセンター街のど真中にあるペンシルビルの中にある占い館にも所属し、原宿と渋谷と二つの占い館をかけもちしていた時がありました。原宿ニューエイジセンターは予約制で、渋谷の方はフリで来るお客様をお待ちするカンジでした。原宿のお客様はスピ系の知識が多く、チャネリングやらヒーリングにたいして免疫みたいなモノがある方が多く、占いに対しても自然に鑑定をできましたが渋谷の方は酔っぱらった方とか、水商売の姐さんとか、占い館をひ
やかしてみようとか、ストレス発散、愚痴を聞くそしてそれをお慰めしたり、励ましたりと占いというより「話し相手聞き相手」みたくなり、こちらが何か言う暇もなく一方的に話されてお帰りになる方々がほとんどでした。そしてその渋谷のペンシルビルは一階がチーマー(死語)が好みそうなグッズを売ってる店で2階3階が二人づつ占い師が待機する空間で4階が渋谷の商店会の事務所という不思議な所で、私は渋谷に出勤する時は1階の金髪で当時イカニモ渋谷系な服のスタッフに挨拶をし、4階の渋谷商店会の人に挨拶をし、今は誰かも忘れましたが同胞に挨拶をしてソノ時に空いている席に座って待機をしていたのでした。なんで今日、忘れていた渋谷で立ち待ち占い師時代を思い出したのかわからないのですが、思えば原宿ではチヤホヤとカリスマだ綺麗だと甘やかされて、行けばお客様がいるという恵まれスギな思い出の中、同時にお客様がつくまでジッと待ってるという事もしていた訳で、私の占い師デビユーは占い師頂点扱いと底辺扱いを同時に経験したのだな
と、今更ながら無駄に感慨深い気分に浸ったのでした。


2017年1月18日(水) 22:26

モリノス

「再会」。今日もクロスバイクで自宅から落合まで出勤、あともう少しで事務所へ到着するという時、事務所近くにもう何年も前に閉店した洋食屋の女将さんに超久しぶりに会いました。私はリュックから年賀状に作ってもらったポストカードを一枚出して女将に御挨拶がわりに渡したら、女将はしみじみと葉書を見てから「あら、先生!。手術なさったのね、よくウチの店に来てくれていた頃には先生が座りやすい椅子を旦那と相談してこれがいいかあれがいいかと話してたのよ、ねえ今は痛くないのぉ?よかったわねえ、ウチの旦那ね?夜よ夜、先生がウチ店の前を通る時にね、今日は先生遅いなとかさ、足が痛そうだな、なんて窓からよく見てたのよ〜、こんな綺麗な葉書!、仏壇に供えなきゃだわよ」と言います。私は「おや、御心配いただき、ありがとうございます。お店やってた頃には色々オマケしていただいてありがとうございました。いや、私は生きてますので仏壇に飾られてもねアハハ〜」などと言ったら女将は「旦那ね、死んだのよ7年になるかしらね」と言い
ます。私は「えっ!。お亡くなりになったんですか!」と言ったきり絶句…。この洋食屋のマスターは落合の事務所がオープンしたころ、白い前掛け姿で外から事務所の中をジロジロ見てた人で、私がドアを開けると機嫌の悪そうな顔をしてバイクにまたがりどこかに行ってしまうという事を数日間してから後日、中年の女性が事務所に訪れ「ごめんなさいね、こちら占いなんですってね?なんだか主人がねぇ、占いなんてこの辺には無いんだから、やってもらえるかどうかお前聞いてこいなんてね、いうものだから」と言われてから後、御夫婦で私のセッションを受けていただき、外からジロジロ見てた男性は逐一私の占いの言葉を大真面目にまるで怒った様な顔をしてお聞きになり「こんなトランプみたいなモノでねぇ、なんでもお見通しなんだねぇ先生、この建物さ前は韓国人が店やってたんだよ、ウチも料理屋やってんだけど、あそこの道入った所、ボロアパートの一階なんだけどよ今度来てくださいよ、いや〜これが占いってもんなんですね」などと言っていました。まだ当時
若かった私は、私のセッションが占いの全てではないのになんだか感心されちゃってどうしょうと思ったものでした。それ以来、私は仕事が終わった後にはちよくちょくこのお店に行っては色々な話を御夫婦としたものでした。が、もういつかも忘れてしまった何年も前に突然、洋食屋は閉店し、その後は店は改築され住居に変わってしまっていました。洋食屋の御夫婦はいったいどこに?と、この道を通る度に気になっていたものでした。本日、突然道端で再会した女将、そしてマスターが亡くなったと聞き懐かしいやら悲しいやらみたいな気分で女将を見ていたら彼女は「ごめんなさいね、お店閉めた事も言わないで…。色々とあったものだから、でも先生に会えてよかった私は今ねS県の方に住んでるのよ、今日は新宿まで出たものだからちょっとこっちまで来てみたのよ、この辺どんなになってるかと思ってね、そしたら足の悪い先生が自転車乗って目の前に出てきたからビックリしちゃったわ」と言い、そしてポストカードを胸に抱き「帰ったら旦那に見せるわ、よろこぶわきっと、あら
先生?店があった時、先生お洒落な洋服で来ていたでしょう?旦那ね、ウチの店にはえらい人が来てんだから、占いの先生だから立派な服着てるんだよ、なんて言って自慢してたんですよ」と言ったそばから女将も私も道端でメソメソと泣き、私は「お、お料理、美味しかった、です」とオロオロ声で言い、女将は人指し指と中指で涙を拭きながら「こんな道路で泣いたらみっともないわね、ごめんなさいね葉書ありがとうね、先生お元気でね」と言った別れ際、私は「マスターによろしくお伝えください、そしてまたいつか、来世があるなら、マスターまた店出してください、私もまたその時にマスターのお料理いただきますから」と言ったら女将は湿った声で笑いながら「先生も占いだから占いみたいな事をいうわねぇ」と言ったのでした。「愛」を感じた出勤前の一時でありました。


2017年1月18日(水) 0:57

モリノス

「新宿2丁目プロレス第2夜」。暗黒プロレス組織666別ブランド・性爆弾と痣名するプロレスラー忍選手が手がける今や大人気の新宿2丁目プロレス昨夜今夜と出演して参りました…。カオスにも限りがある興行も二日目ともなると老齢に達した私の顔と肌はサハラ沙漠の様に亀裂と乾燥そして毛穴が楕円に開きっぱなしという事態になり、念入りに壁塗り化粧を施しても練りファンデーションが肌に乗らず往生しました。更に顔全体がなんだか下がっているので、メイクというより、古代に発掘された壁画の修復みたいなカンジとなり、なるべく顔がつり上がっている様にそして顔が小さく見える様にグラデーション肌色で濃淡をつけて、長時間かけて顔を作り上げた後には本番前には疲れて放心状態に…。しかし出場する選手達も二夜連続がほとんどなのですが、さすがは普段鍛え抜かれた身体は昨夜の疲労を微塵も見せず、大迫力の熱戦につぐ熱戦。満場のお客様もお楽しみにいただけた様でなによりで、試合は終幕となったのでした。メンバーの中で最年長の私ではありま
すが、愉快で変態でパワフルな選手達の姿にシンニチョのアレ興行なのに、元気をいただいた次第です。


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