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2017年8月の日記
 
2017年8月11日(金) 1:20

モリノス

「砂袋」。そして私の恐ろしい筋トレリハビリはまだ頂上を知らないのか?。今夏に起きた謎の高血圧も一段落し、この度のリハビリは、うつ伏せになり、砂袋を患側の足首に巻きつけソノ状態で脚を伸ばしたまま後方上部に振り上げて右に移動させて元の位置に戻すという、人工関節が肉を突き破り飛び出すんじゃないの?的な動作を行ったのですが、先日水中歩行をした時に、水圧なんて無問題と脚の筋力に自信を持った私は、砂袋責めトレーニングもうーむうーむと苦しみながらも恐怖心は抱かず消化する事ができました。現在担当していただいているPTの先生とオペをした病院のリハビリ科のPTの先生、二人の今だから言える意見的には「人工関節にしたが故の可動域の制限はあるであろう」というカンジだったのですが無駄に頑張り屋な私は何かに憑依されたかのごとく(まあドMなんでしょうが)、術後のリハビリには心血を注いできた甲斐があり結果がでたのでしょうが、クラシックバレエの様な開脚は無理としても、身体の硬い健常者レベルの前後左右の開
脚がPTの先生方の予想を越えてできる様になり、ありがたいやらうれしい限りなのですが、別に近いウチにナニか目標がある訳でも無いのに、まだまだ脚を使う手数(足数?)が増えるという感触を得たので、ここらでサボろうではなく、術後の運動可動域をまだまだ高めて、リハビリを極めてリハビリ極道を目指そうと思った次第です。ちなみに私のあまやかな夢は、股関節にハーネスを咬まして行う、ワイヤーアクションで空を飛んでいる気になりたいという幼稚なものであります。


2017年8月9日(水) 22:37

モリノス

「暑い夏の自虐行為」。本日は命のとりレベルな暑さだった様です。私の体調的には謎の高血圧(特に具合も悪くない)とまあ年相応の夏バテの疲れを覚えるくらいなのですが、湿度と温度で脳が煮えたか焼けたのか?、命より衣装が大事なモリノス何様であるのに、あらんことか?先週末、暗黒プロレス組織666の序盤御挨拶の時に装着したヨージ・ヤマモトのベストを洗濯機で洗ってしまいました。本来ならヨージ・ヤマモトの服ってデザインだったり素材に凝りスギていてトーシロー自宅洗濯は御法度で、いつもはヨージ・ヤマモトの服を着て汚れた後は、信頼のできるクリーニング店が無いものですから、良いか悪いか知らないが、デパートの白洋舎まで汚れ物を持って行きます(仕上がりに満足感は無い高額なくせに)。で、この度は試合中に度重なりの衣裳チェンジと夏仕様のモリノスステージ衣裳で実況解説席におりましたので、試合後、ヨージ・ヤマモトのベストは汗でしとどに濡れてしまいました。この汗でビショビショのモノを数日後にデパートの白
洋舎に持っていくのが億劫なのと、ドブドブになったベストを部屋干しするのもいかがなものかと?っていうか、嵩張る洋服が汗でヤラレているのが目に入るのが嫌で「キーッ」となり、衝動的に洗濯機に放り込み普通の液体洗剤と、ダウニーブラックシリーズを入れて水洗いしてしまいました。高額な洋服を洗濯機に入れてしまった罪悪感と自虐的な快感めいたモノを覚え、洗濯終了…。洗った後にラベル(?)を見たら(洗う前に見なかった)レーヨンと麻の混合みたいな素材だったのですが、モチロン型が崩れ、更に気のせいか縮んだ様な?。型崩れは仕方ないが縮み=もう着れない訳で…。乾いた後のそのベストを怖くて着ていないのでした。


2017年8月8日(火) 23:02

モリノス

「戦々恐々な帰宅」。先日、不幸があり南柏という地域に電車で行ったのですが、知恵おくれな私は南柏って埼玉あたりと脳が変換してしまい、怨敵iPhoneのGooglemap(?)で行き方を検索し南柏が千葉である事が判明…。更に私の地元私鉄駅から池袋経由でJRに乗って日暮里で乗り換え常磐線に乗るルートがでてきたのですが、ふだんあまりゆかりの無い土地なので、「千葉って千葉でしょう?船橋とか?鼠園、鴨川、成田が千葉なんじゃないの」と思いつつ戦々恐々と電車に乗っていたのです、常磐線に乗ると北千住なんかに通過してしまい足立区のそばに千葉なんて無いんじゃないのと思いしかしあと数駅で南柏、南柏の先は水戸だのいわき…。なんで千葉に行くのにその先は茨城やら福島なのだ?と脳内混乱、そして南柏から帰ってくる時には、新松戸乗り換えで武蔵野線に乗ったのですが、西船橋駅を出たと気には「なんで千葉を脱出したのに千葉に戻るのか?、更に越谷なんて行ってしまう、千葉から埼玉って近いの?」とパニクりこの武蔵野線に乗ると西国分
寺にも行くようで千葉から埼玉、武蔵野線エリアに行く路線でデタラメじゃないか?」不安マックス、しかし長らく武蔵野線に乗っていると私の地元駅に乗り換えできる北朝霞ってのがあり、やっと知ってる町に着き、地元駅にまで行く電車に乗れた頭混乱の果てに方針状態になったのでした。今更ながら関東近県の地図を見なくてはと思った次第です。


2017年8月8日(火) 0:11

モリノス

「感傷とわりきり」。本日は術後の定期検診で病院に行きました。早いものでオペをして丁度一年半が経過、予後はお陰様で良好との事…。人工関節置換術を受けたというのに私の退院から後のキチガイ沙汰な身体の使いっぷりと筋量を増やす無茶っぷりは皆様御承知の通り…。で、私はまた3ヶ月後くらいに病院にて患部が壊れていないかを診ていただく気満々だったのですが、主治医にして執刀してくださった医師が、近々病院を辞められるとの事と、次回は2月に受診をし、それから後は1年に一回の検査受診でよいとの事…。えっ?もうこの先生とはお会いできないのか?病院に来ると何故かホッとしていたのに1年に1回しかこれないのか?という一抹の寂しさと感謝の念を覚えつつも、まだ病院のリハビリ科との御縁はまだ続くし、私がこの度の担当先生にお世話になるとしたらそれは悪い意味になる訳で…。更に私の人工関節も今の所、壊しさえしなければ私が古希を迎えた頃に再手術をする予定で、その頃には先生も年を重ねアノ大手術をするには体力的にも無理と思われ、私
の持論的には整形外科の手術は術式のセンスに体力と集中力と瞬発力が要され、それが備わっているのは三十代後半から四十代半ばの油の乗った医師が最適と信じているので、ああ先生ともお別れは悲しいが、約20年後には医学の進歩によりその新しい術式を持った若き医師にその頃には年老いた老人スギル私には頃合いかと思うと、先生とのお別れに不安を覚えつつも、70際に達した時に新しい術式を持った医師に出会える事に期待したのでした。しかしこの度の用意された偶然とも言っても過言ではない執刀医の先生の出会いは私の手術前の生活をガラリと変えてくださったのですから、先生は病院を辞めるがこの先生にオペしていただき本当にラッキーだったと今更ながらに最高のタイミングに手術を受けれた自分の強運を我ながら本当によかったと心底思った次第です。


2017年8月7日(月) 0:58

モリノス

「藍より青い海」。数日前の事…。長らく疎遠で今やどこにいるのか?何をしているのかもわからない同年代遠縁のHがどうやら顔本とかツイッターめいたモノで私を探して見つけたらしく、怨敵iPhoneにメッセージがあり、久しぶりに電話で会話したのですが、Hの母親が亡くなったというお知らせでした。Hと私は父方の親戚にあたり訃報を聞き、本日(もう昨日か)通夜との事で喪服に身をつつみ葬儀の会場に向かいました。私の父が死んだ時にHと会ったきり(十数年前)、Hの弟Sとは約40年ぶりの黒いネクタイをしての再会でした。野球少年だったHも五十路に達しデトックス貫禄アリスギ、弟のSは都会のどこかで会ってもわからない半ズボンの子供時代の面影を少し残すサラリーマンが板についた年相応の風貌でした。一方私は、この兄弟と会わなくなってから芝居にダンサーにそして占い師挙げ句に腐れドインディーのプロレス団体に所属というトーシロー鎖国ライフにつき、無駄に若作りな現在、かつて子供時代はガリガリだった私、更にロ
ン毛という容姿にHもSもなんだかプチドン引きしていた様です。故人Hの母親S子伯母さんは長らく美容師をやっておりました。棺桶越しに見る伯母さんの死に顔は長年の闘病で面やつれしているかと思いきゃ、髪も綺麗に染めてセットしてあり、77歳にして美しい表情で棺桶に眠っていました。やがて通夜の読経が始まり、私は椅子に座って通夜の経を聞いていたのですが、ズンと腰骨あたりが動いたと思った刹那、父もS叔母も九州は熊本天草出身だからでしょうか、私の脳裏に、天草の藍より青いと評された海の映像が脳内画面に映し出されました。藍より青い海、小さな船で釣りに行く漁師…。そういえば私の父が亡くなる前にモルヒネ投与で幻覚を見たのか?病院の窓から見える都会の町並みを見ると「あよー、ふとか船もこまかか船もここから良く見えるばい」とか行ってました。察するに病魔と戦い病に苦しむ病院での闘病、刻々と命の灯火が少なくなっている事を理解したS叔母はきっと故郷のふるさとの「藍より青い海」を病室で見ていたのだろうと思います。臨終
に伏すまできっと時分が生まれ育った天草の海をずっとずっと見ていたのだと思います。


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