| 戻る |過去の日記|
2017年9月の日記
 
2017年9月20日(水) 23:50

モリノス

「最近薄化粧な理由」。モリノス的生活が始動して程なく、V系占い師として(?)確信犯的に(?)男だてらに化粧を施した方がV系の王道と思い今に至るのですが、なぜ地肌にカバーマークレベルのファンデーションを顔に乗せていたかというと、普段の自分から「モリノスキャラ」に化身して、テーブルの前のお客様に向き合いまるで仮面をつけてモリノスを演じているイメージをもっていたのと、病を発病した数年後にK点超えな感じで白血球が増え、うっすら白血病めいた症状として疲れてくると顔にクマではなく痣じみたモノができたり、エリテマトーデスか?な両目の回りが放射状に紫になったり、知らぬ間に肌が売れ残った豆腐の様な血色となったり、いつ顔に斑点が?顔がヤバい色になったら嫌だなと、変な症状がでる前に壁塗り化粧をしておこう的な病的な思考であったと思われます。そしてお肌の角を曲がりに曲がった40代後半になるとファンデーションを塗ると却って老けて見える様になり、ここでまた無駄に焦った私はプチ整形に
走り、ケミカルに地肌力を高める抗いをみせたのですが、最近の私は日焼け止めにプレストパウダー、やはりV系は貫こうとイカニも描いた様に見える眉にしているくらいで、モリノス顔メイク時間は5分で済んでしまいます。思えば昨年2月に股関節のオペを受けてから、血液検査もバックレて(死語?)いるのですが、オペ前は股関節の激痛のだいたい二日後に痣が浮かぶか顔が紙みたいに白くもなっていましたが、オペ後に芯の痛みが消失してから、顔が錦鯉みたくなる事が無くなってしまったのでいつの間にか、隠す化粧というモノに頼らなくなっていたのだと思った次第です。


2017年9月19日(火) 20:24

モリノス

「御縁」。私が20代後半、発病してから得たいの知れないアングルでV系装束にロン毛姿に身をやつし、今は無きスピヲタの聖地、原宿ニューエイジセンターにて占い師としてデビユーした時から今に至るまでセッションを受けていただいているKさん。Kさんは後に私の幼馴染みである友人Sと会社の同僚である事が発覚。私が脚の病をきっかけに断念した舞台の世界、もう二度どこの劇場にも行くまい行けまい、頑なにイジケ魂で誓ったのにも関わらず、新劇界でも独自の演出(日本の土臭いモノと違い洋モノ臭を醸す垢抜けた)と表現のTという劇団には惹かれ、しかもソコのカンパニーには私の母校演劇部の後輩Hやら、今携帯電話会社のCMでお茶の間に顔を出して活躍中のKもソノ劇団にいて、二人の知り合いがいるのなら、Tの芝居は見に行くかとこれまた私には懐かしい今は無きベニサンピットという劇場(私の自慢は20代前半の時にの夜更け、今や生ける国宝、板東玉三郎さんの主催していたこれまた今は
無き東京コンセルバトリーのオーディションを事もあろうか、板東玉三郎さんの御好意により、夜更けのベニサンピットで板東玉三郎さんとサシでオーディションを受ける機会があり、オーディションには落ちましたが、板東玉三郎さんからは色々な御指導をいただきました)。
でそのベニサンピットをホームシアターにしていたTの芝居を見に行ったらKやらHの紹介で、Tの主軸の女優Hと出会いました。そして私のセッションを長らく御利用いただいていたKさんにSさんを紹介していただき、Sさんをの娘さんは昨日日記にも書いた演劇に青春を捧げ、JKだてらに部長とキャストを努めて、ソコに女優Hを紹介して、女優HがJK・Rを指導するだけでなくメンタル面でもJK・Rのケアをし…。今日はJK・R、文化祭の部長とキャストを演り納めたお祝いにお招きいただきました。場所は私が闘魂演劇青年だった時にバイトしていた町で、卑しい民草出禁、中々買えないのクッキーでお馴染みのM堂には、バイトしていた時に注文された生活用品を台車に乗せてお店まで運び、当時の御隠居さんに良くしてもらった事が今でも忘れられない思い出となっています。Kさんから御紹介頂いたのがSさんは娘のJK・Rの御学友きっかけでM堂と懇意にされていると
いうか、M堂のお嬢さんも昨日の芝居でキャストを努めていましたた。憧れのお店でシェフ心尽くしのお料理を美味しく頂きながら、生きていれば誰かに会う訳で、会った人の知人友人が知り合いだったという、まるで御縁は出会いは無限大だなと、M堂のレストランで素敵なお料理を前に感慨に耽った次第です。


2017年9月19日(火) 0:04

モリノス

「女学生の青春に立ち合い、奇跡を見た」。某女学校の文化祭で上演されたミュージカル「1789」を観に行きました。この演目は、宝塚とか帝劇などで打たれるモノで、フランス革命、民衆と貴族、マリーアントワネットにフェルゼン、姫袖芝居の極みでありながらも、フランス革命時代エピてんこ盛りで、プロが全幕演じるにもストーリーがハッキリシャツキリしていないので、演じる俳優陣の力量が問われる作品だと私は思っているのですが、その様なモノを女子高生が取り組むのは無謀なのでは?と思っていました。渡世の御縁により、お知り合いになったコノ女学校の音楽部の部長でもあり物語の重要な鍵を握るキャストであるJK・R…。あれは昨年の初夏あたりだったでしょうか?JK・Rに、来年(今年)の文化祭に「1789」を演る事になったと聞きそれ以来、私はプチアドバイスをしたり、ジェンヌOGの女優Hにもお世話になったり、JK・Rより、本番に向けての状況をチラホラと聞いてはハラハラドキドキといつの間
にか今日の本番がやってきました。失礼な物言いですが、どんだけ酷い出来でも父兄達からしたら、御自分の娘さんが男装の麗人と化したり、お人形さんみたいなドレスを着てるだけでもう大満足かとも思われましたが、私は父兄ではなく重箱の隅をつつく事が生き甲斐な性根が故に、幕が開く前から姑魂メラメラで客席に座っていました。約2時間休憩無し、学業と部活の両立とはいえ、舞台の上でヘタ打ったら後程、一生忘れぬトラウマ毒舌ダメ出しをJK・Rにしてやろうと、無駄に闘志を燃やし舞台を見つめていたのですが序盤は、おっとアブナイアブナイとヒヤヒヤの連続だったものの、中盤から後半にかけて稚拙な演技であるというのに、ライトが当たっているJK連中に異変が…「集中」の連鎖が空間を支配し、女子高生の学芸会芝居から、それぞれの役に託された観客に伝えなくてはならない「言葉」を役に扮した娘っ子達が正確に観客席に表現されはじめ、最後にはお客様から涙を頂戴できるという栄誉をいただき幕は降りたのです。芝居が終わった後の講堂は癒え
る細かい粒子みたいなモノが溢れたのでした。なにかと面倒臭い女子高生の癖に、観客に「生きる」「愛する」を直球で渡す事ができたその奇跡の一時に立ち会えました。更にこの度の女子高生による、難曲挑戦の舞台を見て体感した事は、お稽古を積みに積み精進した者と、色々事情も都合もあったのでしょうがお稽古が足りてない者の差が舞台に見え、お稽古を重ねて努力した者は舞台が進むにつれ、それに伴い本人は気づいていないかもしれないが、どんどんと演技が良くなり、また逆に稽古が足りてない者は序盤はインパクトを与えられていたが、舞台後半になると、芝居がペラになり演技が失速していく様を見るにつけ、50歳の私は「お稽古とは自分を守ってくれるもの」とお稽古嫌いな私は今更になってJK連中から教わった気がしたのでした。生涯一度の青春をかけた女子高生諸君、彼女達はやがてこの忌まわしく世知辛い世の中に成人として旅立っていかなくてはなりません。大人の渡る世間は鬼ばかり…。時には人間関係に悩み、己の力たらずに落ち込み、自棄のひと
つも起こす事があることもあるでしょう。しかし、昨年から今年にかけ力一杯演劇三昧の毎日を送り、彼女達は彼女なりに苦労をしたでしょう、努力もしたでしょう、時にはもうできない止めたいと思った時もあったでしょう。彼女達が社会に出て、窮地に陥った時、あの青春の高校生時代の演劇に情熱を燃やした時期に、あんな大変な事をやり遂げたのだから、何が起きても乗り切れると生きていく暮らしていく「力」になる事を願ってやまない私でありました。


2017年9月17日(日) 22:48

モリノス

「無駄に頬を濡らす」。台風の一日、夕方からの私用を延期し、独り物憂げにモリノス部屋の衣裳吊り下げエリアの整理じみた事をしていたら、大きな筒状の物体を発見(設計図とかを入れるケースか?)、見覚えが無くナンジャコリャ?と思い、蓋(?)を開けると中から数枚の絵が出てきました。稚拙な平面構成とか静物画とかだったのですが、ソノ絵を見た途端に甦る記憶…。私は幼い頃から高校生くらいまでは絵を描くのが好きだったんだと思います。チビの頃からインドア派で野外で友達じみた同年代の子供達と野っ原で泥だらけになって遊ぶのではなく、誰もいない部屋で、一人読書したり絵を描いたり、空想して一人悦に入っていました(50になった今と変わらないか?)。どうやら筒に入っていた数枚の絵は、高校生の時に二年ほど美術部に入り、ボードに水貼りをして紙を敷きその上に水彩絵具やら油絵の具から当時出はじめたリキテックス(アクリル絵具)を使うのがナウ(死語?)だった様で、あとはカラーインクなる
画材でも絵を描いていたみたいです。絵が描くのが好きというより、協調性が無いと思っていた私は、絵を学んだら将来の生業に繋がるのかも?と少年だった私は浅知恵で考えたのでしょう。この度発見された絵は、我ながらソコソコ上手く描けている様に見え(今は犬すらまともに描けない)、数枚の絵の中には全日本学生美術展佳作入選なんて判子のついているものもアリ、ティーンエイジの私は、絵を描く事に心血を注いでいたみたいなのですが、危うい記憶をたどるとソレ以来は絵を描いていないのですが、察するにソノ理由は、絵を描いた後に汚れたパレットを洗うのが面倒、絵を描く上でのデッサンがまるで数学みたいな手法で寸法を計るかの様に筆を進め無くてはならないのが苦痛の末に、昔のコノ日記にも書いた事があるかも知れないのですが、「気」入れてないでヤッツけで描いた水彩画が佳作に入選とは、これを審査した人達の目は節穴か?とティーンな私は憤った末に、絵を描くのを止め、止めた後からバレエとか演劇に興味を覚え、紙に描く表現より身体で表現
する事が自分の間尺にも合っていたのでしょうか?。しかし、少年時代に描いた絵を見たら見たでなんだか感慨深い様な気分になり、いつしか涙で両頬を濡らす事となりました。ソノ後にとった私の奇行は、発見した数枚の絵をなんの躊躇いも無く、ハサミで切り、そのままごみ袋に捨ててしまいました。なんと申しましょうか?、若い時に描いた絵に思い入れも無く執着もなく刹那感慨に耽っただけで満足し、コレ取っといても無用の長物と思い、すぐにハサミを入れたのだと思います。なんだが情の無いハナシかも?しかしソレも、関心の失せたモノに執着無し、関心のあるモノには貪欲に執着するといったモリノス的思考の一部だよねと思った次第です。


2017年9月16日(土) 22:57

モリノス

「写真で見る当時の抗いと苦悩」。プロレスの会場に足を運ばれたさる御方に、およそ10年前くらいの興行後、お客様をお見送りする時に、その御方と写真を撮った時の画像を見せていただく機会がありました。ソノ当時の暗黒シャーマンに扮している写真の中の私は、ちょうど顔のお肌の更にボディラインの劣化スタート期だった様で、メイクも劣化前と同じ白塗りに血みどろ化粧なのですが、筆が躊躇っているというか、アイラインもポイントメイクも劣化前と同じにこしらえてあるので、イタズラに目力ばかりがあり、化粧顔が浮いている馴染んでいない、衣裳も肥えはじめている腹を無視してタイトなモノを着ていてパツンパツン…。更にオペの前の私は興行後には脳天に焼いた火箸を貫く痛みが股関節に増量されていましたから、歪んだ体をまっすぐに反り腰でキープしています。10年前の己の無駄な苦悩と老いはじめの抗いを見た一時でありました。たしか、これから後はこれまた無駄に努力しステージメイクを研究した末にシルクドソレイユを超えた激しい化粧になり(
暗黒シャーマン当初のホラーキャラはいつの間にか消失)、衣裳は肥った身体と、脚の障害を隠すために病的に盛りに盛り、小林幸子の巨大衣裳に寄りはじめたのだろうとこの度、当時の画像を見てしみじみ思った次第です。


<--- back next --->

モリノスの部屋