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2017年9月の日記
 
2017年9月10日(日) 21:41

モリノス

「顔師Mの仕事」。私は写真とかアルバムに納めて後からしみじみ見る性質ではなく幼い頃から今に至るまでの写真はほとんど手元に無いのですが、今日物憂げにモリノス部屋のパンドラの箱化している引き出しの中を整理じみたモノをしていたら、20代後半から40代における、モリノスパフォーマンスとして演ったイベントの写真がパラパラと出てきました。海馬劣化な記憶をたどり時列に化粧を施した己の若い時から初老期の顔を見ると、自分で作った顔は、なんというかキツくハッキリクッキリで上手くできてる時とギットギットの時があり、その時々の自分の体調やら心情がメイクに出ているなと分析。そして、ソノ写真の中には長年の友人であり、ナチュラルメイクから特殊メイクまでを極め、時には国内外にて美容学校とかでメイクの講師をしている顔師のMが私にメイクした姿を見つけたのですが、Mが私の顔にのせる化粧は、愁いをおびて優しくて悲しげな「顔」に仕上げています。うーむ?雪女とか、白拍子花子、花魁高尾、六条の御息所、龍神、白鳥…。Mに顔を
作ってもらう時はイベントでもココイチという大一番の時なのですが、私が扮するのは人間では無く、妖怪やら生き霊だの動物の化身的なキャラであるのでどれも、序盤ははそそと女形姿で舞台に出てシナシナと舞を踏んでいるが、中盤から蛇体に化したり、鬼女に化したりしますのでのっけに、ほの優しい面を観客に見せ途中から、カッと目を見開いたり、殺気やら障気を醸したりする表情を客席にぶつけますから、私が自分でするメイクだったら最初から強面に作ってしまうのですが、顔師Mは計算してあえて最初はやわらかい顔を作って、私が舞台上で裂ける程口を開ける、藪睨みをするを知っていて(事前に台本とかストーリーもMは知っている上に調べて研究している)、柔和な化粧で私を舞台袖に誘うのだと思います。古い舞台写真を見て、Mの顔師としての仕事に今更になって極脱帽した次第です。そしてまた、僭越ながら私が自分でメイクする時の手ほどきはMのメイクを意識しているのですが、目立つの大好きな私は、コッテコテの顔を作ってしまうのでした。って、
これから先、年を重ねる毎に、舞台化粧をする事は減っていくでしょう。少なくなっていく機会においては、顔師Mの仕業に敬意を表し模倣していこうと思った次第です。うまくできるかは別としてですがね。


2017年9月10日(日) 0:05

モリノス

「ラッキーマネー?」。今年の夏、私の自前の衣裳、紫と生成、打掛2シーンを友人に貸し、ソレが今日返ってききたのですが、真夏に打掛を着用するイベントに使ったのだからさぞ室内にせよ汗と化粧の汚れでドブドブになっているであろう、汗の染みたモノは生地が劣化してるか悪臭で酷い事になっているだろう、もう二度着用できないかも?と覚悟をしていたのですが、2着とも痛んでいず綺麗だったので安心したのですが、和服の畳み方をしてない状態だったので、モリノス部屋にババッと広げて癇症にチヤチャッと畳み直していたら、紫の打掛の袂が膨らんでいたので「袂に汗とりでも仕込んでいたのかしら?」と袖口に手を入れて見ると、折り畳んだ諭吉やら一葉、熨斗のかかった祝儀袋が出てきました。祝儀袋の中にも諭吉が一枚鎮座していて察するに、演目中におひねりみたいに観客からいただいた、あるいはお客出しの時にいただいた御祝儀ををコノ打掛を着た人が袂に入れて、袂に入れた事を忘れて私に返却したのだと思われ、私は貸した人に、お金が袂に入っていた旨伝
えようと電話をしたら、受話器の向こうはイギリスにいて年内は帰国しないとの事…。じやー、袂に入っていた金はどうするの?と聞いたら、イギリス滞在が長引くかもしれない、今となってはおひねりも御祝儀もどたなからいただいかかもわからないので、衣裳レンタル代として取っといてくださいと、鷹揚な御返事。でとりあえず袂のお金は私が自由に使っていいみたいなカンジなんですが複雑な心境な私でしたが、内心は「袂から打出の小槌よろしく出てきた金はラッキーマネー?」と思いつつも、一方では他人が貰った金を着服してるみたいな罪悪感も覚え、このお金をどうしたらいいか迷い中な私でありました。


2017年9月8日(金) 23:00

モリノス

「出勤前、変わりゆくオーラ」。落合の事務所の仕事が終わり、韓流コスメなどを物色しに新大久保へ行きました。イイカンジで得たいの知れないカオスな新大久保のメインストリート(?)を物憂げに歩いていたら、知り合いのホストNに合いました。「大御所ベテランのN兄さんにしては早いお出ましでは?」と聞いたら、「同伴出勤にあぶれた若いモンとミーティングするので早く仕度してきました」との事…。Nは私と同年代か?(若い時分にバカやって背中に絵が描いてある)年齢不詳でミドルエイジ(死語?)にも見えるし、あえてまだ若いのに貫禄をつけピシッとした七三オールバックに秋物の仕立てのよいスーツにゴツイ時計で若くも見えるといった風貌です。でNに「モリノスさん一緒にソコの茶店に行きませんか?」と誘われ、私もよく行く新大久保駅チカの昭和の喫茶店に同行する事にしました(Nが若いモンを〆るのを見たかった)。喫茶店内には、日頃の夜仕事、夜仕事が故に売上伸ばす為にアルコール大量摂取により、恐ろ
しく顔色悪い、イカニモ人気の無い若いホスト四人がNを待ってました。で私もソコに混じり、Nによるミーティングを聞いていたのですが、出勤前の出の衣裳を身に纏った連中は、腹ごしらえか?、ケーキだのあんみつやらバフエなんかを注文し、ホスト装束に身をやつした連中のテーブルにはスイーツ三昧となり、なんだか違和感満載。食生活も出鱈目な(人の事は言えないが)奴等は、出勤前に甘いモノを食べてから、入店して朝まで酒を飲む訳で、肝臓病糖尿病ダブルアタックになるんじゃないと、心配しました。でNからの申し送りやら叱咤を神妙に聞いてる若いモン、しかしケーキなんて食べてる様はいと愛らし…。そしてぺーぺーの若いモンは早く店に行く事となるのですが、ソノ時間が近づくにつれ、体から醸す気だるいオーラから、シャッキリとした華のあるオーラを放ち始めました。N派閥の若いモン達ですからNのお仕込みも間違いの無いものなのでしょう。スイーツを食べ終えた若いモンは、シャッキリとした姿勢で「お先に失礼します」と元気よく言い、歌舞
伎町の町に溶け込んで行ったのでした。若いモンがいなくなった後に、Nとお互いの近況報告に興じたのですが、絵的にはまるで私が男だてらにNを同伴出勤に誘った図となり、これはこれで私らしいと思った次第です。


2017年9月7日(木) 21:52

モリノス

「自己啓発セミナーの今」。80年代、私が青年期に達し世の中はバブル期の頃、都会の雑居ビルとかに「なりたい自分に」「トラウマの解消」「成功する秘訣」「あがり症、どもり」というキャッチ(?)を掲げた自己啓発セミナーの事務所がソチコチに見受けられました。ソノ後、バブルが弾けて「癒し」のニューエイジブーム到来、私が占い師デビューしたのもこの時期でした。私がプロフィールを盛って、最初に所属した今は無きスピヲタの総本山・原宿ニューエイジセンターに御来店頂いたお客様達も多額な合宿制の自己啓発セミナーにハマり、そのセミナーに依存される方、逆にセミナーに参加した事により鬼ストレスを身に染み込ませてしまった方などがいらっしゃいました。本日、同年代の友人のお友達のお子様が就活に苦労した末に結果が出ず、親の知らぬ間に自己啓発セミナーに参加してしまい、お口ばかりが大きい理想論、空論、屁理屈ばかりを述べる様になり「会社で使える人間になる」的なセミナーを受けたのに、就活をせず、ネットで社会情勢やら、得
たいの知れない知れないこれから世界の起きうるヤバい事的なモノばかりを検索し頭でっかちになり、日夜部屋に引きこもっているとの事…。私はこの話を聞き、2017年になった今でも自己啓発セミナーが残っていたのか?まだソレを利用する方がいるのか?と驚いた次第です。自己啓発セミナーって私からすると「ひとつも効果が無い」モノと思っているのですが、私が原宿ニューエイジセンター時代に「行きもしないのに善し悪しを決めるのはどうか?」と思い、なんとこの私がとある自己啓発セミナーの組織に行き、面接と体験を受けた事があるのですが面接においては「ここに来る時点で貴方は終わってますね」「本気で自分を変えたいと思っているのか?」と胴間声で言われ私は「わかりません」と答えたら即「自分の事もわからないのか!」と怒鳴られ、私は内心「コノ人の言うことは滅茶苦茶だな」と思いつつも、はあ、へえと生返事をした後に別室に通され、そこにはトレーナーと称する、ポロシャツ姿の中年男女二人がいてイキナリ女の方が「アナタ、八百屋になれる
?」と切り口上で言うので、私は瞬時に市場の人かアメ横の魚屋のダミ声で「イラシヤイ、イラシヤイ、安いよ安いよ、キュウリに大根、イカガッスカー」とやりました。中年男女は渋い顔をして次に男の方が卑屈な笑みを浮かべ「君、いまここで裸になれる?」と言うので、これまた瞬時にその場で全裸になろうとしたら二人は「や、今はいいです」と言いました。若い時に新劇特訓を受けた私的には、演出家に泣けと言われたら泣き、怒れと言われたら怒るのが演習ですし、端役脇役を勤めた事がある時には舞台袖やロケ地の路上で着替えるのは当たり前で人前で素肌を晒す事など別に普通の事だったのです。で、私が八百屋をやり、脱ごうとした後に、インストラクターかトレーナーは「貴方はウチのメニューに向いていない」との事で自己啓発セミナーに参加できなかった事を思い出しました。私は自己啓発セミナー入会に断られた事を思い出すにつけ、結局自己啓発セミナーはトリッキーな事を受講者にヤらせてソレが出来たら褒め称え、出来なかったら囲みで人格否定…。更に講義はダ
メな松岡修造じみた者が受講者をイタズラに鼓舞するだけと思っていて、そんなセミナーを受けてもイイコトナシと確信しています。この度はやがて絶滅危惧種な商売である未だに現存する自己啓発セミナーに感化されてしまった若人を気の毒と思うと同時に、モリノス何様思考的には、高額の自己啓発セミナーに金使うくらいなら、私のセッションを受けていただいた方がマシなんじゃないの?とおそれ多くも思った次第です。


2017年9月6日(水) 22:38

モリノス

「根にもっている様でそうでもなかった」。先日、私のガラケーのメールアドレスの方に、小学校時代のクラスメイト(?)らしき人からメッセージがありました。そのクラスメイトも誰だかわからず(ガラケー歴長いゆえにいつかどこかで会いアドレスを交換したのでしょう)、メールの内容を見ると、小学5年6年の担任だった××先生が2年前に亡くなっていた事がわかりました、つきましては連絡が取れる人達に声をかけています。○月○日に××先生を偲ぶ会を△△が発起人で行います、出席でき様でしたら返信ください的な内容でした。××先生って誰?誰?、差出人も発起人も全く誰だかわからない?メールの誤送か?得たいの知れない詐欺なサイトからの罠か?と思案し、しかし送信した人の名前はガラケーの電話帳に記載されているので、知ってる人なんだろうと思い「御連絡ありがとうございます、××先生や他のクラスメイトの方が誰だったのか定かでないので欠席します」といった返信をしました。で、この9月になった今日、落合の
事務所で書き物などしていたら、イキナリ××先生とは誰だったか?差出人、偲ぶ会の発起人が脳内にバサッと写真が落ちた様に思い出されました。私の小5小6時代というのは最も暗黒な時期で、担任教師と生徒が一丸となって私を謗る嘲笑するという毎日で、勉強できない、運動オンチ、オカマ扱いと3拍子揃ってしまっていた私は、まあ虐められても仕方あるまい、勉強ができないのはどこか足りないのではないか?と教師に言われたら、そうなんですね、知恵遅れなんですねと納得し(すっかり納得して勉強をがんばらない私)、体育も私がドッチボールやらのチームに入ったら損だな負けるなと言われては(切磋琢磨してドッチボールがうまくなる様に練習しないで、私が班に入る事で他の人達に迷惑がかかる上に、放課後に私刑を受けるのはああ無情だが我慢と受け入れ)、学級で教師から「盡田はオカマだから女の班に入れ」と言われたら悲しさマックスになりながらも、クラスメイトの大爆笑に無表情で耐え、それいらい教室では無表情でおとなしくして
いたら、また教師から「盡田は笑う事もできないきっと病気だな」と言いきられた時には「大人の先生が私を病気というなら病気かも」と思っていたものですが、きっと教師も生徒も冗談の類いで私をイジっていたんでしょうけど、当時の私は毎日の登校が辛すぎた果てに、子供時代から私の性格もキチガイで心底、教師及びクラスメイト全員の死を神仏に祈ったものでした。そんな恨み辛みは執念深い私の性質上、生涯忘れぬモノと思っていましたが、さすがに50歳ともなると、小学生から今に至る間に、辛酸舐める時期はいくつか経験している訳で、小学生の頃のたかが2年間の嫌な時期は失念してしまっていたのでした。根にもっている様でそうでもなかった?。しかし担任教師が××という名字だった事は未だに記憶が危うく、年をとって物忘れってのも案外いい事かも?と思った次第です。


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