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2017年11月の日記
 
2017年11月8日(水) 21:50

モリノス

「末摘花」
落合の事務所の裏には新宿区だというのに夜になると家の灯火もボンヤリしている古い家屋が並ぶ地帯がソチコチにあります。ソノ一角に、餌付けした野良猫達と住む独居の老婦人S子さんがいるのですが、小さい昭和の二階建て文化住宅にお蔵、庭木というより林化した樹木が生い茂り水はくれているが世話してないベコニヤとか万年青、寄せ鉢が並び雑草もはえたい放題と「呪怨」のロケ地にピッタリなビジュアルなののですが、S子さんは近所の木造アパートの持主で生業は年金と家賃収入でまかなっているのですが、家に強引に建て増した部屋は、イーゼルにカンバス、油絵の仕度がしてあるアトリエじみたカンジなのですが、私は彼女に「S子さんは絵お描きになりますの?」と聞いたらS子さんは「アタクシはやらないワ」との事。年を重ねたS子さんの部屋は片付けも億劫なのか足の踏み場もないくらいの荷物が積み上げてあり、生活の動線は台所にあるテーブルと隣接する引き戸を開けた寝室、二階には滅多な事が無いと上がらないとの事。逆断捨離状態のスペースになつきもしない猫どもがのさばっているのですが、その三畳ほどのアトリエだけは整然と片付けも行き届いています。私は「S子さん、ではどなたがここで絵をなさるので?」と聞いたら彼女は「ウフフ、ロマンスよ」などと意味深な事をいいます。なんでも、高度成長期に婚期を逃したS子さんはその後は両親と共に住み、その両親も他界とか介護生活を送っていた時、S子さんは居職でできる編集とか翻訳の仕事をしていた時代の時の事。売れない画家と恋愛に落ち、やがて売れない画家はS子さんの家に入り込み半同棲生活スタート。で部屋を増築し彼が絵を描ける様な場所を作り、彼が絵を描く隣でコーヒーなんかいれちゃうS子さんだったのですが、絵描きの彼は約3年後に失踪、それ以来今に至るそうで。
S子さんいわく、もうアタクシが35の時分だったからねとしみじみ言い、私は「えっ?S子さん!未だにその殿方の帰りを待ってらっしゃると?」と聞くと「あら、アナタ、待つのも思うのもタダじゃない?、なんだか帰ってこない、もしかしたら死んでるかもしれないし、でも帰ってきたらすぐに油絵描ける様にしちゃってんのよ、バカだわねアタクシ」などとおどけているのですが、出ていった男を探しもせず、毎日毎日何十年も想い待ってる異常とも思えるS子さんを愛おしく思いました。
まるで、平成版源氏物語「末摘花」の章みたいな事だと思った次第です。





2017年11月7日(火) 23:03

モリノス

「いやいやそんな大したモンじゃないです」。
あれは東日本大震災が起きた夏の時、母校演劇部卒業生にして今は芸能界、演劇人として活躍している後輩達が結集し当時演劇部の顧問だった恩師を囲み、小劇場ならではの演し物を上演したのですが、私が当てられた役は朽ち果てた神社に巣食うホームレス、しかしその正体は神様だった設定だっのですかからホームレスから神様のたび重なる衣装チェンジに、当日はオペ前の病んだ脚でお稽古から本場をそしてあ楽日をく迎えた時、私の脚は痛みで悲鳴を上げていましたが、ムダなブロ意識とナルシー加味で板の上に乗ったのですが、この芝居を見た当時少年だつた子が今や十代後半なりその子この度談義する機会がありました。
彼いわく「あの舞台を観て感動しました。僕も舞台俳優になりたくてことしから演劇をまなびはじめました。自分モリノスさん見たいな声量と存在感がある役者になりたい!」との事でした。
が、日常ボイストレーニングを受けている訳でもなく、モリノス的思考的では舞台上で存在感を醸すのは当たり前の仕業ですから、その子には「大モンじゃないですよ、ただ着飾ってフラフラしているだけなんです。役つくりもしてないんですよ」と言うと彼は「そうなんですか!」と微妙な顔をして「でも僕はモリノスさんみたいな役者になりたい」ともうすので、私は両手をぶるんぶるん振って「やめなさい、やめなさい、およしなさい」と連呼しました。私の舞台みて感動したのがきっかけで演劇を志していいことなんてひとつも無いのに?と思った次第です。






2017年11月6日(月) 23:41

モリノス

「年末を告げる酉の市」
早いもので、酉の市の季節になりました。落合の事務所をオープンしてから新宿花園神社の年末を告げる酉の市にて毎年毎年熊手を買うのが恒例行事で最初は小さかった熊手も尺寸となり、尺より大きいのはモリノス部屋に入らないのでとある年より尺の熊手と決めているのですが、古い熊手は威勢良く仕舞い収めの社に今年起きた嫌な事一切合切も納めさせていただく気持ちで「ソリヤーッ!」と投げ込みました。
そしていつも買ってる熊手屋に行くと若いモンが一人で店番していたので、いつもいる熊手屋の夫婦が見当たらず、今年は頼りにしていた親友が死んだり、クモ膜下で入院したり、不景気のせいか懇意にしていた店が閉店するなどがばん旅続いたので気の強い熊手屋おしどり夫婦になにかあったかと心配になり、若いモンに「大将と姐さんは?」と聞くと「へえ、もう30分もしたら戻ってきます」と言われたので、しばらく露天屋台で賑わう境内をヒヤカシ、まだソノ店に戻ると、熊手屋夫婦現在、二人の笑顔を見て安心した私は涙腺ゆるむ事態となりました。私の前のお客は社長と社員達が総出で熊手を買いに来ていて、大きな熊手一つと小さな熊手を爆買い、台の上の小物は売り切れという繁盛っぷり、他の店は閑散としているだけに、きをてらった熊手ではなく、昔ながらの熊手を売る店は、熊手の意味作法を知ってる会社様なのだなと思いました。熊手屋には小さなサシ札に名前やら屋号の銘が入ってる物が夥しい数だけ陳列されていて、私も毎年ここで買っているのだからと、自分の名前が書いてあるサシ札を探したのですが見当たらず、大将は私の事を忘れちゃったのかな?とイジケていたら大将が台の下からから、犬猫の卒塔婆か施餓鬼供養か?みたいな並んでる小さなサシ札より一回りふた回り大きいサシ札に私の名前と事務所の屋号が書かれているのを「ニッ」と笑い見せます。それからいつもの様に、尺の熊手に祝儀の飾りを盛り盛りにトッピングして、お値段以上の熊手が出来上がりました。ソノ熊手を見た参拝客はわらわらと私というか私の熊手に集まり「あら凄いわね」的な歓声を上げて、見知らぬ集団で私の熊手に拍子木を使った三本〆にお付き合いくださいました。熊手を買った後には拝殿に参拝、今年も尺の熊手を買うことが出来た事に手を合わせて感謝しました。その後はこれまた酉の市恒例、祝儀の稲穂がザクザク刺さった尺の熊手を持つ私は、新宿界隈にいる人達はギョッとしたり、F会館辺りにいるヤ●ザの兄さん達にはことごとく、祝儀のついた熊手を褒められて、挙句にこれまたすうねんまえから恒例の外国人観光客に声をかけられまくり、私の熊手をかして自分達が面白可笑しい顔をして熊手を持って写真を撮るが次々とつづきました(インスタ映え?)。
その後に予約しないで行った小洒落た居酒屋では、私のトーシロが持つ熊手では無い熊手を見た店長は、一瞬顔が強張り、案内された席は予約をしていないのに上等な席で、はやり尺の熊手の効力は高いと思ったしだい。




2017年11月5日(日) 21:36

モリノス

「古いアルバムから推理」。
私が生まれた時から中学生くらいまでの写真を収めたアルバムを発見、私は思い出を残す事に関心が無いので破棄する前に何十年かぶりに退色しきったアルバムのページをめくりました。新生児の白黒写真から始まっているのですが、昭和40年代の時代背景、ファッション、古色のついた写真は懐かしいというより不気味でボラー映画とかの小道具に使えるかも?と思いました。写真には若き日の家族親族も写っているのですが、今は亡き父の若い頃と幼児の頃の私のツーショットを見て、普通でしたら感涙のひとつもするのでしょうが私の思考はどこかおかしいのか?「ほう、父子だてらに顔も似ていないし骨格も違う、父方の遺伝子は薄いのか」と思ったりしながら更にページをめくり「!」、小学校2年生あたりから、私の顔から笑顔が消え、無表情でクラスメイトらの群像の中にいます。
「ほう!この頃から虐められっ子生活が始まったのか」となんだか感慨深いめいた気持ちになり更に写真を見ると「!」小学生から中学生における半ズボンとか体育着姿の私の脚は「なんてまっすぐで綺麗なんだ!」と自画自賛と共に当時の私のナマ足立ち姿を見て「ゾーッ!」とし恐怖に慄きました。
子供の頃の私の立ち姿を写してある写真はどれも、右足の膝が浮いているというか、きをつけ、あるいは不動立ちの姿勢をとっている時に右膝か微妙に曲がっているのです。察するに、両足同じバランスで立っていると思っているが右足の長さが足りないが故に、浮いたり曲がったり、左足重心にならざるを得なかったのでしょう。つまり二十代後半から発症した右股関節の病は、小学生からの成長期にソノ予兆があったと思われ今や遅しすぎですが、子供の頃に右足の短足がわかっていたらそれなりの対処ができたんだろうなと思うにつけ、大人は幼い子供が第二次成長期に至るまでは、その子供達の姿勢、身体のバランスを逐一様子を見て異変を感じたらその時点で即対処だなと思った次第です。




2017年11月4日(土) 23:19

モリノス

「いいえ目立ちたいだけでした」。本日は約15年ぶりに九州の方からはるばるセッションを受けに来ていただいたSさんと鑑定終了後に、お互いの近況報告をしました。会話の中で、モリノス的生活の中で神社やら、いわゆる聖地じみた所で、私が白拍子姿で、奉納舞と称してひとさし舞っていた時の話となり、Sさん曰く「ああいう時は無我の境地で?」「まるで瞬きもしないくらいに見えたのだが、モリノスさんの霊力で場を浄化されていた?」「天と繋がるイメージで踊られていたのですか?」などと聞かれたので私は「神社仏閣、あるいはいにしえよりの縁の地、更に野外ですと、白拍子ってのが神秘的にも見えるし、場所が場所なだけに、照明に頼れない環境の中でいかにどこで位置取りをして踊れば見栄えがよいか?、あっ!左右の篝火のセンターでスピンしたらインパクトあるかも?
なんて事を考えて〜、つまりいかに目立つかを考えてやってます。」と言ったらSさんは「当時、モリノスさんの舞を見て感動したその気持ちを返してくださいという気分です」と言われたのでした。


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モリノスの部屋