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2006年9月の日記
 
2006年9月30日(土) 21:01

モリノス

地元。さびれた商店街を歩いていたら、ダメな居酒屋から、誰かが歌う、さらにダメダメな「魅せられて」が聞こえてきました。瞬時に、ある事を思い出しました。あれは私が半蔵門のドラッグストアでアルバイトをしていた時の事。店内には私とS堂の美容部員しかいませんでした。そこへ、美しいお客様が来店されました。私とS堂美容部員は顔を見合わせ「Jだ!」とアイコンタクトをとりました。いきなりの大物来店に、ビクビクしました。バイトの私と派遣できた美容部員しかいない店内、もし不手際がおきたらどうしょう!?。JはS堂美容部員のカウンターに行き「注文していたカ○ーマークのファンデーション、とりに来たのですが?」とおっしゃいました。美容部員パニック!。他社メーカーしかも定番ではなくレアなメーカーのファンデーション。どこにあるかわからず、各化粧品メーカーのカウンターや、在庫保管している棚までひっくり返し捜したのですが、品物は見つかりません。美しくプチギレしたJは、大きな瞳を私にむけ「なにをしていらっしゃるの?、アナタも
一緒にお捜しなさい」と美しい声で指示されました。で、私も捜索に参加。ほどなく、品物発見。ホットしたJ「あーよかった、助かりましたわ。アナタたち、中国のことわざに、二つの目で見ず十の目で見ろ、というのがありましてよ」と言われ優雅に店を後にしました。私はS堂美容部員に「Jさん綺麗でしたね!」と言ったら美容部員は「でも、説教されちゃいましたね」と一言。そして3個のファンデーションを見つけるために、ひっくり返してしまった店内を眺めて、ため息をついたのでした。一般人だったら「申し訳ありません、みつかりません、後日御連絡させていただきます」と対応しそうですが、スターオーラとなんだか女王エネルギーに威圧され、命がけで品物を捜してしまったのです。だって「ありません、みつかりません」とか言った瞬間に「無いとは言わせません、許しませんよ、無いというなら・・・」首を鋭利な刃物ではねらそうなくらいの美しい微笑みと殺気だったのです。



2006年9月29日(金) 22:42

モリノス

フォークのライブの帰り、渋谷のセンター街を抜けました。フォークといえば「団塊」な時代。渋谷のライブハウスは「お洒落大人軍団」なカンジでしたが、一転し渋谷センター街・・・。「なんか怖くて歩けない、お化け屋敷」。ムッシュかまやつをスルメにし色水を飲ましたみたいな、若い男達。南国の民芸品が呪術で用いる人形のような女子達。携帯電話でしやべりながらも、居酒屋の宣伝をする人。二丁拳銃のようにタバコを両手に持ち、交互に吸う10代の娘。サーカス?と思いました。街には安物のあらゆる香水と体臭が混ざり、逆にイイカンジの匂いが漂い。日本国から独立し渋谷国を作り上げ「シブヤジン」という人種を設けたらよいと思います。センター街を闊歩する全若者に告ぐ!「団塊な皆様はフォークのソウルを背負い、お洒落なジーサン、バーサンになっておられた!。君達もリアル今渋谷のソウルを持ち続けて、60になっても70になっても、髪を不自然に染め、人工的な触感をキープし、渋谷魂を貫け!」。だが、私の青春時代はバブリーで違う意味
で「ダメな時代」でした。年を取ると自覚する、愚かな若き日の思い出になるのでしょうね。



2006年9月28日(木) 19:00

モリノス

先日。舞台、つかこうへい「鎌田行進曲」を観ました。・・・。若い頃は、つかこうへいのエネルギッシュな舞台や、目まぐるしく展開されるドラマが大好きでしたが、久しぶりに「つかワールド」に触れ、つかは健在だな〜と感動する反面、役者さんたちの、イッちゃってる系、紙一重な超テンションに押されてしまい、客席で私はズーンと疲労してしまいました。まるで柔道の乱どりをしたような気持ちになりました。つかこうへいのお芝居は、大爆笑直後に号泣があり、客席に「魂」を直球かつドライブのかかったボールを投げるかのごとくで、観ている方も運動神経がないと、負けてしまうような感じです。刺激がない毎日を送っている人、にはよい気つけ薬になると思います。



2006年9月27日(水) 21:52

モリノス

久しぶりに気合いを入れようと奇抜な服でも着るかと、ゴルチェのヌードベージュで、ボタンが一つもなく何本ものループで胸から腹の部位を止めるシャツを着ました。よくみるとボンテージでエレガント。やばく見ると腰の悪い老人が装着するコルセットか、あるいは中途半端なミイラ。つまり胸から腹にかけて肌色のテーピングしているようなカンジになります。打ち合わせでお会いしたお客様からは「肋骨でも折ったのかと思いました」とか言われ・・・。奇抜な服は「着倒してやっるっ!」という意気地がないと着こなせないのですが、このたびのコーディネートは自分なりにイケてると思っていましたが、ビルのガラスに映る己の姿にびっくりしました。「ボンレスハム」みたいなのです。なぜなら以前より胸も腹も肥えて、ループとループの間に自肉がはみ出ていて、色がヌードベージュなので、遠目で見ると裸の上半身を糸でくくっているように見えるのです。いきなり自信喪失し、両手で胸腹を覆い隠し、こそこそと過ごしたのでした。



2006年9月26日(火) 21:25

モリノス

「ボスが逝く!」。丹波哲郎が亡くなったようです。丹波哲郎・・・。私は演劇の勉強を始めたきっかけは、実は丹波哲郎だったのです。彼が主催する俳優養成所のワークショップに参加し、なんだか知らないうちに、あれよと「丹波道場」の研究生になったのでした。(その後、他に移籍した)ボスは「キミの名前は?。アー?ツクシダ?ホッホー、珍しい名前だネー、大切にしなさい、ウムウム」と、感心されてました。当時ダイブームとなった映画「大霊界」の続編に、研究生の私は、エキストラで、何役がやらせていただき、地獄の場面では地獄の住人という役もやりました。現場で「キミの名前は?アー?ツクシダ?ホッホー・・・」と同じ会話をし、数年後、都内で偶然会い、御挨拶申し上げた所「キミの名前は?アー?、ツクシダ?ホッホー・・・」と寸分違わぬ、お言葉をいただいたのでした。ワイルドで天然なボスが好きでした。ボス?。ボスは専用の折りたたみデレクターチェアーでどこの現場でも「丹波哲郎」オーラでかましてましたね!。ボス?実際の「大霊界」は御自分
が作られた映画と同じでしたか?。ボス?ボスは知らないでしょうが、私の原宿占い師時代のキャッチは「霊感界のカリスマ」でしたよ!。ボス?、ボスがいない、これからのスクリーンは、ヤクザ映画も時代劇も、シリアスも、なんだかしまりが無くなると思いますよ。ボス!御縁は短いものでしたが、私の「演劇」の扉を叩いたのはボスがきっかけを作ってくれたのですよ、ありがとうございました!。ボス!霊界への道行きはGメン75みたいに、ボルサリーノにトレンチで颯爽と昇っていって下さい!。合掌。



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