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2008年2月の日記
 
2008年2月28日(木) 23:49

モリノス

「聖なるパッキング」。明日の夜から大阪、芦屋、神戸と、婚礼、足の治療、出張セッションと駆け抜けるにあたり、パッキングをしました。最近のパッキングと言えばイベントやプロレスの興行の支度で詰める物もだいたい決まっているので荷造りはパッパッとできるのですが、明日の出発の前夜、私はパッキングにプチ往生しました。セッション道具に礼服真っ白なワイシャツとネクタイと着替え・・・。トランクの中味はなんだか厳かなカンジです。いつもの武器、毛皮、網タイツ、コルセット、ピンヒール、ゴスなコート、乗馬鞭、鏡、ドーランなどが一つも入っていない状態に戸惑いました。てか常人はトランクあけたら上記なモノが出てきたらどんだけ変態かとどん引きかと思われますが、私的にはイベントにおいては日常なので、かえって折り目正しい正装がトランクに入ってるとほんとにこのコスチュームでよかったんだっけ?なんて混乱しながら詰め込みをしたらやたら時間がかかってしまいました。さて明後日の結婚式では礼服を着ますが、礼服なんだけど若手デザイナーがこ
しらえた物。ひとつ間違えば化粧品売り場の美容部員みたいなシーンになります。ちようど痩せましたからスキニーな礼服は似合わない事もないのですが、いつもと違うこしらえに、プチ不安になりました。ですが、芦屋とか神戸は行った事がないし、東洋医学の名医の治療も楽しみです。年明けから検査三昧でしたが、この春先、結婚式も治療もセッションも言った事がない所なので楽しみです。



2008年2月28日(木) 1:33

モリノス

「軍手」。練馬から青山に出勤する私ですが、春の装いの都会のピープルに遅れじと白いスプリングコートに白いズボン、素肌にチュールのシャツ、白のヒールブーツで出勤しました。しかし風が冷たく本当は手袋をしたかったのですが、白装束に合う色の手袋を持っていなかったのでやせ我慢して、素手ででした。青山一丁目駅では氷のような強いビル風で瞬時に私の全身は冷えてしまいました。仕事が終わり陶芸教室に向かったのですが、教室のある板橋区は元々は山と畑と谷だった所で、夜風は都会の比ではなく体に痛むような寒気でした。すっかり冷え込んで教室のドアをあけると、師匠や同朋は「うわっ!」と声をあげました、暗がりの中から長髪で白装束かつ紙のように白くなった私の顔 色見て幽霊と思ったそうです。土を扱う場所にて白装束、さらに教室は石油ストーブ二台置いてあるのに冷蔵庫の中みたいに冷気が充満さらに粘土をこねるには水が必要。師匠は「そんな白い格好では粘土もいじれないし、顔色もひどいので、水も粘土もさわらずまずはお茶を飲みなさい」み
たいなカンジで、作品を作らず、素焼きした先に作った花器の釉薬をさっとかけて、陶芸教室の作業を終了しました。帰り際指先に縦ジワができるほど冷たくなった手を見て師匠は軍手をくれました。白い衣装に新しい白い軍手なら、似合うよみたいな事を言われ私は素直に、軍手をして帰宅したのですが、軍手があるのとないのとでは寒さ冷えが全然違い本当に助かり、あと少しで家に到着するという時に家の前では深夜に及ぶ道路工事をしていて、目の前が家だというのに、かなり遠回りしなくては部屋に入れないので困っていましたら後ろから「ひえっ!」みたいな声があがり、振り返ると警備員が私の姿を見て恐れおののいていました。工事現場の真ん中に全身白の人間が突然現れてやはり幽霊だと思われたみたいです。警備員さんや作業の人も軍手をしていましたが、それは作業道具で職人のアイテム的にフィットしていましたが、作業で使用せず防寒のために貰った私の軍手は真っ白でなんだか、恥ずかしくなりました。やっと部屋に入れた私は手と顔見てビックリしました。指先は赤
く、耳と鼻は赤くしかも鼻水も垂らしていました。いくら都会が春の装いでも無理をして見栄をはり伊達の薄着をした自分を後悔しました。やはりきちんと暖かくなったら薄着にしようと戒められた1日でした。



2008年2月27日(水) 0:38

 モリノス

モリノス

「ヤラレタ!」。いつも坂道子は食っては寝ての毎日でご覧のように猫大仏化しております。普段はあまりなつかず、撫でても固い態度でカンジが悪いのが、本日はなぜか私に歩み寄りをみせていました。母が留守ということもあり寂しいのか、私にすり寄ったり「ウニャン」などと甘えてみせます。ご覧のように肥満ですから、私は坂道子がどんなに甘えてても、ねだっても餌はやりませんでした。すると坂道子は先住のジュニア黒丸に甘えてはじめ(普段この二匹は仲良くない)、ジュニア黒丸に餌をくれとねだり、ジュニア黒丸も餌が入っている引き出しに手をかけたりしているのです。私は二匹に時間まで我慢しろと言い渡し夕方まで餌をやらずにいましたら、どうやら二匹で結託してカツオぶしの袋を部屋中に撒き散らしていました。二匹は私の顔を見るとサーッと逃げていきます。私は怒らずまあ、餌を我慢したのですからと思いキャットフードを餌箱に入れると坂道子はスタタタッと駆け寄り、私の目の前で完食しました。そして部屋の真ん中に横になり「なでろ」みたいなカンジで
私をジロリと一瞥し、私が腹やら背中をなでると「ゴロゴロ」と喉をならします。なんか可愛いじゃないかと猫オモチャを屈指して半時ほど遊び、実家を後にしました。深夜に二匹の猫達が心配になり今一度実家に様子を見に行くと、坂道子とジュニア黒丸はなんだかハイになって二匹で遊んでいます。なんだ心配しなくてよかったと思いふと餌箱を見るとタップリ餌が入っていました。どうやら姉が私が餌をあげた後にまた餌を盛ったようです。察するに私にも餌をねだり姉にも餌を要求したと思われます。猫の小芝居にまんまとヤラレタ1日でした。


2008年2月26日(火) 1:22

モリノス

「喫茶ボタン」。幼い頃より慣れ親しんだ地元の町。都内とはいえ、ローカル地域で、人々もなんだか粗雑なカンジかつくすんだ所なのですが、数年前に大手のショッピングセンターが立ちそれから駅周辺もお洒落っぽくなって行きました。用事をたしに商店街へでて、少し疲れたのでコーヒーでも飲もうと喫茶店を探しましたが、昔ながらの喫茶店はお洒落カフェやらケーキ屋やら居酒屋などに変わり、かといえ地元の乱暴な学生達がたむろするハンバーガー屋やドーナツ屋に入るのも嫌で、しばらく地元なのに喫茶店を探しましたら、観音堂のそばに古い雑居ビルがありその隣に朽ち果てそうな喫茶店を発見しました。その名も「喫茶ボタン」。ウィンドウのサンプルは日焼けし退色。窓ガラスもくすみ幽霊がでそうな雰囲気でした。そういえば幼いころからあった店で当時から古いカンジでなんだかヤバそうなオーラがプンプンな所でチビッコだった私は「ここにはよくない大人がいるに違いない」と思ったものです。私も大人すぎるくらいの年になりましたので、恐る恐る軋む木戸を開けて
入店しました。「!」外観のネガティブさに比べ店内は陰気な照明ながらもほぼ満卓で賑わっていました。が、さすが地元。いまだにテーブルは麻雀ゲームやらポーカーができるゲーム機でソファはダメなロココなカンジ。造花の薔薇。お客様もいかにも地元族な雰囲気で、カーラーにサンダル履きの老女がゲーム機に興じていたり、時代遅れの作業用ジヤンパーを着て競馬新聞を読んでる人。安物で身を固めた大学生など、とても昭和な人々が席について和んでいました。私も席につくとなんとも言えぬ安らぎを覚えてしまう不思議な空間でした。今時のお洒落カフェも好きですが、このように昭和をそのまま継承する店もよいものだと、擦り切れたソファに深く座りコーヒーを飲みました。地元の人間が憩う喫茶店で私も地元の人間として、まったりと空間を楽しみました。地元が野望だの田舎だの下品などとくさしつつも、地元の昔ながらの喫茶店で落ち着ける私は、やはり練馬っ子だなと自覚しました。



2008年2月25日(月) 0:13

モリノス

強い突風の1日でした。私は前から華道友Kに、本日開催される茶会と所作講座に誘われていましたが先約もあり、欠席しました。ウォーターフロントにある茶室にはイベント会場には趣向をこらしたお庭には白砂をしきつめ梅を植えたようですが、突風で砂嵐となり即席で植えた梅は根こそぎ風で飛ばされたようです。さらに茶室では室内が寒く密閉された茶室には炭がおこされ、空気が悪くなり茶の湯の心得をカンジている間もなく空気の悪さに気分が悪くなり、茶会後の美しい生き方とか所作の講座は胸高に絞めた帯が苦しく、講座の内容美しい生き方とか所作はどうでもよく、一刻もはやく胸高に絞めた帯をときたくなったそうです。イベントを早々に切り上げて帰宅したKは足袋も帯も着物も襟元にも砂が付着して、ふと帯と着物をハラハラとふったら床に砂が落ちたそうです。私的にはお客様をお迎えするイベントなんですから趣向を強行するより、強風仕様のお客様に対する会の演出を変更できなかったのかなと疑問に思いました。茶の湯の心得はお客様に対する配慮が一番大切かと
思うのですが、帰宅して着物で砂漠歩いたみたいに砂だらけになっちゃう、イベントっておもてなしの心得としてどうなもんかと疑問をカンジました。



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