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2008年7月の日記
 
2008年7月31日(木) 22:05

モリノス

「指名されていた私」。昨日深夜葬斎場にて、日付が変わって少ししてから、叔母の葬儀について打ち合わせ。プチ論議「喪主は誰か?」。叔母に子供もなく、数年間に叔父も他界。姉弟も高齢・・・。誰を喪主に据えるか談義していたら、葬儀屋さんが「こういった場合、モリノスさんが喪主をなさったら?」と提案され、もう一人の葬儀屋さんも「モリノスさんがなさったらどなたも異論はないかと・・・」と言い、疲れ顔の姉も「それでよい」と頷き、私も「なんだか、自分かも?」みたいな気持ちになり、なんとなく皆が「それがいいそれでいい」的な空気になり、私が叔母の葬儀の喪主を勤める事になりました。今日、どうしても叔母の棺に納めたいモノがあり、姉と共に叔母が一人長く暮らした東京都下の集合住宅に行きました 。無人となった叔母の部屋はイイカンジに散らかり、私も姉も「片付けられない、蟻塚派」なので叔母の部屋を見て「血は争えぬ」と姉と納得(?)したのでした。混雑した室内で私がどうしても見つけて棺に入れたかったのは「チワワ」のぬいぐるみ
です。私が子供の頃、叔母夫婦は当時では珍しい、改良前のチワワを多頭飼いしていて、子供のように可愛がっていました。数年前の叔父の告別式の時に私はピンとひらめき、出棺前にチワワのぬいぐるみを叔父の棺に入れたくて、町のゆるいショッピングセンターの玩具コーナーでチワワのぬいぐるみを探したのですが無く、諦めかけていたら、ダメダメなゲーセンがあり、そのUFOキャッチャーの中に、燕尾服を着たチワワと、マリアベールを頭にかむったチワワのぬいぐるみを発見し、喪服のまま、ゲーセンスタッフを半ば脅し、二対ゲットしたのでした。私は二対とも叔父の棺に入れてしまうつもりでしたが、叔母が、マリアベールを被ったチワワのぬいぐるみは納棺せず、「アンタ、モリクン、私の時にはこの女の子の方をお棺に入れてね」と言われていたので、私はどうしても、散らかった部屋の中でそのチワワの片われを発見したかったのです。が、あっさり、その女の子のチワワのぬいぐるみは見つかりました。しかもその前足には、小さな数珠がかけられていました。高齢、一
人住まいしつつもいつ死を迎えてもよいように準備していたのだと思います。叔母の寝室には古い足踏み式ミシンと、トルソー(洋裁用ボディ)がありました。思えば叔母は自分で針に糸が通せる間は、自分の着る服を作ったり、リフォームしたりしていました。散らかる室内に置かれている古い、ミシンとトルソー。叔母の洋裁の職人魂を感じました。帰宅し、この度お世話になる菩提寺にご挨拶の電話を申し上げた所、住職いわく「そういえば御主人の葬儀の時に言ってらっしゃいましたが、私の時の喪主は甥にしてもらいたい」と言っていたそうです。知らずと故人の意向だったようです。私は「はい、わかりました。叔母の自慢の甥に恥じぬよう、叔母の今生の最後の花道を、喪主として天上界への道行きを喪主として見事咲かしてごらんに入れましょう」と鼻息あらく誓ったのでした。内々で行う葬儀ですが、私が喪主をやるからには一人誰にも迷惑をかけず一人死んで行った叔母の最後のお別れの時間を見事咲かせてごらんに入れましょう!と誓いました。ていうか、やはり冠婚葬祭、
イベントとしてこだわり好きな私なのでした。



2008年7月31日(木) 22:05

モリノス

「指名されていた私」。昨日深夜葬斎場にて、日付が変わって少ししてから、叔母の葬儀について打ち合わせ。プチ論議「喪主は誰か?」。叔母に子供もなく、数年間に叔父も他界。姉弟も高齢・・・。誰を喪主に据えるか談義していたら、葬儀屋さんが「こういった場合、モリノスさんが喪主をなさったら?」と提案され、もう一人の葬儀屋さんも「モリノスさんがなさったらどなたも異論はないかと・・・」と言い、疲れ顔の姉も「それでよい」と頷き、私も「なんだか、自分かも?」みたいな気持ちになり、なんとなく皆が「それがいいそれでいい」的な空気になり、私が叔母の葬儀の喪主を勤める事になりました。今日、どうしても叔母の棺に納めたいモノがあり、姉と共に叔母が一人長く暮らした東京都下の集合住宅に行きました 。無人となった叔母の部屋はイイカンジに散らかり、私も姉も「片付けられない、蟻塚派」なので叔母の部屋を見て「血は争えぬ」と姉と納得(?)したのでした。混雑した室内で私がどうしても見つけて棺に入れたかったのは「チワワ」のぬいぐるみ
です。私が子供の頃、叔母夫婦は当時では珍しい、改良前のチワワを多頭飼いしていて、子供のように可愛がっていました。数年前の叔父の告別式の時に私はピンとひらめき、出棺前にチワワのぬいぐるみを叔父の棺に入れたくて、町のゆるいショッピングセンターの玩具コーナーでチワワのぬいぐるみを探したのですが無く、諦めかけていたら、ダメダメなゲーセンがあり、そのUFOキャッチャーの中に、燕尾服を着たチワワと、マリアベールを頭にかむったチワワのぬいぐるみを発見し、喪服のまま、ゲーセンスタッフを半ば脅し、二対ゲットしたのでした。私は二対とも叔父の棺に入れてしまうつもりでしたが、叔母が、マリアベールを被ったチワワのぬいぐるみは納棺せず、「アンタ、モリクン、私の時にはこの女の子の方をお棺に入れてね」と言われていたので、私はどうしても、散らかった部屋の中でそのチワワの片われを発見したかったのです。が、あっさり、その女の子のチワワのぬいぐるみは見つかりました。しかもその前足には、小さな数珠がかけられていました。高齢、一
人住まいしつつもいつ死を迎えてもよいように準備していたのだと思います。叔母の寝室には古い足踏み式ミシンと、トルソー(洋裁用ボディ)がありました。思えば叔母は自分で針に糸が通せる間は、自分の着る服を作ったり、リフォームしたりしていました。散らかる室内に置かれている古い、ミシンとトルソー。叔母の洋裁の職人魂を感じました。帰宅し、この度お世話になる菩提寺にご挨拶の電話を申し上げた所、住職いわく「そういえば御主人の葬儀の時に言ってらっしゃいましたが、私の時の喪主は甥にしてもらいたい」と言っていたそうです。知らずと故人の意向だったようです。私は「はい、わかりました。叔母の自慢の甥に恥じぬよう、叔母の今生の最後の花道を、喪主として天上界への道行きを喪主として見事咲かしてごらんに入れましょう」と鼻息あらく誓ったのでした。内々で行う葬儀ですが、私が喪主をやるからには一人誰にも迷惑をかけず一人死んで行った叔母の最後のお別れの時間を見事咲かせてごらんに入れましょう!と誓いました。ていうか、やはり冠婚葬祭、
イベントとしてこだわり好きな私なのでした。



2008年7月31日(木) 2:27

モリノス

「叔母の急死」。母方の叔母(母の姉)の死の知らせがセッション中に入りました。高齢で一人住まいをしていた叔母は、数日前にひっそりと亡くなり、今日その死が発見されたのでした。突然すぎる突然。母と姉は、叔母の家に向かい、警察からの事情聴取。私は仕事が終わり、青山一丁目の公園のベンチに座り、現状を携帯電話で母とやりとりをし、叔母には子供もなく葬儀の手配を私達家族で行う手筈になり、引き続き公園のベンチにて葬儀屋さんに連絡を取りました。私は地声がデカいのと、非常事態においてパニクると逆に早口冷静になってしまうのですが、携帯を片手に葬儀屋さんに「変死」「検死」「解剖」「家宅捜査」など物騒すぎるワードを声に出していましたら、公園にたむろすホームレス、残業前にタバコを一服していたサラリーマンとかが、急にソワソワと足早に私のそばからいなくなり、公園は私と野良猫達だけになってしまいました。急すぎる訃報に悲しむというより無感動になった私は理路整然と葬儀屋さんと打ち合わせをしていて、そんな自分を「なんて冷静すぎ
、っていうか冷酷」と思っていました。 電話での話が済み、私はメトロに乗りました。揺られる電車の中で突然逝ってしまった叔母の事をイメージすると、なぜかニコニコとした生前の叔母の笑顔しか浮かびません。次に湧きいでるように叔母との思い出が頭の中のスクリーンに浮かび上がりました。幼児の頃の私と叔母は手をつないで幼稚園への道のりを歩いています。当時病弱だった私の母は入院中でした。幼児の頃の私は幼いながら何か不安でした。ひなびた住宅街を抜けると木々がまわりを囲んだ幼稚園に着きます。叔母はしっかりと私の手を握り、面白おかしい話をしながら歩いていました。なぜか今あの叔母の手の力を四十路の私の手が思い出します。私が演劇やらダンスを勉強していたり、占い師になってアングル的に髪を伸ばしはじめた時も叔母は「まわりなんか気にしなくていい、好きな事を思いきりやればいい、オバチャンは色んな事やりたかったけど、できなかったから、モリクンはやればいい」とニコニコと励ましてくれ、叔母は洋裁やら仕立て直しの店をしていた
のですが、その店に私の舞台ごしらえ姿の写真を飾っていて、来るお客さんに「自慢の甥」と吹聴していた事。私の母が社交ダンスで六本木のホテルのボウルルームでデモンストレーションを行った時、出場者が踊り終えた後、花束の海に包まれるのを見た叔母は母のために花束の数が少なかったら妹が可哀想だからと、六本木のホテルに入っている花屋の花なんて高価なのにいそいそと大きな花束を買い、私の母のダンスをニコニコと見守る叔母、花束を持つその手は日頃の苦労ぶんだけの節があったこと・・・。その叔母が誰にも看取らず独り、死を迎えた。そんな事を思っていたら、地元の駅に着きました。改札をでると帰宅を急ぐ人々が町を行き交っています。私は無意識にその人並みにいないいるはずのない叔母を探して心の中で「神様?お願いがあるんですけど、もう一度、もう一度だけヨウコオバチャンに会わせてくれませんか!」。とつぶやき「なんてバカなお願いだろう」と自分の愚かさに苦笑し、タクシーに乗りました。自宅までの道のり、夜の幹線道路を走るタクシーの窓か
ら見える景色、なぜでしょう?夜だからでしょうか?。信号の赤と青意外の色が見えなくなり他の色はどれもセピア色にしか見えなくなりました。もうすぐ8月、暑い夏も盛りを迎えます。真夏の空は叔母のニコニコ笑顔のように晴れるのでしょう。そして、急遽、深夜にも関わらず葬儀屋さんと通夜告別式の進行。葬儀場の霊安室にて白布に包まれた棺の上から叔母に手を合わせました。私は葬儀屋さんに「あの、祭壇の事なのですが、叔母の名前は陽子、いつもニコニコと笑っていた人なのですが、不祝儀において不謹慎かもしれないのですが、祭壇に飾る花をひまわりにしていただけませんか?」とお願いしてみました。真夏の天晴れな空、天に向かい満面の笑みをうかべるひまわりは、叔母に似合うと思いました。



2008年7月30日(水) 0:15

モリノス

昨日は丸の内まで出かけたので、久しぶりにゴルチェを見に行きました。昨今の体調不良と世間の洋服コンサバ状態に、ちよっと服なんてどうでもよいかも、さらに、お洒落=我慢そして痛み拘束に耐える!というのが私の心情でもあり。元気じゃないとお洒落のひとつもできない(ボンテージ、化繊、ヒール、重い光りモノは体力を消耗します)わけです。ですが、今や日本に直営店二店舗オンリーインポートなゴルチェでは、ラックに宝の山のように挑発的攻撃的な服が「おいでおいで」と呼んでいます。で、モリノススイッチ稼働。次から次へと試着し、インポートなのと痩せたのでレディースモノも楽々着れて、店内のテーブルは私が着倒した、デコラティブな洋服が蟻塚のようにつまれました。私は昔の勘が戻り、ヒョイヒョイと服を選び買いそうになったら、同席していた友人が待った!をかけました。プライス、私が選んだジャケット百万を超え、コルセットも20万を超え、友人が止めなければ値段見ない買い物派の私はもう少しで破産の危機になる所でした。高額過ぎる商品
を吊しているゴルチェもさすがですが、百万を超えるシフォンのスカートとか、パイレーツジャケットはとても手に入れられるモノではなく、叶姉妹くらいしか買わないだろうといったカンジでした。洋服屋というよりミユージヤム級なラインナップを、豪快に着せてもらったのは嬉しい限りですが、私の財布&諭吉が不足しすぎで太刀打ちできる商品ではありませんでしたが、昔から元々担当してくれてる店長は、惜しげもなく洋服というより作品を昔のよしみで着させてくれたのです。買いませんでしたが、久しぶりに気合いの入ったお洋服を着たら、満更でもなく、まだまだ洋服を着こなす力が備わった自分に自信が持てました。やはり私はゴルチェが好きで、買えないのに着た私はそれだけで、鋭気がみなぎりました。攻撃的な衣装を着ると気持ちも晴れると実感し、本調子ではないが、癒しフェアの二日間を乗り切る経験した私は、体調がダメダメで参加できてない、666の興行にそろそろ復帰できるような気持ちになりました。よい気晴らしになりましたが、本音はまだインポート
ゴルチェを購入できない私の経済力を悔しく思ったのでした。



2008年7月28日(月) 23:12

 モリノス

モリノス

「奇抜な日」。昨日一昨日と癒しフェアにおいて忙しいながらも、癒しな時間に身をゆだねた二日間は忙しいながらもまったりと「パステル」な時間だったと思いました。うって変わって今日は歌舞友と玉三郎&海老蔵コンビの「義経千本桜三幕」を観てきました。席はいつもお気に入りの二階上手奥のダラダラと観劇できる「だらしなシート」。通常はこのシートは三人がけで、ほとんど私と歌舞友が占拠できるのですが、この度は一番奥の席に御婦人が座ってらして開幕前なのに、なんだか物憂げに座ってました。この「だらしなシート」はお席的に舞台をきちんと見る事ができないのでその御婦人は、プチがっかりしていたようですが、私は見知らぬ人にも関わらず「この席は案外いいんですよ」などと言い、御婦人も「そうかしら」と怪訝そうでした。いざ開幕。「!」とにかく出演陣が発色の豊かなこしらえで、登場、それだけでも気持ちがスッとしました。この度は海老蔵が白狐の化身として、の役所なのですが、あのルックルとタッパで演じる白狐の演技はうまい下手ではなく、会場
全部を支配していました。中でも親狐の革で作らた鼓を手にした途端の芝居においては荒削りな演技なんですが、会場を涙でつつんだ場面となりまし。なんとガタイの大きな海老蔵がラストで宙乗りをした時は目の前に狐と化した海老蔵」が空中を飛ぶ海老蔵を目前に見れてキマッてしまい。ギャーギャーと騒いでしまいました。久しぶりにメリハリのある演目と豪奢な極彩色の衣装を見て自分が癒えて行きました。終幕後、私が茶藝にハマってると言った歌舞共は、茶館ではないが、茶藝師しかもティーマスターの茶藝師が、アクロバティックにお茶を入れ、(ヨガみたいな格好とか、熱湯を頭に置き湯をそそぐ、蓋腕に湯をそぞく祭に蓋腕の中の湯が、渦巻き状態に回転し始める)など、すごいさすがティーマスターだと思いました。そして暮れなずむ都会の街を歩いていたら、美しい夕焼けを発見、思わず、写メしてしまいました。まったりと過ごすのもよいですが、本日は「キツケ薬」のように自分に気合いの入った時間でした。写真は都会の夕刻になんともきれいな夕焼け空を見たので写
メしてみました。


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