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2008年9月の日記
 
2008年9月30日(火) 23:32

モリノス

「蘇るY」。先日、クモ膜下出血にて倒れたYと会いました・・・。大手術をしたのにもかかわらず三週間で退院し私の前に姿を現したのです。しかも自力で運転して来ました。術中死の可能性大!術後も後遺症が多く残るかもといわれていたのですが、経過がよく超短期で退院したのでした。Yいわく「家族には内緒だが、とにかく煙草を吸いたい一心で辛い治療にも耐えひたすら回復を祈った」との事。うまくできたもので、退院後に煙草が吸えるようにはなったが、今や吸っても吸わなくてもどっちでもよくなったとの事。私に会いにきたのは入院中のことは虚ろでしっかり覚えていないが集中治療室で握った私の手の力を覚えていてその力の感覚が「大丈夫だ!」と変に安心したので、退院したら挨拶に行かなくてはと思い、自ら運転して来たとの事。私的には、バンダナで頭部を覆い、頸部にはおびただしい数の点滴の針傷がまだ生々しい状態なんだから、挨拶なんてどうでもよいのにと思いましたが、とにかくYが健在で嬉しくなりました。ふと「なんで残っている髪まで切ったの?」
と聞いたら、Yは「病院の先生的には右側を剃髪し傷痕も生々しいし女性だし左側の髪の毛を寄せたら剃り跡をうまく隠せると言ってくれたが、仕事で(Yはネイルの仕事をしている)お客様の前に立つときに小細工した髪の毛が下がり邪魔になったらウザイからこの際だからベリーショートにした」との事。私は「女だてらに、あまつさえ黒髪を落とす」ということはなんと心が痛んだ事だろうと思い胸が痛くなりましたが、当人は「イヤー傷口かゆくてポリポリかいちゃうんです」などと言うので「やめなはれ」と言いましたが、Yの根性の座り方にあっぱれと思いました。起きたことは仕方ないので、この状態でやれる事をするという、Yの前向きな姿勢にこちらが元気になりました。ふと気になり「お子さん(年長幼児男児)もお母さんが退院して喜んでいるでしょ?」と聞いたら、Yは「それがウチの息子、私が退院すると聞いたらベッドサイドで泣き、どうしてもう退院しちゃうのぉ〜」とぐずったそうです。どうやら普段の男前ワイルド育児から三週間Yが入院中のびのびと甘々三昧
生活は子供的にはそれはそれで満喫だったらしいので、退院後またしのごのYからお目玉をくらうのがマジで嫌だった様子。とにかく、頭かち割って退院後、自分にかせられた病をネガティブにとらえず前向きに考えているYを見て頼もしく思ったのと、短期で社会復帰した彼女をたくましく思ったのでした。がんばってねYと思いました。これからのYの生活も心配ですが、Yなら克服できると実感した次第です。



2008年9月29日(月) 22:39

モリノス

「四十肩?」。先日駅の階段で転び損なった時に肩から背中を痛めたらしく昨日から変だなと思っていたのですが、本日、首から肩背中とイヤーな痛みが走りました。夜になり10月5日(日)に開催される、666の興行にもしかしたらチラリと出演するかもしれない私は、何を着ようかと倉庫状態になっている部屋に行き衣装を物色しはじめました。「!」。腕が上がらず、激痛が肩から股関節に電流のごとく流れました。「ガーン」、プチパニクった私は、衣装を選びつつ、「あっ!こんな服持ってた!」「あな懐かしや思い出の打掛」「うーむ部屋が汚すぎ、捨てれる物は破棄しよう」「ああっ体が痛い」と同時にいくつも考えて手を動かしていたら見る見る内に部屋は衣類、小道具、羽根飾りなどが散乱し「満艦飾に被災した部屋」になって足の踏み場が無くなってしまい。しかも5日の当日には一体ナニを着たらよいかわからなくなりしかも「これにしようかな」といった衣装が衣類洪水化している部屋から発見できなくなり往生しました。ヘトヘトしながらなんとか
いくつかのシーンを選んだのですが、どれにしたらよいかわからず、とりあえず着てみようと思い袖を通したら「!」。私の衣装は自分の体に基本的にフィットするように作らているので着るのに時間がかかり、手が上がらないので袖を通すにも難儀してしまい、青ざめました。「ガーン!」利き手が効かない=メイクができない!?、ウッヒャーどうしょうと布が散乱する部屋の真ん中で悶々と一人SM状態に陥りましたが、何ヶ月も私の都合で出場できなかったイベントですので、久しぶりの出番に向けて体が痛いのに妙にアゲアゲになり、うまくメイクし衣装を着るにも困難な現状なのに当日はワクワクという高揚感になりました。さて当日、うまく行きますかどうか心配なんですけど、楽しみになりました。私は衣装で体の難をごまかす性質ですので、体の不調を衣装がフォローしてくれると信じ当日に備えたいと思っています。



2008年9月28日(日) 22:46

モリノス

「帯」。姉が10月に長年精進している箏の演奏会が控えていて、私に着物を見てほしいと言うので、実家に行きました、部屋には畳踏紙に包まれた何本かの帯があり、母と姉は思案中。私は姉が用意してた着物を見ました。洋服デザイナーの作品で紫地に花々と扇に熨斗と豪華なんだけどシックな着物で舞台衣装にはよいかもと思いながら、ふと畳んである着物に指をすべらし袖を開くと「ゲッ!」。私は姉に「お姉さん、このお着物中振袖なんですが、お召しになるの?」と聞いたら姉は「えっ?中振だったのよく見なかった」などと着物買った時に確認しなかったようです。子供三人、孫二人な女性が振袖を着て道徳的にどうかとプチ考えましたが姉も私も袖の長さについては 「スルー」しました。問題は帯です。母の持ち物、姉の帯では紫地の中振袖との相性がイマイチピンとこず、私が和モノのイベントで遊女役とかで締める、黒地に金糸銀糸に紅の花が綴れている帯と、灰地に銀糸が円で縫ってありその中に幾何学的に花模様というのがあったので、その二本を紫の着物にあ
ててみました。帯が変わるだけで着物の景色が変わり「別物」に見えます。おとなしい方の灰地の帯は派手な着物の模様を尊重したカンジでバランスもよいのですが、次に黒地に満艦飾の帯をのせると着物の柄が死んでしまうのですが、なんとも強い雰囲気になります。そこへ母ははやり紅の帯揚げを投げて、帯締めと合わせて見ると、スッとした紫の着物に存在感ありすぎの帯、紅の帯締め、帯揚げを着た姉を想像すると、女博徒・オトシマエ、お命頂戴!恨み晴らします!。みたいなイヤな似合方がするのではと思いましたが、姉的にはこの構成でいいとの事でした(いいんだ?)。恒例ですが、弟の帯を姉が巻くというモリノス一家なカンジでした。年齢との挑戦(?)の中振袖にドインパクト帯・・・。さてさてモリノス姉、演奏会でうまく衣装を着こなすでしょうか!。今から楽しみです。



2008年9月28日(日) 0:33

モリノス

「そういう年代」。帰宅時にポストをあけると企業代表宛てで私の名前が記された紙質のよい仰々しいDMが入っていました。封筒の送り主を見ると、なんだかよく知らない会社名で、「投資」「融資」系の広告かと思い、部屋に帰り開封しました。「!」。チラシのキャッチは「1日1回飲むだけであなたのペ○スは確実に増大する!」とありサブのコピーには「即効性抜群!短○・包○・ED・早○全て解消!長さ+10.3pUP↑太さ+2.8pUP↑」と書かれていました。・・・中年男を選んで送ったDMと思われます。チラシには「大きくなって幸せになりました」「コンプレックス解消しました」「彼女ができました」「年甲斐もなく毎晩・・・」などと顔出しの驚きの体験談が記載されていました。「ガーン」、ついに私も男性更年期の広告がお名指しでくるようになったのかとプチショックでした。また、本当に自分の肉体の一部にコンプレックスを持ってる方がいたら、まんまと、お得まとめ買い5本セット38.000円とかいうのを買っちゃうかもねとも思いました
。この広告は知性がまったくなくただ、でっかくなる持続性が高くなる、女性も大喜びと、お下劣文章に呆れてしまいました。若い時には結婚式場からDMが届き、次の年代では土地建物の広告が来て、四十路を迎えたらイ○ポのサプリメントのDMがとどきました。霊園からのお知らせが届くのも近いのかもしれません。私はぺ○スのサイズなんてどうでもよいのですが、「小顔」「美肌」系にはうっかり手を出してしまいそうで怖いです。ヤレヤレそれにしても、イ○ポ薬屋からDMが届く年齢になったのかと思うと初秋の夜風が寂しくカンジました。



2008年9月27日(土) 0:11

モリノス

「老婦人達に救助される」。帰宅途中JRから私鉄に乗り換えました。改札を通り、電光の時刻版を見ると20時38分発の各駅停車の電車があり腕時計の針は20時35分を指していました。次の各停の時間を見ると20時46分!。都内を走る電車なのに10分弱も待つのかい?とプチ焦りました。私は商売道具の入ったデカいカバンを肩にかけて、ホームに続く階段を急ぎ足で上りました。踵の高いミュール、しかもウッドソールの靴が滑り階段を踏み外し転びそうになりましたので、私は普段から転びなれているので、すかさずカバンを投げ捨てハンズフリー状態にして両手を左右の階段につけるように瞬時に準備して数秒後に自分が階段でカバンの中身をバラまき突っ伏しているビジョンを脳内に描き、転び打撲することを覚悟しました。ずり落ちる左足、力の入らない右足はまんまと転ぶ体制になったその時、右では私が放ったカバンをキャッチし鬼のような形相で私を睨む老婆、また体がフアッと軽くなったと思ったら私の左脇に手を入れて私が転倒す
るのを体をはって止めてくれている老婆がニヤリと微笑んでいました。私はこの老婦人達により、階段にいたのに転ばないで済んだのです。老婦人達いわく「アンタ荷物も多いし、足も悪そうなのに慌てて電車に乗ろうとするから転ぶんだよ、アタシ達はアンタがヨタヨタ歩いて階段上ってんのが心配で後からついていたのよ」などというのです。老婦人達はお二人とも小柄で丸めた肩にリックをしよっていました。私は「すいません本当に!ありがとうございます。これで38分の電車に乗れます助かりました、さあ一緒に乗りましょう」と言ったら「アタシ達は年寄りなんですから、走れないわ〜膝も腰も悪いのでね、ゆっくり行って次の46分の電車に乗って、よっこらと座って行くんだわよ、アンタも足そうとう悪そうなんだから無理はだめよ」などとお説教いただきました。それにしても転ぶまでの数秒に右では重いカバンをしっかと受け取り左では私の体を支える力があるスーパー老婆ペア、おみそれした次第です。老婦人達は「大事にならなくてよかったわ〜まだ38分
に間に合うわよ〜」などと言ってくれと私はペコペコと頭を下げて、扉が閉まる前の車内に入る事ができました。が、帰宅を急ぐ他の皆さんは転びそうになった私と老婦人ペアには一瞥もくれず、急ぎ足で電車に乗ってました。私を助けてくれた方達もご高齢なのにも関わらず、私に気をとめていてくれた かと思うと心から感謝の気持ちがこみ上げてきました。それにしても力強く反射神経もよいこの老婦人達、きっと今のへなちょこ若者よりもずっと強いぞと思いました。しかも自分も体悪いのに私が転ばぬように身を挺してくれた彼女達、かっこよすぎです。えっ?脱げる靴履くな、大荷物持つな?基本的に駆け込み乗車禁止ってカンジですかね?。



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モリノスの部屋