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2008年10月の日記
 
2008年10月31日(金) 0:02

 モリノス

モリノス

「太陽子の処世術」。ハンデキャップ猫太陽子は、具合が悪いのに元気に毎日過ごしています。先住猫、坂道子とは仲良くなり、坂道子は人に対しては内向的な態度なのですが、太陽子とはよく遊び、一緒に押し入れなどで寝ているのですが、二匹が寝ている所に私が近寄ると坂道子は「ムッと」して逃げるのですが、太陽子も一緒に逃げて行きます。が私が椅子に座ると太陽子はピョンと跳び、膝に座り毛繕いなどしています。そして同じく先住猫のジュニア黒丸の後をストーカーのごとくつきまとって、ジュニア黒丸に怒られる、威嚇される、噛まれるなど「お前なんか嫌いなんだけどね」みたいな態度三昧ですのに、太陽子はめげずジュニア黒丸にアタックを続け、つい最近ジュニア黒丸が根負けしたのか、太陽子の手練手管のジュニア黒丸に対する懐柔作戦が成功したのか、御覧の写真のようにジュニア黒丸と添い寝ができるようになり、太陽子の至福の表情が写真でも見受けられます。実は坂道子もジュニア黒丸好きなのですが、坂道子なりのダメダメなアプローチにジュニア黒丸に尻を
ガブリとやられそれいらいジュニア黒丸に対する気持ちは諦めたようです。坂道子は太陽子と遊びたいが、ジュニア黒丸と添い寝をしている所を尻目にヤさぐれているのですが、太陽子は夜になると坂道子に甘えて寝ています。ていうか、猫だてらにキャラを変え相手の心を掴むという技を体得しているようです。不自由な体調で人間の同情を受け人の心を引きつけ、性格的に難ありな先住猫達とうまくやっていく様をみると、いい性格してやがるとムカつきつつも、賢い!相手の関心を引きつける事においては見事とおみそれした次第ですし、口蓋が悪く熱出しながらも一生懸命生きてますみたいな様子は、太陽子びいきにどの人もなってしまうに違いありません。頭がよいのか天然なのか、太陽子の行動を見事というしかないのでした。


2008年10月29日(水) 23:19

モリノス

「寒い!」。夕暮れ時から夜風が冷え、帰宅時の青山はほとんど冬的な風が吹いていました。不覚にも本日私は薄着(まだジジシャツキット&腹巻きは今季デビューしていない)でしたので、冷たい風が地肌を貫き、どんどんと体温が下がるのを自覚していきました。暖かい電車に乗ったらこの寒気も治まるであろうと思いきや、人が充満する車内にてもガダガタブルブルと震えがくる始末。本日は陶芸教室に行く日なので地元駅で下車して、チャリをこぎ、武蔵野の面影満載な板橋方面までこの寒さで自転車走行というのは無理!とプチ困ってしまいました。ふと手をみると、どの指先にもシワが寄っていました。私は、この冷気では陶芸教室どころか自宅までチャリをこぐ自信がないと思い、陶芸教室を止めてタクシーで直帰したらよいのに、なぜか「凍った体でとにかく野外でチャリをこがなくてはならぬ」と頑なに思ってしまい、乗り換え駅で降り、終い間際のデパートに駆け込み、一番近い店で薄手のパーカーを手にしたのですが、店員さんが「ただいまフェア中で当店にしか置いていな
い色があります」などというのでその品を見たら「緑茶?」というような色味のグリーンでした。試しにその緑茶パーカーを羽織り鏡前に立ちました。「!」・・・。鏡に映る私の顔は石膏像のように白く、目の下にはクマが網状にはりめぐり青い血管がこめかみに浮いていました。「ベタな幽霊」なカンジなのですが、緑茶パーカーとこのドス白い顔との相性は、キマリすぎなカンジで似合い「見せ物小屋の河童小僧」的なハマり具合に、即買いして梱包もしてもらわずそのまま着て帰りました。気持ちの持ちようなカンジで一枚上着を着ただけで急に体が蘇り、顔にも指にも血色が戻りました。昨年の今頃から腹下し&寒さで悩まされた事を思い出し、思えば具合悪い惨劇の始まりは伊達の薄着からだった!と戒め、はやくジジシャツキットを用意しなくては!と思ったのでした。もう具合が悪い冬はごめんです。



2008年10月28日(火) 23:59

モリノス

夏に遊歩道で拾った、ハンデキャップ三昧子猫「太陽子」。夏を越し秋を迎えた現在、通常の猫でしたらもっとすくすくと成長していてもよさそうなのですが、中々大きくならないので気になっていました。数日前から鼻から膿が出始めて病院に行ったら熱があり、容態があまりよくないとの事。が、ビジュアル的には鼻をガビガビさせながらもよく遊び食欲もあり元気そうに見えます。本日も病院に行ったのですが、相変わらず熱もあり、鼻から膿をだしています。私は医師に、発育状態が悪いことと下顎が異常に小さく見え口を閉じているのに舌が出ているのが気になっていたと報告。医師は太陽子の口を開け歯茎が赤い、歯並びがおかしい、元々の口蓋裂のせいで炎症しているのか、何かのウイスルに感染しているのか判断できない、とにかく体重が増えて3キロにならないと、太陽子の場合ワクチンもオペもできないとの事。さらに歯の噛み合わせをみて愕然、下顎の牙がなんと上顎の内側を刺してしまっているのです。医師的には前例がないし、とにかく成長の様子を見てできる治療から
していきましょうとの事でした。が太陽子は病院から帰ると、おもちゃで遊んだり最近仲良しになった坂道子と遊んだりで、熱あり膿なんですからもっとグッタリしているのかと思いきや、症状的にはかなりヤバいカンジなのです。とにかく3キロまで体重が増えて抵抗力がつくまでが勝負かと思われます。病気持って瀕死状態で家にやってきた太陽子、今や家では一番可愛がられています。もしかしたらそんなに長い間、生きられないかもしれませんが、好き放題に家で遊び、坂道子とも仲良くなり、ワイルドジュニア黒丸には相変わらず相手にされないもの、それでもジュニア黒丸にすり寄っていきます。太陽子としては楽で寂しくない環境だと思っているので私は「アナタ、具合悪いのにアゲアゲなんですが、もしかしたら早く死んじゃうかもしれないので、毎日楽しく過ごしなさいや」と冷たい発言しつつも。「ああ3キロ越えしたら治療の方向が決まるのですからなんとか成長しなされ」と思いました。しばらく太陽子を常に心配する日々が続きそうです。



2008年10月28日(火) 0:24

モリノス

「怖かった〜!」。友人Aと池袋にできた茶館にて、中国茶と本格飲茶を堪能。店を出て夜風が差し込みお腹が痛くなり、地下構内のトイレに行ったらショッピングセンターのトイレは閉まっていて地下三階のトイレに行けと表示アリ、地下三階なんて行った事はないのですが、出物腫れ物状態でしたから階段をおりうすら寂しいトイレに入りました。うすら寂しいのに個室は満室・・・。仕方ないので開くのを待っていたら、チノパンに擦り切れたYシャツの男が入ってきて小用を足しているかに見えました。が、突然そのYシャツ男はチノパンを膝下までズリ下げ、やおら私の方に向き、露出した下半身を私に見せつけるのです。私は「ナニするんじゃこのドクサレ野郎が!」と言いたいのですが、ウンコが漏れそうな状況下でしたので何も言えません。私は震える下っ腹を押さえ変なウォークをしてYシャツ男をかわして外に出ました。恐ろしさと悔しさとウンコ漏れ直前という、追い詰められた私はまた階段を上り、違うトイレに急ぎました。やっと次のトイレに着いたらた
った一つしかない個室には誰かが入っています。これまた開くのを待っていたら中からブツブツとつぶやく声がします。「お経?」と思えた私は異常行為かもしれませんが、個室のドアに耳をつけましたら「いい加減にしろっ××っ!コケにしやがって、いつでもやめてやるっ!やめたら困るのはどっちなんだよぉ〜ええ〜」などという言葉が聞こえてくるのです。私は「ウンコするか文句言うかどっちかにしてくだされや」と拝むように心底思っていたら「パチンパチン」と文句つぶやきと同時に音がします。どうやら爪を切っているようなカンジなのです・・・。「パチンパチン」は規則的なリズムを間をおいて四回聞こえました。察するに両手両足の爪を切っているカンジなのです。私の下っ腹は爆裂寸前たまらず私は、持っていたカバンと紙袋をブルンブルン振り回し「外に人がいるのですよ」という意思表示を試みた途端、個室内からカラカラとトイレットペーパーを引きずる音が聞こえて水を流す音と共にドアが開きました、自然と視線は個室にいた人間に移ります先方も私と目を合わ
せました「!!!」・・・「イっ、イケ、メン店員××さんだ!」と己の目を疑いました。某デパートのラグジュアリーブランド店の顔見知りのショップ店員で、たまに立ち寄っては商品情報などを気さくに丁寧にしてくださる、私が「よくできた方しかもイケメン」と思っていた人だったのです。先方も私の顔を見た途端に石膏像のような顔になり、お互いに瞬時にバツが悪すぎ遭遇に目をそらしてしまいました。私は戸板返しのようにイケメン店員と入れ替わりに個室に入って愕然。そのトイレは異常に狭く、両サイドの壁も肩を縮めなくてはならなくて足に至っては便座に腰掛けたらドアに膝頭がついてしまうくらいのスペースで、とても大人が大便をするにはキビシー環境なのです。しかも予想通り床にはおびただしい数の爪が落ちています。私は「この狭い場所でウンコしながら文句を言いながら爪を切るにはよっぽど体が柔軟なのか、ヨガの達人しかできなかろう」と思い「いつも紳士な立ち居振る舞いのイケメン店員がこの場所であんな事ををするなんてあな恐ろしや」と思ったら、
便意はどっかにいってしまい、せっかく獲得できたトイレなのに、それを使用する事ができず、結局何もしないでトイレを後にしました。友人Aは地下構内で突然失踪した私を心配してくれていたので、紙みたいな顔をした私と合流した途端に「どうしたの〜」と言われたので私は、露出Yシャツ男からつぶやき爪きりイケメン店員の話をかくかくしかじかと話たら、Aは「なんだか気味悪いわ、早く地上に出ましょう」というカンジになり、階段を上ったら、また下腹部が疼くので、安全なトイレに行きたい私は近くのホテルまで歩き、用をやっと足す事ができ、便器に座った途端に「ああっ!なんの心配もなくウンコができるなんてなんと幸せ」と思ったのでした。私的には怪談より数倍怖い体験でした。ホテルのトイレが天国に思えたのでした。



2008年10月26日(日) 23:43

モリノス

「時給3.500円」。見知らぬ会社からDMに私の本名が書かれた手紙を手にしました。目を通すと、指圧マッサージのサロンを新設するにあたり、施術者募集で有資格者かつ某指圧専門学校卒業者対象としての御案内との事・・・。しかも所属した途端に実績や経験なくともスタートの時給は3.500円との事でした。私は「へー私はとりあえずやりますと返事をしたら3.500円の時給がいただけるんだ」と思ったのですが、もし仮に面接に行ったら落ちる自信アリアリ。先方は私を知らないで、おそらく年相応の普通の私ぐらいの年代の施術者を募集するためにどんなルートで手にしたのか、私が通っていた学校の名簿などをもとにDMを送ったと思われるのですが、四十路超えしているのに若作りを超え私服で町を歩いてても知り合いから「変わった衣装ですね」などと言われ、アーティストやバンドをやっているのではないのに無駄なロン毛・・・。更に中性キャラ・・・。まっとうな指圧治療を目的としたサロンには、まったくお呼びでないと思うのです。ですが、モリノスや
りたいキリギリス放題ライフをへた今、昔とった免許の効力でお誘いいただけるというのはありがたいとも思ったのですが、「施術は受けるものではなくしてもらうもの」という高飛車概念があり、DMをサッとゴミ袋に捨てたのでした。もうまもなく新しい年齢になるのですが、集中力と体がついてきてくれる限りはモリノス道を進み、腐る老いではなく、少しずつ枯れる老化を心がけたいと思いました。最近若い頃にはなかったプチ問題は「墓守り」。今世においては自分の家庭とか子孫を残さない事を選んだ私としては老いるにつけまわりに迷惑をかけないように体調管理をして、お迎えがきたらその後の御供養は特に自分ではしていただくより、生きている皆様が生きていくために力を使って貰った方があの世にいる私的にも気を使わないで済むと思うので、新しく一つ年齢を加算した後の最初に行う算段は病院にて献体なるシステムをお聞きして、折り合いがあれば申し込もうと思っています。これは医学に貢献できるからなどという、自己満で選択するのではなく、死してなお体は残り
なんらかの形で死体ながらも目立つ事ができるんですから、モリノス的生活の幕引きとしては死してなお、体は利用価値があるというのが、理想なのなかね?と思いました。時給3.500円のお知らせが届いたら思考はズレまくり、死に際についてをプチ深刻に考えた次第です。



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