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2009年2月の日記
 
2009年2月28日(土) 0:55

モリノス

「雪の日ミイラ取りがミイラに」。もうすぐ3月、寒の戻りか、雪から氷雨となった本日。落合の事務所に飛び込み営業の青年がやってきました。新築マンションのお得な出物があるという事で、いかにその物件がお得かをとうとうと喋るのですが、私は話をしている彼の顔つきがおかしいのに気づき、もしやと思い「あの、お話の途中すいませんけど、貴方いまトイレ我慢してませんか?」と聞くと青年は「じっ、実はそうなんです」というので、私は「では出すもの出してからお話の続きをしたらどうですか」という展開になり、彼はトイレに直行。私はマンションなんか買う予定がないので、その間にお茶などを煎れていました。トイレから出て来た青年を座らせて鉄観音茶など振る舞い「で?御用は?お話は?」などと問うと、投資用としても利用価値がある物件についてしのごの言うので私はしれっと「あの立ち入った事だけど、貴方の指先真っ赤だし、靴もズボンも濡らして、この雨の中飛び込み営業しているのでしょう?さぞ寒いでしょうが、この寒さの中一軒一軒訪ねる仕事の面白
さってなんですか?」などとあさっての質問をし、さらに「貴方ひどく顔色が悪いけど、お昼ご飯とかちゃんと食べてる?」と言葉の矢を放ち、チャネリスタート「ここ数日、一件も話決まってないのでは?、少し滅入っているでしょう?マッチ売りの少女みたいなカンジがするし、職場での人間関係もイマイチでは?、で、まさかとは思うけど日頃の忙しさを理由に彼女とかと疎遠で気まずいっぽいとかアハハハー」などとちゃらかし蓋碗を口元に運ぶと青年は「なんでわかるんですか!?」と驚いた様子。 私は「ここは品物は売らないけど占いをしています、トイレをお貸ししたのもなんかの御縁かもしれないですね、もしお困りの事、悩みなどありましたらお役に立てるかどうかわかりませんが、よろしかったら御利用下さい、残念ながらマンションを購入する予定は全然ないけど」と言い名刺を渡しましたら、青年は私のスケジュールを聞き、後日セッションの予約をして「なんかすいません、最近煮詰まっちゃっていて、誰にも相談できないし、困ってました、ありがとうございま
した」と来た時よりも覇気のあるオーラを放ち、帰りました。これってプチ洗脳による勧誘?。



2009年2月27日(金) 2:09

モリノス

「18年前の誓い」。数年前に私が踊った演目の舞譜が必要になり、部屋を探しました。アナログな私はパソコンに原稿を残すという術を知りませんので、当時ワープロで打った舞譜をプリントアウトした紙を探したのですが、見つからず。その代わりに一通の手紙を発見しました。それは私が最初に入所した俳優養成所の同級生Oからの手紙で、私がその養成所を途中で辞めて、新劇の俳優養成所に移った時に、Oは「自分も今の養成所を卒業したら、ツクシダさんのいるEに必ず行きます、オーディション一次は通過しました。二次もきっと通過して一年下になりますが、ツクシダさんをおいかけます、絶対約束します」とありました。Oはその年の試験に落ち、次の年もエントリーして、オーディションに向けて練習していた矢先に急に心臓をやられ亡くなりました。私は当時はこんな事になるとは思っていなかったので、手紙を読んでせいぜいがんばれくらいの気持ちでいたのですが、彼は私との約束を守る事なく天に召されました。18年ぶりに色褪せたOからの手紙を読むと、
芝居にかける情熱と、私ごときを目標にがんばっていたんだと思うと、「Oは本当に芝居がやりたくて、私と同じ板の上に乗るのを楽しみにしていたんだな」と思うと、当時彼が死んだ時に流した涙と同じ涙が18年ぶりに私の頬をつたいました。思えば昔は私も彼も20代、かれの時間はその時に止まってしまったけど、私は今生きています。俳優という仕事を全うできなかった私を、天国のOはどう思っているのかなと、イメージしましたが、あの世のOは「ツクシダさんがやりたい事に今でも取り組んでいるならそれが一番ですよ」と言ってくれるような気がします。で、Oからの手紙を読んだ私は「O?私は年はとったけど相変わらずです、君と同じ板に乗る事はできなかったけど、また巡り会う時がくるのであれば、その時は、共演しよう」と今は亡き大切な友人Oに約束をしました。そして18年間私の部屋の引き出しに隠れていたOからの手紙を今一度読んでから、ビリビリ破いて捨てました。手紙をこれからも手元に置いて置くよりも、心で18年ぶりに約束をし
たので、もう昔の手紙はいらないと思ったからです。私ごときを目標にがんばっていたOは志半ばで亡くなりましたが、彼の諦めないハングリーな精神を兄貴分の私としてはイイカンジでえいやっと背負い、毎日を過ごして生きたいと思います。こんなプチ感傷的な文を書くと、「その人の念が災いする」「その方の無念を感じると悲しい」的な事をのたまう、自称霊感体質の勘違いキャラが出てきそうですが、私からしてみるとそれらのネガにしかイメージできない輩はインチキ!そして思い込みと言いきります。なぜなら、Oは死ぬ直前まで、前を見て目標に向かってがんばったのですから、短い命だったとはいえ、その寿命を生ききったという、確信があるからです。私もOに恥ずかしくないような人生を生きていきたいと思います。



2009年2月26日(木) 0:43

モリノス

「歩行困難」。今朝からなんだか脚の調子いや全身がきしみ、「?」と思いながらも、身支度をして出勤。「?」。全然歩けない&全身だるく微熱感アリ。いざりでフウフウ言いながらイヤシロチ青山に出勤。私はスタッフ白石さんに「水中歩行したらたいそう具合がよかったので、日課にしようと思っているのだが、今日は体の具合が悪い」とこぼしたら、隠れ体育会系の白石さん(スキーノルデイック選手、水泳選手、バイク乗りの経験あるそうな)いわく「私は1ヶ月、水泳に夢中でしたが、その後に喘息になりました、どうやらプール塩素が喘息持ちには悪いようです」と言われ、ああなるほど!と思った瞬間、今日のいざり足の原因がイメージできました。先日水泳歩行をした際に、トレーナーの先生からはただ直線をゆっくりみっしり歩けばよいと言われたのに、久しぶりに体が水中で自由になった私は気をよくしてトレーナーの先生の目を盗み、バレエっぽい事や水中でできるストレッチをしてしまったので、たとえ水圧で体の負荷が軽減されるとしても、普段運動から遠ざかってい
るのに、いきなり全身の関節を伸ばしてしまったのですから、後日そのツケとして筋肉痛かつ、今の私の股関節の可動域を超えて筋肉やら腱を思う存分に伸ばしてしまったので、陸上にて股関節はゆるんでいるが、体重が乗らず歩行が難儀になったのだと思われます。つまり普段は股関節がロックした状態での歩行をしてバランスをびっこながらも維持していたのに、股関節がゆるんでしまったので、重心がとれず、いざり三昧になってしまったのだと思います。で、私は本来の重心と歩行のペースを戻すべく、夜の遊歩道で歩行の練習をしました。すると、気を使って歩くと、股関節がゆるんだ状態で、元々の歩行を意識する事により、なんとかうまく地に足をつけて歩けるようになりました。水中にて体がうまく使えるようになって浮かれまくったのがよくなかったのだと思いますが、水中歩行の効果は実感したので、浮かれて水中ではしゃぐのではなく、歩行に集中しようと思いました。で見栄張りの私は専属トレーナーのいる入会金が天文学的な額のホテルに入会するか、自分の間尺にあっ
たプールで、水中歩行はアゲアゲにならず、続けようと思いました。で、せめてラグジュアリーなジムには入会できない分、おしゃれスイムキャップと水着を買わなくてはと、本来のリハビリとしての水中歩行ではなく、カッチョイイ水着を来たいという、コスプレ魂がむくむくと芽生え、本来の目的からプチズレているな自分とは思いましたが、なんにしても、形から入るにしても、水中歩行を本格的に始めようと思っています。水着濡れるの髪濡れるのヤダな自分ですが、三日ボーズにならないよう戒めようと思っていますが、スイムキャップと水着をゲットした途端に、満足してしまいそうな自分がイメージできそこんとこがプチ心配なのでありました。



2009年2月24日(火) 23:45

モリノス

先日、久しぶりにリ駅構内にあるフレクソロジーふらりと入ってみました。ウナギの寝床のような薄暗い店内に施術ベッドが何台も並び、施術者が揃いの制服で居並ぶお客様達の足にかしずくようにして、せっせと足裏を揉んでいます。私はなんだか生まれつき贅沢者魂なので、見知らぬ人の横に寝るのはイヤだなとお店に入った事をプチ後悔したのですが、なぜだか私は奥のさらに暗い仕様になっている場所に通され、他の人と隔離されるようなカンジがして、それはそれで微妙に違和感を感じたので、スタッフの人に「なぜ私は他の人達と違う場所なのですか?」と聞いたら、まずは服装がリラックスしていただくには窮屈そうで、アクセサリーやらベルトやらもお楽になっていただく上で、外して服もなるたけ薄着になった方がよく、差し支えなかったらスキニーなパンツも短パンに着替えた方がよく、薄着で短パンでウロウロすると店内で目立つので、フィッテングルームに近い所とあまり人目につかぬ場所にしましたとの事で、配慮していただいたようです。更に私が右足が不自由である
事を伝えると「御安心くださいませ」とベテラン風なスタッフが担当者となり、施術が始まりました。アロマテラピーやスエーデンマッサージを受ける時はいつも個室ですので、はたして「ゆるむ」事ができるだろうかと心配になりましたが、丁寧に足裏を揉んでいただいているうちにウトウトとしてきて、熟睡はしていなく回りの様子もわかるが「休まっている」という不思議な心地よさを覚え、周りに人がいるという事を忘れさせる時間であり、沢山人がいてもお客様を「リラックス〜」な一時に誘う事ができるセラピストでした。フりで入ったわりには当たりだったなと夢心地の中、満足していたら、そのまったりとした静寂を破る男の胴間声が!「お前らっ!靖○神社に参拝したことはあるのかっ!」。リフレクソロジーでトロトロになっていたお客様達に緊張感がみなぎり、ほぼ同時に皆が声の方向を見たのですが、その時、私を担当してくれていた頭シニヨン長身の綺麗なお嬢さんがそのルックスに似合わぬドスボイスで「ここはお客様にゆっくりとお休みいただく場所でございます、
そのようなお声を立てられますと、お客様に多大な御迷惑がかかります、お話がおありでしたら、別の場所で私がお伺いさせていただきます」とスルスルと丁寧啖呵を切り、言葉は穏やかだがその顔は口を真一文字に結び、目はこれ以上開かないほど見開き、訳わかなんない事を言った変な男に、殺気じみた目力を刺していました。男はそのままブツブツ言いながら店を出たようです。私は「なんともカッコイい!人を癒やしてならず者を一喝するなんて素晴らしい」と思い「イヤー、変な人ってどこにもいますよねぇ〜!駅構内で商売してるんですから、あんな人もたまには来て大変でしょう?」とやや興奮気味に喋ったら、カッコイいセラピストは「御心配ありがとうございます、お客様?少しお声が高うごさいます、他に休まれているお客様がおいでになりますので・・・」と宗教的スマイルでたしなめられました。って、皆様が静かな時間を過ごす空間で、大声で叫んだ男と同じ事をしてしまった私でした。めったにしないモリノス反省ってカンジでした。



2009年2月23日(月) 23:53

モリノス

「水中歩行挑戦」。本日の夕方恐る恐る、先日紹介された股関節のリハビリとして有効との事で、トレーナーの先生の元、プールに行きました。入浴以外で水に使ったのは十数年ぶりでした。長方形のプールの縦を普通に歩くのですが、地上ではビッコひいてしまうのにとても楽に歩く事ができ、もしやまともに歩けるようになったか?と錯覚したほどでした。がプールを行ったり来たりしているうちに悪い方の脚が水にとられ、よろけてしまいます。おおなるほどと思ったのは水中で脚が疲れる歩行してからが、トレーニングでゆっくりと水中でバランスを取りながら直線を歩いていくとイイカンジで水圧という負荷が脚にかかり「なんだか萎えた脚が鍛えられてあいるカンジがする」と思いました。知らぬ間に小一時間ほど水中歩行をし、ふとたわむれにプールのへりにつかまり、バレエのバーもどきを試みてみたのですが、これもやはり地上ではできない脚の屈曲が可能で、グランプリエ、アラベスク、アチチュードそして半回転ターンなどが楽にでき、「あなうれしや」と思いました。調子
に乗った私は水中でできる限りのストレッチをし、その様子を見たトレーナーの先生は当分は自分の所に来なくても近所のプールで今の動作をしてればよいと言われました。普段、陸上生活で難儀している私は久しぶりにのびのびと四肢を動かす事ができて、感激の極みだったのですが、水中でただまっすぐに歩く事に集中していると、その間に「よろしくない気」みたいなモノが水に流れていくのを感じ、リハビリと浄化のダブル効果があるのでぜひ水中歩行をこれからしようと思ったのですが、プールから上がりシャワーを浴びて外に出ると、今まで体が軽かった分、陸上での動作は現実的すぎで、歩行も疲労も手伝いギクシャクとなりました。帰宅すると肌がイヤな感じで荒れていて、普段、スキンケア鬼な私的には「なんか水中歩行は楽しかったが一度でこんなに肌乾燥しかも荒れ」というのはいかがかなものかと、水中歩行を日常習慣に入れるのはどうかと躊躇しましたが、元々はインドアなくせに体動かすのは嫌いではないので、四十の手習いよろしく、毎日でなくとも水に入ろうかな
などと思った次第です。って事で、近々イケてる水着とスイムキャップでも見に行こうと、プチ気持ちがアガッたのでした。



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