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2009年3月の日記
 
2009年3月31日(火) 23:55

モリノス

「力湧く」。ある大勢お見えになる会にて、私と同年代の友人Kは迎え花とかお座敷のディスプレイのお手伝いなどしたのですが、飾り付けが終わり、控え室で談義していたら、年配の参加者の方から「二人とも、なんだか疲れている様子、さらに今日は顔つきがきつい」と言われ、思えば私もKも3月は色々と物理的にも心身を蝕む月だったねみたいな話になり、お互い4月から気持ちを切り替え頑張ろうなどと労いあっていたのですが、ふと私はインスピレーションでピンときて、友人Kに「ちよっと早いが夕食をとりに行こう」と誘い、たまにしか行かない(お財布力的に敷居が高い)薬善中華のお店に行きました。たまにしか行かないのにお店の人は私の事をよく覚えてくれていて、いつも担当してくださる女性チーフに「あの、とても疲れていて、ストレスフルで、なんとなく病み上がりなのでよろしく」と言うと彼女は「はい、承知しました」と言うとそのまま厨房に、指示を出しに行きました。メニューを見ず、お店の人に食べるものを託すというのは、私にとってはそのお店を完全
に信頼しているということで、また「メニューを見て分量とか値段を確認してからオーダーしないで、お店にお任せ」というのは特別メニュー裏メニューなので、かなりな大人食いとなります。で、私はKといったいどんな料理が出てくるやらと話し合いつつも、お互いに近況報告談義プチイタい話に興じていたら、最初の料理が運ばれました。ベラベラ話ながら料理を口にした途端「!」私もKも無言になりました。美味しいというより、体に心に染みる味付けと食材に、思わず沈黙してしまったのです。我らのために用意された料理を次々に食べていくうちに、体の芯が燃え始めて、血液が段々とよいカンジに流れていくようです。そして料理が続いて行く毎に、トゲトゲな気分も溶け、私と友人はすっかり血の気のさした顔で「栄養剤を飲んだみたい、さらに落ち着いてハッピーな気分だね」と、薬善の効能を素直に体が吸収したカンジでした。見事なのはチーフです。我らの食事の進み具合とか顔を人知れず見ていて、料理の内容や出す順番を決めているのです。すっかり料理を食べ終えた
私達は、「お口に入る物で元気が出るさらに、こちらの状況を伝えたらドンピシャな料理を出すチーフの機転」にすごい人だと、絶賛したのです。私は思うに「あれがいいからこれが効くから」的に色々と御好意で勧める方とかがいて、こちらがお断りするにも、お受けするにも、そういった場合は気を使ってしまうのですが、こちらが「こういうものがありませんか?、こうしていただけませんか?」とお頼みした時に、この薬善料理のチーフのように反射神経よく、応えてくれて、さらに彼女なりのお客様に対する絶妙な配慮をして下さる方がいると、薬善効果だけでなく、チーフの人柄も加味され、体調的にも、気持ち的にもアガり、力が湧いてきたように思いました。が、精算をして表に出て、レシート見てびっくり、若いモン10人焼き肉おごる金額とだいだい同額で、私とKは「なんだか体も心もすっかり元気になったが、財布がさみしくなっちゃったね」と、寒い夜風が都会の大通りを吹き抜ける中、体をポカポカ、財布スースーにしながら、また、会の催される現場に向かった
のでした。



2009年3月31日(火) 0:12

モリノス

「水底の裏の都市」。電車内でうたた寝をしていました。浅い眠りの中、不思議な夢を見ました。実家のバルコニーに急に池ができていて、不信に思った私はその池を覗くと極彩色の魚達が泳いでいました。その色鮮やかな魚を触ろうとした私はそのまま池に飲み込まれ水中へ…。どんどん水底へと沈んでいき、なんとか水上に浮上しようと思うのですが、ふと下を見ると、水上が下にあり、あれっ?と思っている間に、浮かばず、沈んだ先に陸がありました。そこは物凄い量の木々が溢れ森というよりジャングルで、その中に高層のビルが立ち並び、海も近ければ川もすぐそばにあり、自然三昧な所に都市が形成されているような様子でした。そこで暮らす人々はビルの中でエクササイズをしていたり、木下に物憂げに寝ていたりしています。そこの都市には乗り物は一切なく、紙幣も存在せず、人々はそれぞれ自分が出来る事を与えて、それを求める人に分けていたりします。何も技術がない人は滔々と流れる水を飲み生きているようでした。私は「アウトドアとインドアの究極の融合都市だね
、なんという理想の国!」と感心し、ぜひ自分もこの森林都市の住人になりたいと、水からあがった所で目が覚めました。夢というのは、あともう少しっという所で醒めてしまうものですが、あまりにも心地よすぎな夢だったので、混雑する人いきれのする地下街を殺伐と歩き回る人々にアチコチぶつかりながら、電車の中で見た夢を反芻しつつ、ひとり悦に入って今日の現場に向かったのでした。



2009年3月30日(月) 0:24

 モリノス

モリノス

「光る原石、ビックマウス」。最近親しくしていただいている、A一族の御長男が高校生だてらに、バンドを結成し、その活動が認められ、本日ワンマンライブを決行するというので、打ち合わせ終了後に急いで、インデーズバンドがライブ活動を行っている小さなライブハウスに行きました。高校の同級生が結成しているバンドという事で、私の先入観として「文化祭ノリ、自己満」なイベントでしょうねと、思っていたのですが、本番直前に出演者を迎えるステージのライトが変わった瞬間になにやら「なんか、誰も出ていないのに何か強いものを感じる」という、期待感を持ちました。いざバンドのメンバーが登場し、ボーカルを勤めるA一族の御長男Y君は登場した途端に「俺達のライブは90分だけだけど、見に来てくれたみんなには一生分の充実感を感じでいただきたいです」などという、身の程知らずなビックマウスで言い放つのです。私的にはその言いっぷりに、ドン引きするかと思いきやツボに入ってしまい「この子なんだか、イケてる」と思ってしまいました。最初の曲が全力
で歌いまくるY君は未熟ではあるのですが、その集中力と美しい所作で、高校生バンドの稚拙な部分をカバーし、最後まで飛ばしまくりました。ラストの曲の前にY君は「なんだか、俺、限界がきていますが、頑張ります」的な甘えた事を言うのですが、私は「貴方は若いんですから限界感じても一晩寝たらまたエネルギーが充電されるが、初老の私が限界感じたら=お迎え近しだよ」と、突っ込みたくもなりましたが、Y君なりのこだわりと最後まで切れない集中力と力技でキープしたテンポで終了したライブに来ていたお客様は惜しみない拍手を送っていました。今は原石でありながらも内側から光っているようなY君にお客様の拍手という、なによりかけがえのない尊い「心付け」を頂戴したように思います。Y君の今後に大いなる期待と可能性をカンジました。若いながらも芸事に挑む間に、色々とこれからも苦労と葛藤の日々だと思われ、しかも高校生という制限がある中での音楽活動というものは、自分が思っているより難しい日々が待っていると思います。がその苦労というものは原
石を研磨剤にかけ、光を四方八方に放射する宝石になるために必要な苦労かと思います。親子と言っても過言ではない若者のライブに私の細胞の鮮度がよくなったような気持ちになりました。写真は私とY君のツーショットなのですが、彼は未成年であるのと、私の日記をご覧いただいている方が多いという事で、加工修正をさせていただきました。


2009年3月28日(土) 23:27

モリノス

「武装タクシー」。帰宅時、メトロの駅からタクシー乗り場へ、何気なく乗車し愕然「なんか包囲されてる!、しかも運転手、鋼のような眼鏡とフルフェイスみたいなマスクで怖い!」と思いました。最近、タクシー強盗などの被害が多いせいか、運転手席を囲うように透明なボードが張り巡らされて、その後ろに座るとそのボードに頭が着いちゃうくらいの近距離、さらにギアの位置にカラシスプレーのような缶が設置。運転手をよくよく見ると花粉症対策用の眼鏡にこれまた花粉症対策用の一番ハードなマスクを着用していて、まるで変装しているようでした。なんだか狭いし拘束室のような車内に「このまま拉致られる?」とプチ不安が頭をかすめたほどです。行き先を告げようにも、透明ボードのせいで声が運転手には届かないらしく、窮屈なバックシートで大音声で目的地を叫ぶ羽目になりました。運転手と気さくな話もするのもなんかできず、じっと座っていたのですが、やれ前方に自宅が見えた時には安心しました。いざ料金を支払う時にはボードが車内を占拠しているので、一体ど
こから金を払ったらよいのか皆目見当もつかず、往生したのですが、かなりギア位置のずっと下の方に小さな穴があり、そこからお金を差し出すカンジでしたから、おそるおそるお札を二枚出したら、運転手は引きつった目で私をガン見するのです。閉所な車内に怖じ気づいた私は不覚にも二千円でお釣りを貰うよていが、なぜか二万円を出してしまい、運転手を混乱させてしまいました。間違いに気づいた私はしどろもどろでお札を二千円に取り替え、精算をして下車したのですが、防犯対策仕様の車内で、いたずらに動揺してしまいました。剣呑な事件を防ぐ為の装置かもしれないが、利用するお客様を不安にしてしまう、車内はどうかとおもった次第です。



2009年3月27日(金) 23:40

モリノス

「あれた指先」。落合の事務所にて休憩中の時の事。私は久しぶりに茶藝の練習をしていました。ティーマスターから習った「ミリョクスゥェンカ(漢字に変換できないのですが、弥勒菩薩の姿勢)」を鏡を前に、そそと茶壷を手に所作の稽古をしていたら、飛び込み営業の客アリ…。五十代後半〜六十代に見える婦人で、広告用のHPの御案内との事。昼より雲が日を隠し、冷たい風が吹く早稲田通りを一軒一軒、営業をしているらしく、風に打たれ、乱れた髪に艶はなく、私はふと、向こう正面の席を薦め「まあ、立ち話もなんですから」と見知らぬ人にお点前する事になりました。営業の話から、中国茶とか茶器の話に移行しさらに、婦人のお悩みを聞くことになりました。夫がギャンブルにて使い込みリストラ、子供も派遣切りに合い、鬱に…。インターネットの事とかよくわからないが、高齢でもパートがあったので飛び込み営業を始めたが、薄給に出来高歩合制なので、中々、結果に繋がらない…。などと婦人の口に戸板は立てられません。私は宗教的な微笑みを浮かべながら「これっ
て新手の泣き落とし商法か?」とプチ疑いつつ、茶匙を持って、改めて婦人を観察。ふと彼女の手を見ると節くれだった手はすっかり乾燥して、ひび割れている指先が見えました。なんだか、婦人の苦労の毎日が指先に見えた気がしました。私は遠い角度からお湯を飛ばし待ち受ける蓋椀にお湯を刺して湯をクルクルと回わしてみせて(私は最近、お湯を回転させる技を練習していて三回に一回の成功率)、さっと蓋をして「なにかと大変な御様子ですが、お仕事のお役には立てないのですが、一服どうぞ」と芝居がかった風情で言い。婦人はなんだか厳かな様子でお茶を口に運ぶと「ウウウッ」と呻いたので、私が淹れたお茶に何か毒でも?お口に合わない?と慌て「どうされましたか?」と聞くと、粉のふいたような手の甲で鼻を押さえ「なんだか、感極まってしまってウウウッ」と、嗚咽しているのです。窓の外から見ると私が婦人を泣かせている図に見えちゃう筈です。プチ表を気にしつつ二煎目を淹れ「私は密かにここで占いをしているので何かお役に立つ事があったら、いつでもどうぞ
」と名刺を渡したら、婦人は「なんだか色々考えても仕方ないですよね〜、静かにお茶いただいたらなんだか、落ち着きました」などと言って帰って行きました。お互いに営業失敗…。だけど、なんだかよい気持ちな一時でした。こんな御時世でも桜は咲き、もうすぐ新学期の4月…。こんな時代だからこそ、チマチマと手の込んだ事をしながらお茶など飲む時間など持った方が、このウネウネな乱世、生きやすいかもしれません。



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