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2010年1月の日記
 
2010年1月31日(日) 23:20

モリノス

「将来の自分にもたらす宝」。今世の奇縁により師弟となった私ともうすぐ高校生卒業の相澤モリノスがリーダーを務めるバンドのワンマンライブに行きました。私はこの度のライブについては見に行かなくとも必ず大円団で終わるという(内容、構成、技量のクオリティは別として)確信がありました。学生生活を共にした友人、家族がお客様、高校生活が終わると学生バンドの活動を手放し、それぞれの大人への道に進むメンバー…。本番を迎えるまでの猛烈命がけ練習…。その中での大人目線だと他愛もないことなんだけど苦悩と葛藤。とにもかくにも素直に一生懸命な湧き出でる力…。私はこの度は毒ダメ出しを封印。最初は素直に その渾身な姿勢に視点を合わせてステージを見ました。のっけから爆走する相澤、当たり前のように声を割ってしまう彼…。その瞬間にコーチスビリット仕様にキャラチェンジした私は、割れてしまった声でイベントを続けなくてはならない相澤にヤバいと懸念したのですが、グダグタになりながらも、私が指示した発声を体得し、割れた声で声量を調
節しライブを継続する相澤に一年前のワンマンライブから比べると、ボリュームが出てきた事を成長した事に感慨深いモノがありました。十代の時に経験できるというのは貴重な事で、メンバーやお客様が、何年後かに充分大人になった時に、あの若き日の思い出があると、あんだけ苦労したんだから、目の間前に起きた試練があったとしても、あれが出来たんだから、乗り越えられるという励みにもなりますし、また、この若き日の思い出はすっかり大人になった時にメンバーやお客様と再開した時に、あの青春時代を熱く語り合え、自身達を鼓舞する事となるでしょう。打算と計算で未だにチョロチョロと、すっかり大人なエイジだのに表現の世界に足を突っ込んでる私は、全力投球するのではなくどこか計算をするという、醒めた感覚でいるのですが、この度のライブを通じ、若さゆえの無謀な挑戦を羨ましくもあり、多感な十代に熱くなるやりたい事に取り組めている若者は、幸せだなと思いました。



2010年1月30日(土) 23:59

モリノス

「秘策!」。私の目は元々はスパッと彫刻刀で切ったような一重瞼で、幼き日には目つきが悪いなどと小学校の担任教師から、往復ビンタをくらったりなどしたり、俳優養成所時代には稽古中に左目を挫傷し眼科に行ったら、これを記に二重瞼にしたらと提案されたり、したのですが、私的にはクッキリ一重が気に入っていて、あえて一重に縫合してくださいといい、それ以来一重ライフで一人悦に入っていたのですが、昨今の老化により瞼もたるみ昔一重だったのがかえって災いし、瞼の上に幾筋もシワというか線が入り、二重どころか三重四重状態になっています。元気な時はカッと目を見開く事で、一重の印象を保つ事ができるのですが、マックス疲労や熱に冒されているときは、たるんだ瞼が重く目を開けていると眼球の上に目蓋がのっかり自分の目で瞼の皮が見えてしまうくらい下がり、眼瞼下垂チックになってしまいます。そこで私は先日S化粧品で教授された、ビユーラー目尻三分の一引き上げテク& 形状記憶マスカラ下地を塗り、その後に同じくSのボリュームロングなマッ
トなマスカラで釣り上げ気味に塗ると、あれ不思議、落ちてくる皮が、ストッパーになり、瞼雪崩を防ぐことに成功…。最新のメイク用品はあなどれないと思いました。



2010年1月29日(金) 22:52

モリノス

「マントの怪…」。実は一昨日から、体調を壊し、うーむうーむと苦しんでいたのですが、内科に行くとインフルエンザではなく、疲労とか風邪的な診断で、痛み止めとか抗生剤をいただいたのですが、熱が一向に下がらず往生していました。で、本日出勤前に鏡を見ると「!」ガーン!、私の極絶不調のシンボル両頬骨に内出血したような痣が浮き出ていました。私は「イヤだな〜、痛み、熱、痣三位一体攻撃だよ、どうしょう〜コンシラー自分で調合下やったこしらて塗らないと痣がカバーできないんだけど、特性コンシラー作り時間かかるんだよな〜」と、顔の地塗りに抜かりなく、カバーマーク仕様の化粧をし、体は火が出るほど熱いが、念のために冷やさないようにと厚手のジャケットを着て、その上からオーバーを着ると着膨れ三昧になるので、マント状のシヨールを巻いて、外に出たその刹那、脚に激痛が走り、目眩がしてその場でうずくまってしまいました。額や背中からイヤーな冷たい汗が流れます。しばらくかがみこみ動けないでいると、通路にダラリと張り付いたマントの左
右がゴニョゴニョと動くではありませんか…。悪霊やら怪かしに憑依されたか?と、プチ脅えた私はともかく立ち上がろうとしたのですが、体にまとったマントが重くて、立てないのです。これはやはりマントに魔物などがとり憑いているに違いない、自分が弱ってるから、かのような魑魅魍魎に翻弄されるのだ!頑張れ自分!と鼓舞し、力を込めてえいやさっ!と立ち上がると、マントの左右がブランブランしているではありませんか…。なんとマントの左右に、デトックス成猫シマダさんと、つくば茨城県出身、紅葉凛子がマントの生地に爪を立てそれは楽しそうにぶら下がっているのです。「可愛い〜」と私はつぶやき、マントから二匹の猫を引き剥がし、颯爽とマントを翻し、扉を開けようとしたら、二匹の猫は、まだ遊べ遊べといわんばかりに、床にゴロンと横になったり、壁に首をナスナスして甘えるのです。私は出勤前に体調に自身がなくプチ不安だったのですが、飼い主が具合悪く、うずくまっているのをいいことに、その隙にマント内に侵入、更にマントにしがみつき爪痕残しま
くり…。さらに遊べと強要…。世の中には具合の悪い患者さんのために介護犬や介護猿などというのが、あるというのに、ウチのシマダさんと、紅葉凛子はまったく役に立たず…。が、やはり私の具合をよくする特効薬は猫(服用はしないですから)。扉を閉め後追いするシマダさんと紅葉凛子の声を聞いたら体調悪さにおける不安は払拭され、ビッコの足をカツンカツンいわせながら駅まで向かいました。



2010年1月28日(木) 21:19

モリノス

「タイガーアイ…?」。セッション中の出来事。お客様でもあり友人Aが、ヒーラー的な人から「今のアナタに必要だと思うから」と言って小袋を渡され、さらにこの袋の中身にはパワーだかエネルギーを入れて置いたので決して開けてはイケないと言われ(夕鶴か浦島か?ってカンジ?)。プチ逆に怖くなったAは、その小袋を私に渡して「大丈夫ですかぁ〜?」とオロオロと聞くのです。私は決して開けるなという小袋を、普通に受け取り中身を見て「!…」。思わず「これは良くない…」としかめた顔で言ってしまいました。Aは「エーッ!」とビビりました。私は良くないと言ったのは、パワーとかヒーリングエネルギーとかの事ではなく、この小袋の中身の石の品質です。この石はタイガーアイなのですが、違う鉱物も入っているし、なによりタイガーアイの特長である、虎目というか猫の目のように中心に光る筋が一つも入っていず、まるでカンロ飴のようです。パワーストーンとしての効果には問題ないのかもしれませんが、私だったら女のAにタイガーアイをあげないし、このよう
な粗悪品はとてもじゃないけど差し上げられないですよ、恥ずかしくて…。あっ、もしかしたらこの小袋を明けるなという指示は、中身がお粗末なので、どなかに見せたら失笑をかうので開封するなと言ったのかもね〜。などとイヤミを言い「!」と嫌な予感がしてAに「貴女、これいただいたって言ったけど、このカンロ飴に金は払ってないだろうね?、これ売り物にもならないくらいカンロ飴レベルなんだけど」と聞いたら、石に金は払っていないとの事…。ホッとした私は猫目の筋がまったく光らない球体のタイガーアイを「アナタも原石から玉になってタイガーアイとして市場に出たんでしょうけど、なんだか肩身が狭いでしょうよ、カンロ飴なんだから」などと声をかけ、私なりに手の中で転がし、ヨシヨシしていたら、カンロ飴のハジから光り、ロンパリなカンジではありますが猫目の筋が光りはじめました。今一度、Aにはパワーストーンとしての効果はあるだろうけど、人には見せない方がいいよ、貴女が恥をかくからね、あと、これをくれたヒーラー的な人にも言いな〜。お客様
が恥かくような品質のモノをたとえ無償であげるにしても、意味ありげに渡すとアナタも立場ないから〜と、Aに言ったのですが、たとえ粗悪品でも玉として生まれ変わった、ロンパリタイガーアイが、なぜか愛おしくもあり、結局は、ダメダメな石だけど縁あってAの手元に来たのだから、例えカンロ飴でも大切にしようじゃないかと、意見が一致したのでした。あとは、Aにこの石にエネルギーらしきモノを注入したヒーラー的な人の石選びが、霊感レベルではなく常識的な見識力を持っていただける事を願ってやみません。



2010年1月27日(水) 23:12

モリノス

「ワイルドライフ」。事務所に漫画本アリ…。先にスタッフ白石さんからお読みになってと渡されたモノなのですが、年寄りな私は最近の劇画の進行とかギャグとか、速度についていけず、一体どう読んだらわかんないカンジだったのでプチ敬遠していたのですが、本日、休憩時間にページをめくると、動物の医療を題材にした内容でストーリー展開も登場人物もこれぞ漫画といった誇張表現なのですが、読み進めると不覚に号泣してしまうのです。このお話は奇天烈獣医師達と病気の野生動物との交流を描いているのですが、作者は面白ろキャラを巧妙に動かしつつ、常に動物目線、動物の立場から物語を進めて行くのです。手負いの野生動物のためなら、治療をして助かるならアッサリ「死んでもいいよ」と言ってのける主人公…。動物を今の地球における惨状に置き換えて「漫画」として表現する…。日本の漫画は少年から大人まで楽しめる世界でも評価の高いモノなのですが、変な地球環境保護団体とか動物愛護団体、及び自称気づきにより神の指令により、聖地とかで祈っちゃうヒーリン
グ団体が行う活動より、ペラな週刊誌に連載されている、サイケだけど弱い者に対してどう働きかけたらよいかを、この作品は問いかけているように思い、これを読んだ多感な時期の子供達は、自分より弱いものに向き合った時に、自分が出来る事ではなくて、相手が何を求めているのかを考えるんじゃないかなと思いました。作者は押し付ける事なく、漫画において不可欠な「笑い」を通して、これからの地球に、人に動物に自然にどう取り組んでいけばよいのかを読者に問題提示しているのかもしれません。最近の漫画を食わず嫌いしていた私ですが、目からウロコが落ちるよき読み物でした。



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