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2011年3月の日記
 
2011年3月31日(木) 22:53

モリノス

「今日の報告…」。今日で3月も終わり明日から新学期のスタートとなります。この大きな傷を受けてしまった日本で学業や社会に心折れそれを修復している最中の羽根で、羽ばたかなくてはいけない彼らです。震災から後、誰が悪いだこうすれば良かったともう言っている場合ではなく、悶絶しつつも生きていけかなくてはならないわけですが、今日は何故か居職や表現を生業とし、その環境とかそれぞれの選択によりアラフォーにして独身、むしろ自分のためにしか時間もエネルギーも金も使えない、と自身の地金を得心した独身者達と談義する機会がありました。皆、違口同音で「ああっ独り者でよかったっ!」と言います。家庭を持っていたり愛する人でもいようモノなら、これからの生きていく上での選択に拘束があるが、それぞれが、ある意味好きなこと出来る事を生業にしそれを極めようと生きている奴らは、ある者は、やりたいことはやって来たから達成感があるので、これから復興するかあるいはもっと惨劇が起きてしまったとしても、それを受け入れると意見し、そしてま
たある者は、どんな事態になっても独りだから、身軽だよと言います。私的にはこの独身族に類するのですが、家庭を持つ者、恋人がある人達から耳にする事は、子供がいるから頑張れる、恋人が支えになってくれているから、これからの窮地も乗り越えていける気がするという事も耳にしています。で独身族の意見と二人称以上で生活族、これからの心構えの真逆といっても過言でもない意見にふと、どっちもごもっともだとは思いつつ、葛藤していたら、ふとタロットカード0番愚者、道化の格好をし、犬にさえもそしられながらも崖っぷちに片足立ちで立ちおどけてみせる絵と、記憶が危ういですが、ネイティブアメリカンにおけるヘヨカ(皆が笑っている時は泣き、皆が泣いている時は笑ってみせちゃう立場の者)を思いだし、桜咲く新学期を迎えるに際し、愚者かヘヨカな線で暮らしていこうと思いました。この日本中で、皆様がヒステリック、疑心暗鬼、ナーバス、憤り、悲しみを背負った状態で春を過ごし夏が来る。しかも今年の夏も紅蓮猛暑でしょう。皆様がへこんでい
る時には、「もうっ!こうなっちゃったんだから仕方ないでしょう、残されたモノの中で楽しみを見つけないとな」「暑いい夏だ?努力は嫌いだけど熱さは滝汗流して我慢しますけどそれが何か?」とハッタリを言い「生き残った?仕事も順調?油断するな気を抜くな」と挑発し、夏になったら我慢しますけどと言ったけど熱中症になりましたトホホ〜と笑い者になる。道化って案外人生というサーカスに必要なポジションなんじゃないのかね?と、独身者談義の中に思った私です。前向き考えている人には、詭弁と言い放ち。悲しんじゃってる人にはどうしたら、こいつに比べたら自分はましだと失笑される。そんなカンジな立ち位置で、バサバサ飛んで行こうと思った次第です。


2011年3月30日(水) 22:43

モリノス

「今日の報告…」。先日購入した春夏物、どう見てもライダーズジャケットなんだけどインナーのシャツ真夏もオッケーレザー仕様(酷暑ならムリ)の上から、元々持ってるライダーズジャケットを着て、ライダーズジャケット重ね着というイカれた装束で出勤。電動アシスト自転車を漕ぎ遊歩道へ。「!桜が咲いてる…」ふと自転車を止めて天災後に開きかけのソメイヨシノをジロジロと眺め、今年のこの桜は忘れないだろうなと、地震から今日までが脳内スライド写真のごとく甦りました。そこに薄汚れた野良猫がすりよって来たので、しゃがみこみ膝に抱き一人悦に入る私…。しばらくムダに見知らぬネコを撫でまわし駅へ向かいました。地震から今まで比較的電車の乗り継ぎは円滑だったのですが今日に限り、タイミング合わず、タイムロス。桜を見たりネコを構ったりしている場合ではなかったと歯噛みしました。いつもお客様をお迎えする90分前には事務所の掃除を終えて準備オッケー待機をしていたのですが、今日は高田馬場駅に到着した時点で、最初のお客様御到
着まであと70分となりました。時間がないのでこの度は、いつも水曜日に立ち寄る出店の花屋には寄らずに通過だなと思っていたのですが、フリージア一本を買うとそれがすべて募金されるという文字を見て、バケツごとフリージアを買いました。夥しい数の香り立つフリージア花束を持ち落合駅に降り立った私は小さい事務所に全部活け込めないと思い、早稲田通り沿いの顔見知りの店とか、住んでる方に半ば強制的にフリージアを数束ずつ配りました。この時局に役に立たないフリージア貰ってもいかがなものか有り難迷惑?と思いつつ…。で事務所に到着した時には、フリージアあげまくりの末に手元には数本しかなくなっていました。駅から事務所まで花配りしていたおかげで更に時間を使い事務所に到着したのはお客様御来店まであと35分という事になり、慌ててしまいました。4月から交通手段も更に節電運行になるらしいので、早めに家を出て余計な事をせず脇目もふらず、事務所入りしなくてはと戒めた次第です。


2011年3月29日(火) 23:01

モリノス

「今日の報告…」。同じ地元育ちの友人でもありお客様でもある、二度に渡る脳の大手術から生還したネイリストYと会いました。彼女には今年小学三年になる子供とご主人と、自身のお母様とネコ六匹と暮らしています。自分自身もオペ後でなにかと不自由体で生活を、少しずつ取り戻していた矢先の大地震…。東京は被災を免れたとはいえない状況の中での、今日。本調子でない中どれだけ大変だったかと、心配していましたが、当のYはいつもと同じ無理のない普通テンションだったのでホッとしました。Yの家は地震当日、お母様が食器棚を押さえつつ、揺れる室内でテンデバラに逃げちゃう六匹のネコを捕獲。子供は帰宅中に、揺れた地面で運転困難の末に事故った車の近くにいながらも、平然と帰宅し、そのまま、遊びに行ったとの事。こんな時にまた脳の病が再発したら?と私は思うのですが、やはり大病を患った人間はタフ。なんとななりますよ、なんとかしなくては行けないし〜と、落ち着き払っていました。ネイリストの仕事も再開。震災前の日常習慣を心がけているとの事で
した。前にも記述しましたが、被災を免れた地域の人々は、出来る支援と、買い物するなり、旅行するなり、心もとない経済に貢献しなくちゃだよねと語り合いました。復興にむけて、何かと金がかかる事態が長期間続く訳ですが、Yの明るい姿を見て、私も支援と普段の日常を心がけ4月より、鮮度あるモリノス的生活のサイクルに限りなく近づけようと思った次第です。


2011年3月29日(火) 1:01

モリノス

「今日の報告…」。私用をたしに、ジャージ姿にて都会に出ました。渋谷ハチ公前交差点はいつもと変わらず人波が溢れていますが、巨大電光スクリーンやネオンは消え、音曲などは聞こえずといった様子でした。久しぶりよく行っていた喫茶店に寄ると、店員さんが「アラーっ!御無事でしたかっ?」と声をかけられます。デパートに立ち寄ると入口に募金箱アリ。箱にお金を入れて中に入ります。節電早終いのアナウンスが流れる店内は薄暗くお客様も閑散…。元々不況で天災…。普段必要なしな贅沢品は買い控えもしましょうと思いつつ、ブラブラと歩くと、ある洋服屋の奥から「盡田様〜!」と大きな声があがりました。顔馴染みのショップ店員達が、素の顔で手をブンブン振り、ニコニコしています。私は店内に入り、ショップ店員さんと近況報告。で高額な商品にはお呼びではない昨今なので「じやーまた〜ニコリ〜」と帰ろうとすると、見るだけ見ていってくださいよ〜とショップ店員は言った後、小声で「今、暇なんですよ」と囁かれではと、お店の奥にしつらえてある
ソファーに座り、春夏物のカタログとかをめくっていたら、アイスコーヒーなど用意してくださり、しかも、何着も試着するハメに。私は「買いませんよ、ぞべりとした服に踵の高い靴は出番がないもの」と言うと、スタッフ店員は盡田様、コーディネートしてるだけでも私達は嬉しいのですからと、マネキン状態になりました。散々着せ替えした後、いくつかのシーンをお付き合いする事になったのですが、微々たるモノでも購入した方が、お店的に助かるだろうと思い、久しぶりに買い物をしました。その後にかつて若い頃にいた半蔵門に行き、ふと懐かしさを覚えて、かつてのアルバイト先に顔を出したり、お年寄りが和菓子を売ってる小さな店に行くと「アラーっウチの店を覚えてくれたんですね〜」と喜ばれ、ジャージにマスクにメガネ姿の私だというのに、和菓子屋のお年寄りは「なんだか貴方が来たらお店が明るく華やかになったワ〜」と喜ばれました。私ごときで、笑顔になっていただくなんておそれ多い事ですが、喜んでいたたぎ、良かったと思いました。復興の上に経済を回し
ていかなくてはならない状況ですが、東京に住まう各々方、その両立を出来る範囲で挑もうではありませんか!と思った次第です。


2011年3月27日(日) 21:47

モリノス

「今日の報告…」。いまだ進行形の被災…。このような時に自分が出来ることは、せめて病気を発症しない事、カタワなのですから人様の迷惑にならないようにしなくては!をテーマにし毎日を送って来ました。本日はPNF筋力トレーニングの背術日、電車を乗り継ぎ研究所に出向きました。都会の街の様子は休日行楽な賑わいはなく、人も少なしといった様子です。PNF研究所に到着、Tシャツと短パンに着替え、手洗いに…。そして待合室にて待機。順番が来て、トレーナーのT先生に呼ばれ開口一番「首にキテますねニヤリ」と言われました。「!」。実は皆様、私はここ一週間ほどある不定愁訴を覚えていたのですが我慢していました。その部位は「顔」。はじめは顔がヒリヒリし、それに伴い首から胸元もヒリヒリとし、私も地震の恐怖とかストレスで抵抗力を落とし、ヘルペスや帯状発疹を起こしたか?などと思っていました。しばらくすると、顔に物理的に虫酸が痛みと共に走り、洗顔時に顔を洗っても痛いし、硬直感もあり「脳にキタか?」と一抹の不安。さらに日
毎に眉間と口元がキキーッとひきつり「ガーン顔面麻痺?」と慌て、私も指圧師ですし東西医学行脚ライフで体得した知識もありますから、セルフボディチェックをしては「脳ではないし、麻痺でもないし、発疹の類いではない、だとすると脛椎になにかしらの不具合がある筈」と踏んでいたのですが、むち打ち寝違えを起こした記憶はなく、首から肩にかけてのコリはいつものことだし、だけど顔の痛みの原因は首にあるのでは?と、人前ではいつも通り平静を装いつつ、しきりに顔の痛みに捕らわれていたのでした。Sトレーナーは、私が更衣室から手洗いに行くまでの私の歩行及び全身を見て「首ですね」とこちらが何も言わぬのに、私が悶々していた所を突き止めたのです。私は股関節でPNF筋力トレーニングを取り入れている訳ですが、患部じゃなくて全部を視診で見抜くS先生の能力に脱帽と感服しました。で、この度は病んだ股関節は元より、私の首肩背中に、押圧が北斗の拳のように的確にアタリ、モリノス昇天…。その後仰向けになると、S先生の両手が側頭部から顔面に…。
「ギヤーッお見逃しくだされなんでも白状します堪忍してくだせえ」な激痛で顔筋に入って行きます。私はヒーヒーとこらえながら、そういえばPNFとは元来、麻痺や梗塞のリハビリとして開発されたトレーニングと書いてあったと思い出し、この療法のバリエーションの広さにビックリ。術後、顔は柔らかくなり、顔の腫れというか老廃物による浮腫めいたものも吸収されたようで顔も引き締まりました。関東地区の地震は大被災された地域に住み避難生活を送っている方々からしたら、停電や物が買えない、都市機能が円滑に行かないくらいなのですから、顔の違和感ごときにビビっていた自分の弱虫マックスを恥じたと同時に、この大変な事態の中、自分の体に起きてる不安を払拭できる場所と、それを解決できるスペシャリストの背術を受けらるという事は、とても贅沢な事だと思った次第です。


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モリノスの部屋