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2012年8月の日記
 
2012年8月30日(木) 19:37

モリノス

「太い三本の柱」。思えば今週月曜日、義兄が今世の御勤めを終えて息を引き取り病院の霊安室を出てから今日の告別式が滞りなく終わるまでの日々が一日に全部繋がっているような錯覚をおぼえる私であります。冠婚葬祭自称、暗躍する影の仕切り番長の私ではあるのですが、加齢と酷暑によりこの度はイマイチ切れ味の鈍い動きだったとああっ自分いまいましいっ!。と思っていたのですが、この度の葬儀では義兄とモリノス姉との間に生まれた子供達(全員成人に達している)が、葬儀の表裏全てを円滑なフットワークでこなし、いつの間にかあのハナタレ小僧どもが、大人になったものだわいなどと感心していたのですが、この度の告別式の終幕前、出棺時にこの甥三兄弟が姉を囲んで並び、弔問のお客様に御挨拶を述べる段になった時「!」。三人の甥達のなんと凛として水際だった喪服姿に叔父だてらに見惚れた次第です。その姿、寡婦になった姉をその母を強く太い柱となって守ろうぞ!といったそれは逞しい様子に映り、モリノス甥達の放つオーラに不覚
にも涙腺ゲートが破裂しそうになりました。私は今まで家族をもたず独り上手がモリノス的生活美学だったのですが、まるで太い屋久杉じみた三人の甥達の立ち姿を見るにつけ、生まれて初めて親子でささえ合う自分の「家族」「家庭」というものを羨ましく思いました。


2012年8月29日(水) 23:41

モリノス

「通夜」。義兄の通夜が滞りなく終わりました。沢山の方々に弔問いただきありがたいかぎりでございました。夕刻、残暑の中にも秋の夕焼けが鮮やかに空に広がる中で読経が始まりました。私の隣の席には施主である義兄の長男にしてモリノス甥1号の三人の子供達が座ります。私のすぐ横に長女マホ年長、真ん中に次男サクヤ3才、そして長男リオト小学2年という席順。幼い子供なんて長い時間座ってるなんてできないと思っていたのですが、このチビッコ三兄弟は神妙にチマチマと座っていてソノ様いと可愛らし…。特に3才児が香をかつぎ焼香する様はチョー可愛っ!。などと私的には目を細めていたのですが、思いの他に列席者の方々が多くいらっしやって、さすがに物理的に子供の集中力にも限界、椅子に座りながらもモジモジしはじめます。私は念のためにと思い隣の年長マホに「あと少しで終わるっ!いい子にしてなかったら…わかってんだろうなっ!マホの隣に座っているサクヤにも、いい子にしてるように言えっ」と闇がたりで耳打ちしたらマホの顔はフリー
ズしたのち隣の3才のサクヤに本人はコソコソ声のつもりなんだろうけど、プチ通る声でサクヤに「モリノブオジサンがわかってるんだろうなっていってるよ」と言います。読経中、案外声が通っちゃったのでプチ慌てる私…。そしてお経も佳境に入り、テンポのよい木魚の音が…。するとマホはなんと木魚のビートに合わせて歯切れのよい腰でフリフリと木魚の拍子に合わせて踊り始めます。木魚に合わせてノリノリで体を動かすマホ…。状況的に不謹慎ながら「リズム取るのうまいじゃんマホ」と感心ししばしマホの木魚ダンスに見惚れてしまい、不覚にも「おとなしくしていなさいっと」言うつもりが、また闇がたりで「マホ!踊りうまーい!。でもお行儀よくしててね」と誉めてるのに注意するという、年長のマホからしたら一体どうしたらいいのよ、私の体は木魚ビートにヤラレちまっているのさと言わんばかりに不服そうでした。っていうか木魚パーカッションでアゲアゲになるマホ…。さすがにモリノス血縁だわいと思った次第です。


2012年8月28日(火) 22:44

モリノス

「喪服」。私くらいな年齢になりますと、黒い服を着る機会が多くなります。年齢比か?数年前までは黒い服にモリノス暗黒満艦飾でお祝い事にお呼ばれなどあり…。それがいつしか黒でも喪服大活躍なここ数年になります。明日は義兄の通夜という事で、葬式裏番長とアダ名される私は、滞りなく式次第が行われるべく暗躍する予定なのですが、やはり喪服に袖を通すのは気持ちが晴れる事ではなく微妙な気分です。いつか私も今世とお別れをする訳ですが、喪服を出してふと…。自分が死んだら?的な思考になり…。三つのパターンを妄想しました。モリノス葬儀のドレスコードは喪服禁止。弔問客の皆様は自分が一番気に入っている服(コスプレ可)で出席していただき、祭壇は神式でも仏式でもゴスや花で飾るのではなく、私の遺影の周辺には夥しい数のシャンパンタワーを配置し、後はあり得ない数の電飾を装飾、おいでになった方々の返礼品はランダムに混ぜたタロットカードを一枚ずつとセージという、貴方に対する最後のメッセージですよといわんばかりに、死して尚も
占い師としてパフォーマンスをする。もうひとつは、献体…明日の股関節障害の改善に挑む若き医学生に私の病んだ生股関節を見なせえ参考にしなせえという魂胆。そして三つ目のパターンは、死語エンパーミングの限りを施し私の死体を防腐、そして各イベントに死体ながら出演する(もう生きてないんだから私もうるさい事言わないので興行元もお楽かと)などと、相変わらず突き抜けた事を考えてみた次第です。なーんて無駄な事を考えている間に明日からの進行を考えなくてはイケないのですけど…。人間って若い年寄り関係なくいきなりソノ時が来ちゃったりしますから、奇想天外な自分の死後など考えてないで、真面目に考えようと思い戒めた次第です。でも!シヤンパンタワー祭壇って弔問客の皆さんに楽しんでいただくかヒンシュクをかうかどちらかですな。


2012年8月27日(月) 22:24

モリノス

「日暮し」。この残暑で酷暑の中にも夕風は秋めいてきた昨今、今日の昼下がりに義兄が他界しました。知らせを聞いた私は病院へ向かいました。病室の義兄の亡骸の回りにはモリノス甥3人が集結し、片付けものをしています。甥3人兄弟は淡々と荷物を整理しているのですが、つとめて明るく振る舞っているのを見た私は甥達も大人になったものだと甥達3人がチビチビだった時の様子を思いだしあのガキ達が今や親のお見送りのお支度をしっかりできるようなる世代になったものだと万感迫る思いで込み上げてくるものがあります。さて、義兄の看病とかお見舞いなどからは離れていた私でありますが、変な話ですが私の役割は「葬式裏番長」。義兄の発病から召されるまで役に立つことができませんでしたので、今世の御勤めを終え肉体を手放し天界へ昇る通過点の花道をせめて豊かなものでありますょうにと、病院から安置所まで運ばれた義兄、そしてこれから行われる通夜葬式の打ち合わせに行きました。顔見知りのそれは頼りになる葬式屋さんが来た時に私は彼に「すいません、この
度もお世話になっちゃうんですけど、義兄のお顔に闘病生活の後が見えるカンジなので健やかなお顔になるようラストメイクして下さい」と耳打ちしました。安置所では丁寧な死に支度が行われはじめました。それを見守るモリノス姉と甥…。とても静かな一時の中、カナカナカナカナと日暮しが鳴いている声が聞こえます。カナカナカナの儚い声の中で、お支度が済んだ義兄の顔はそれは穏やかなものでありました。私と義兄はあまりお話をする事もない御縁ではあったのですが、あの世の旅支度を一時共に過ごした私の気持的には、この優しく鳴く日暮しの声のごとく、義兄の今までの葛藤や病魔に侵された苦悩から解放された今、優しく優しく天界の階段を登ってくれますようにと香を手向けました。


2012年8月26日(日) 23:09

モリノス

「放心」。仔細あって部屋の片付けをしている今日この頃なのですが、片付というより捨てるか残すかという作業を試みているのですが、どれを捨てたらいいのだろうか?というより部屋の中のモノを全部始末して、これを機会に全て何から何まで新品に買えてしまおうか?という罰当たり思考になっています。コツコツといるいらないをしているのですが、ふと気づくと部屋の中はもんじゃ焼き状態…。えーっと捨てるのはドレで残すのはドレだったかという判断力が強烈に低下しています。が、がんばれ自分!。捨てたら新品を買えるぞと鼓舞しているのですが中々先に進まない事態で放心状態になっている次第です。あと決定的にダメダメなのは私は綺麗好きではなく散らかっている環境の方が落ち着くという奇癖があるため、片付中にどんどん部屋が凄い有り様になっている状態に満ち足りちゃってるカンジになってます。っていうか片付けに着工しているのに散らかして満更な気分になっちゃっているという、ダメダメな私なのであります。さて、周到に片付けが終わるのか?。


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モリノスの部屋