| 戻る |過去の日記|
2014年1月の日記
 
2014年1月31日(金) 22:34

モリノス

「iPhoneの操作で慟哭」。結局スイマセンねえ〜アナログでスマホ使えません未だに、な私ですが、今日は新年も明けての月末…。来月からの予定を確認しようと電車内で黒革の手帖を見ようと乱雑に入れたカバンの中を探したのですが車内でゴソゴソしたら左右に座る民草乗客の迷惑と思い、手近にあった怨敵iPhoneをとりだし、せめて2月のカレンダーでも見て予定を頭で勘定しようとして、スマホ画面の中にあるカレンダーの場所をタッチしましたが、相変わらず全く相性の合わないiPhoneのやつめ、さわったのにウンともスンとも動きません。で、しかなたくもう1回黒革の手帖を探すかと思った矢先にiPhoneがカシャッという音がしました。「?」なんでカレンダーを見ようとしたのにカメラ機能が作動した?車内でシヤッター音がしたら盗撮変態のようではないかと焦り、iPhoneの画面を再び見てカメラ機能を止めようと思いましたら、なんのカラクリか?ソコには見に覚えが無い写真が並んでいました。たいがいは誤ってシヤッターを切ったため
に道路とか足元とかどうでもいい写真ばかりだったのですが、ソノ中になんと昨年に他界した私の理解者でもあり、盟友のR君のあどけない顔で眠ってる写真がありました…。っていうか彼の生前の写真を撮った記憶が無く、よくよく思案したら、iPhoneの使い勝手が悪くてさーと生前のR君にスマホを見せながら愚痴った後に、彼は私の肩にもたれて寝入ってしまい、ソレを起こさぬように私に体を預けているR君から一旦離れてiPhoneを棚の上に乗せた時にカシャッと音がしたなと虚ろに思い出しました。がまさかR君の寝ている姿の写真が撮れているとは思いませんでしたから、いきなり今日スヤスヤと寝ているR君の姿を画面で見た途端に、今更なんですけど、強烈な悲しみが全身に貫き、声を殺して車中で慟哭してしまった次第です。彼とのお別れの時にキッパリと彼の死を受け止めたと思った私ですが、iPhoneの誤作動だか自分の操作ミスかは知りませんが、彼の写真が残ってるのを見ては、怨敵iPhoneなはずなのに、R君の写真をファイルしててくれてあり
がとうiPhoneとスマホ相手に、感謝した次第です。これからは心折れたりした時にはiPhoneのデーターに残ってるR君の写真を見ては、己を鼓舞していきたいと思った次第です。


2014年1月30日(木) 21:36

モリノス

「定期検診」。本日は年に一度の病んだ股関節の定期検診に都内某所の大学病院に行きました…。私は二つの病院に二股をかけていて一つは日本屈指の人工関節の名医がいる専門病院でもう一つは私のもうひとつの持病である慢性骨髄性白血病と変形性股関節症を同時にというか総合的に診断してくれる白い巨棟なのですが、不測の事態(突然骨頭がバッキリ逝っちゃうとか)に備えてソノ状況により専門病院がいいか?総合的に科がある所がいいか備えている訳です。いずれにしても現在の病状的にはオペ後は残りの寿命がつきるまで療養生活=サヨナラモリノス的生活と陰棲決定との事ですから自骨でガンバっているのですが、いつも定期検診の診断の時に下される御託宣は手術ですので、実は早朝より渋々とお仕度をして病院に行きました。昨年受診した専門病院の方では急に病院の主義が変わったのか?これまで自骨温存を理解してくれていたのに、得たいの知れない医師からオペの予約をしない限り部屋から出しませんよ的な威圧を受け、なんなんだ前までは私の闘病生活を尊
重してくれていたのにっ!と憤ったのですが、後日ソノ病院の母体は都知事を失脚させた組織に経営が変わっていた事が判明…。更にこの度の大学病院もどうせ手術をしない私を失笑し、手術をしろと言われるのかと身構えていたのですが、本日の診断中、私の患部周辺を丁寧に触診したり動かしたりした医師の判定は経過観察、昨年のレントゲンやらCTと今年のソレを比較するとあまり変化が無いのと萎えた右足病んだ部位周辺の筋肉が萎えてなくて発達している去年よりも!。という事でオペを免れホッとしたのですが、専門病院の方では、かなり進行し、もう右足の骨には血が通ってないから早くヤれ判定だっただけに、私からしたら病院の判断ってどうなのさ?お医者様でしよう?先生様でしょう?と疑問マックスになった次第です。検診が終了した後にはPNF筋力トレーニングに向かったのですが、先週から今日にかけては激務だっただてらにトレーナーS先生のストレッチもリハビリも円滑にできて、己の体を信じれる感触を得ましたが、私も人間ですので、病院での
判断がダメですイイですと虚ろうと混乱してしまうのでした。ちなみに慢性骨髄性白血病の血液検査は、私が嘘をついて(他の病院の血液内科に行ってますと言った)、検査事態をスルーしてしまいました。ダメ?。


2014年1月29日(水) 22:00

モリノス

「くちびるに歌を」。密かに私は映画にしても漫画にしても小説においても十代の子供らが葛藤する「ド根性モノ」「ド青春モノ」が好きなのですが…(お金を積んでも無駄に権力やら名声があっても到底手に入れることができないキラ星時代とエネルギー)、この度は本屋でなんとなく手にした「くちびるに歌を」という本を読んでみました。長崎は五島列島、ジーザス信仰の地を舞台に合唱コンクールに向けて取り組む中学生達のハナシで、だいたいドノ青春小説における鉄板なドラマが土台で結末が大団円もわかっていても、コノ本の作者は登場人物にいくつかの伏線をストイック(?)なまでに張りまくり、コンクール当日に中学生が中学生なりの苦悩とか幼い頃よりの悩みが紐解かれ、大人への門に立つ的なカンジなのですが、オトシドコロ感動涙の箇所がひとつではなく、いくつもユルく文章で仕掛けてあるので物語の終盤にかけて「アッ…」「アッ…」とジワジワと胸が熱くなり最終的に鼻の奥がツンツンし頬を濡らし、作者の巧妙な筆力に満々とヤられた次第
です。文中に「十五年後の自分に向けた手紙を書く」というくだりがあるのですが、中学生達は十五年後の自分に向けての希望とか可能性とかを書けるが、初老の私がもし十五年後の自分に宛てて手紙を書くとしたらソレはもはや「遺書」「遺言」じゃないか?と思うと、尚更未来の自分に宛てて手紙を書ける年代が羨ましいと心底思った次第です。ああ?確か私が中学生の頃は毎日が辛くていっそ早く年を取ってしまいたいというネガネガな夢を持っていましたが、ソレは確かにあっという間に叶ったなと思いましたが叶ったら叶ったで初老生活は大変だよ中学生の頃の自分よと思うと、コノ小説では未来の自分に向けての手紙を書くのが物語の要でありましたが、私は過去の自分に向けての手紙だったら書けるなと思った次第です。「過去のイタくてサムくてシヨッぱかった自分へ」という題で…。


2014年1月28日(火) 20:32

モリノス

「別世界スギる」。昨日の大阪不思議地域(三本の串団子が1円、敷金礼金保証人不要日払いOK集合住宅、コノ時期にクリスマスソングが流れる)を体験した翌日の今日は、東京は青山から表参道〜渋谷に滞在していたのですが、昨日と今日では国事態が違うんじゃないか?という錯覚を覚えました。昨日は朽ち果て系なアーケードを杖ビッコ歩行で歩いていたらチャリンチャリンと癇症にベルを鳴らして舌打ちをしながら暴走する老人チャリンカーに轢かれそうになったり、道路を横断しようにもビュンビュンと車が走り前々止まってくれる様子が無いので、一か八か行くしかないっと長縄飛びに乗り切れないカンジで反対側の道にプチ命がけで渡ったりと、なんとも気忙しかったのですが、東京の都会を行き交うピーポーも早足なんですけど、昨日の大阪でもデンジャラスなゾーンのテンポというかリズムが体得されちゃった今日は表参道の交差点をこ洒落たファツションで歩く人波の遅さにイラっとし「ええい、早く歩かんかっ!鈍い奴等めっ」とか青山の小綺麗な雑貨
屋にては「ああっ早く品物選んで買いなさいや、モタモタしてるっ!買わないなら帰れやっ!」と東京セレブエリアで逐一ヤサグレタ私でありました…。一日大阪のアレな場所に行きすっかり脳がソレ仕様になったのか?とにもかくにも昨日と今日のギャップに馴れなさスギで一日過ごし往生した次第です。昨日行った地帯はもう一度行きたいマックス!、ソコには昔の遊廓の建物を料理屋に変えて営業しているとの事…。東京の混みに閉口(いつもは慣れてるのに)した私は、また近い内に大阪のアレナな町の遊廓だった料理屋にすぐに行きたいっと思いました。やっぱり猥雑な町は私にとっては癒えるところかもなと思いました。


2014年1月27日(月) 22:34

モリノス

「衝撃な場所」。昨夜大成功の内に幕を卸した暗黒プロレス組織別ブランド新宿2丁目プロレス&堂山プロレスコラボではなくガッチゴチの対抗興行から一夜明けた今日は、666の代表にして私の妹分(前世では売り飛ばされた女郎姉妹とお互いが意味なく認めている)と、せっかく大阪に来たんだし東京に戻る前に食い倒れてみるかっ!。と大阪はなんば界隈のお好み焼きを食べたり、なんとなくノリで大阪なんだから通天閣でしょうアハハー!。と東京タワーにもスカイツリーにも行った事無いのに、ビリケンさんが鎮座するレトロなタワーのある町まで足を伸ばしてみました。Kがこの界隈にある場所で前々から行きたかった所があるが、女の私では行きにくいと、プロレスラーを女だてらに束ねる強者のKが行きにくいって?どんなとこ?と興味を持ち、近いなら行こうとなりました…。通天閣のある界隈は動物園もあり大衆芸能の劇場も、老舗の2度づけ禁止な串焼き屋もありで、平日とはいえ賑わっているのですが、私達が移動したソノ地帯というか町
?はどうしてだか女子供若者の姿を一人も見ないというカンジで、醸すオーラは瘴気と諦観が町を被っていて、お素人衆の幸せに送らしな方々はこない所だよな…などと歩いていたら、Kが来てみたかった所に到着、「!?」着いた途端に私とKはワクワクしはじめました。ソノ場所とは平成の御世だというのに路地を真ん中にその左右に赤線(?)があったのです。小さな2階建ての長屋形式の建物でソレゾレの間口の狭い一階が張り店になっていて、「おばちゃん」と呼ばれる高齢の遣り手ババアがいて、その中にセクシーな衣装を纏った美しい姐さん達が床下に置いてあるアオリライト(フェースライト)に当てられて悠然と座っています。私とKはやっぱりアタシ達は女郎だったんだねぇ、なんだかいいじゃなーいこの通り、夜になったて火が灯されたらさぞ美しかろうにとガン上がり…。しかし、たしかにこのあたりを女子一人で歩くっていうか、歩きにくいだろうと思い、Kが一人では…と言っていた意味がわかりました。左右に張り店してる所を二人で闊歩
していたら、遣り手のおばちゃん達は私を上から下まで瞬時見て狡猾貪欲な視線で値踏みします。一方姐さん達は私が姐さんにチラリと一瞥すると艶然に挑むような目をして私に微笑みかえしをします。このフアッカーストリートは女はお呼びじゃないんですから、さすがのKも気づらかったのでしょう。これってあからさまに昔の女郎屋のシステムをいまだに継承してるでしょう?じやー売春なのでは?ダメでしょう?とKに聞いたら、Kが事前に調べた所、この長く連なる長屋形式家屋の店は風俗でなく、料亭なんだそうで、つまりお客が入店すると姐さんはあくまでも仲居としてお飲み物食べ物を配膳する、しかしお客様が仲居に恋をしてそのままイタシテしまうのは売春にあたらない、なぜなら仲居が料理を運んだらお客と自由に恋愛してるだけですからというテイになっているとの事でした。まだ赤線のしきたりを継承し、法の目をくぐって今現在に至っているのでしょうね。私とKは「きっとアタシ達もこんなような所にいたんだねえ」なんて事をいいながら、いつまでもソノ素敵な猥
雑スポットに滞在した次第です。衝撃的なディープ大阪体験でありました。


next --->

モリノスの部屋